教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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10/12 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「安倍晴明と陰陽師」

実は遅咲きだった安倍晴明

 今回の主人公は陰陽師・安倍晴明。映画や創作ものの影響で若者のイメージがあるが、実際には陰陽師としてデビューしたのは40才とかなり遅咲きで、陰陽道の頂点である陰陽博士になったのは52歳だったという。

 安倍晴明の生い立ちについては「母親が狐だった」とかの「伝説」の類いが多すぎて正しいところは明らかではないのだが、陰陽師の師匠がいたのは確かだという。その師匠は賀茂忠行という人物でこれは実在だという。忠行は陰陽師としての素質のあった晴明にすべての術を授けたとされている。

 さてこの時代の陰陽師とはいかなるものであるかだが、当時の陰陽師は政務を司る中務省のなかの陰陽寮に属する国家公務員だったという。陰陽寮には陰陽道、暦道、天文道、漏刻の4つの部署があり、70人ほどが働いていたという。陰陽師の一番重要な役割は占いであった。これは陰陽五行説に基づいて行われるものでこれで吉凶を占う。晴明が初めて歴史に登場するのは天文道の中の天文得業生としてで、40歳頃の話だという。得業生とは給料をもらえる学生という立場で、エリート候補として育成されていたのだという。そして52歳で天文道のトップである天文博士に就任する。星に異変などが発生した時に報告するのが仕事である。

 

有力者の信頼を得て破竹の出世を遂げた安倍晴明

 陰陽師は占いだけでなく呪術の仕事もしている。その切っ掛けになったのはある事件だという。奈良時代の桓武天皇が長岡京に遷都した時に、遷都推進派の幹部が暗殺されるという事件が発生する。そして黒幕として桓武天皇の弟の早良親王が捕らえられた。親王は無実を訴えて断食をした(要するにハンガーストライキだ)が許されず、淡路島に流される途中で餓死したという。桓武天皇は遺体を都に入れることを許さず、淡路島に埋葬された。しかしその後、長岡京では桓武天皇の妻が亡くなり、母が病死して第一皇子まで倒れるなどの不幸が発生する。陰陽師に原因を占わせたところ「早良親王の祟りだ」と言われる。桓武天皇は急遽陰陽師を淡路島に送って怨霊を鎮める祭を行わせたという。これが切っ掛けになって占いだけでなく呪術も行うようになったのだという。もっともこれでも治まらず、桓武天皇は長岡京を捨てて平安京に遷都するという。平安京は風水で最も良いとされる土地を選び、鬼門には上賀茂神社と下鴨神社を配して守った。

 そのような怨霊都市である京都で活躍したのが安倍晴明である。晴明は吉凶を占うだけでなく、それを鎮める術も駆使したのである。晴明はこの後は破竹の出世をする。天皇の病を治すなどで信頼を得た晴明は重用される。また藤原道長にも晴明は重用されたという。晴明は権力者に取り入るのが上手かったらしい。またライバルとなる陰陽師である蘆屋道満を道長を呪詛しようとしたとして追放するなど、政治手腕に長けていたらしい。その結果従四位の下という陰陽師としては異例の地位に駆け上がったという。ちなみに年収は4億円とのこと。

 晴明はセルフプロデュースに非常に長けていたという。そのために術を駆使する場合でも派手な儀式を取り入れて見栄えがするようにしたと言う。また雨を自在に降らせたという話があるが、天候観測に長けていたなので、雨が降りそうなタイミングを見計らって儀式を行ったのだろうとのこと。そうして名声をなしていたので、病の平癒のための術を駆使した時などでも相手の信頼が深いのでいわゆるプラシーボ効果で病が良くなるということもあり得るというのが番組の分析。要するに晴明はかなり老獪な人物であったということである。平均寿命が40歳程度の時代に85歳まで生きたと言うから、そういう意味でただ者ではない。それを良いことに、別人が挙げた手柄まで自分の功績として吹いていたというからなかなかしたたかな人物である。

 

 と言うわけでどうやら安倍晴明の実像は颯爽とした野村萬斎よりは、もっとしたたかな古狸親父というのが近そうである。まあ術の類いなんて本当にあるわけがないので、それがあるように見せかけるのには巧みな演出が必要だろう。○○が原因と言われ、晴明が指摘した場所に見に行ったらまさにその通りの○○が、なんてパターンが非常に多いが、そんなものは自分で仕込んでいたんだろう。まさにゴッドハンドである。そういうセルフプロデュースの上手さを考えると、今日生きていたとしたら、何かの教祖かマルチの元締めのイメージしかない(笑)。

 しかし悪霊やモノノケの類いが本気で信じられていた時代には、生命のような存在がいなければ人々は安心して何かを行うということが全く出来なかったわけであるから、当時は必要とされていた仕事であるのは間違いない。現代社会でさえ、そのような迷信は完全に克服されているわけでなく、人によって占い依存の者もいる。確かに占いでも何でも良いから「とにかく間違いなく上手くいきます」と保証されたら強気になってことに臨むことができて本当に成功するという可能性もある。だからそういう心理的効果を完全に否定するわけではない。もっとも悪質な占い師は、勇気を後押しするのでなく、不安を煽ることで自らの利益に結びつけようとするからタチが悪い。

 なお私はこういう態度なので、占いの類いは全く相手にしていないと思われるかもしれませんが、実は学生の頃に一渡りの占いを研究したことがあるので、大抵の占い(手相、タロット、易、トランプ、算命占星術(細木数子の大殺界の元ネタとなった天中殺なども当然)、西洋占星術、果ては血液型占いまで)の基礎は把握しており、その気になると占うことが出来ます。そしてその結論として「全ての占いにはほとんど根拠がないが、その中でまだ一番合理性のあるのは手相。ただしこれも今の世には合致しない。」という結論を出しています。なお一番信用性の低い占いは「血液型占い」であるという結論もその時に出しています。また霊感や超能力の類いは全く信じていませんが、阪神大震災の発生を前日に予想した(正確に言うと、その晩に大きな地震がくるので今のうちに家具の転倒対策をする必要があるということを強烈に感じた)という者であり、私自身が矛盾の塊であったりします(笑)。もしかしたら私も陰陽師の才能があるのか?

 

忙しい方のための今回の要点

・安倍晴明が陰陽師としてデビューしたのは40歳を過ぎてからであり、実はかなり遅咲きである。
・当時の京は怨霊としてであり、災厄を避けたい貴族達に陰陽師は重用されたが、特に晴明は天皇や藤原道長の信任を得ることで破竹の出世をする。
・晴明は実にセルフプロデュースに長けており、術を行使するには見栄えを意識した演出も行っており、これが評判を高めた最大の理由であるという。
・晴明は85でこの世を去るが、一般的に寿命が40ぐらいの時代に、そのことは間違いなく超人的ではある。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・安倍晴明については「口八丁手八丁」というイメージがあります。どうしてもオカルトの世界に対して否定的な私の目からは、胡散臭いという印象は拭えません。あの時代だから必要だったという状況は考慮に入れる必要はありますが。

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