教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

12/10 BSプレミアム ザ・プロファイラー「ヴェルサイユの太陽 ルイ14世」

 フランスの最盛期を築き、太陽王とも言われたのがルイ14世である。しかし彼の人生も平穏なものではなかった。しかも彼はこの世を去る時に後継者である曽孫のルイ15世に「私の真似をするな」と言い残したとか。一体彼の人生には何があったのか。

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ルイ14世

 

4才で国王になる

 ルイ14世はまだ5歳にもならないうちに父親を失っており、わずか4歳で王位に就くことになったという。政務は母が後見して、さらにイタリアのローマ教皇庁からヘッドハントされていたマザランが宰相として補佐することとなった。

 しかし王となったルイは窮屈な王としての生活に嫌気がさしており、滅多に笑ったことのない子供だったという。また人前で話すのはかなりの苦痛だったと言っている。

 パリの中心のパリロワイヤルで生活していたルイだが、9才の時に国内の反乱(フロントの乱)で暴徒化した民衆が宮廷に乱入するという体験をしているという。ベッドにいたルイは何も出来ず、寝たふりをするだけだったという。これが恐怖の体験となったか、以降のルイはパリを嫌っていると感じられる行動を見せているという。5年後ようやく反乱は鎮まったが、親族までもが反乱軍に加わったことで、ルイはかなりの人間不信に陥ったようである。

 そんなルイが興味を持ったのは当時の貴族の嗜みでもあったバレエ。自身もバレエを演じ、太陽神アポロンを演じたという。王は宇宙の中心である太陽であるべきというアピールだという。

 

政略結婚を経て親政を開始する

 ルイは19才の時に猩紅熱を患って寝込む。皆が恐れて近寄らない中で献身的に看病を行ったマザランの姪のマリー・マンシニーにルイは心を寄せる。回復後は読書好きの彼女の気を惹くべくルイも猛烈に読書を始め、この頃に彼は多くの教養を身につけたという。しかしマリーとの結婚には母が猛反対をする。母は戦争中のスペインとの講和のために、ルイとスペイン王女のマリー・テレーズとの結婚を考えていた。結局ルイはマリーと別れさせられ、政略結婚を行うこととなる。この現実はルイを王として覚醒させることになったという。

 ルイが22才の時にマザランが病死する。その後、誰が政治を行うかを聞かれたルイは自らの親政の意志を示した。

 芸術に高い関心を持っていたルイは、当時のフランスは文化面ではイタリアよりも大きく遅れていた。そこで親政を始めたルイは芸術振興に力を入れる。様々な芸術アカデミーを設立して芸術家たちを支援、さらにこの時に現在のオペラ座バレエ団が設立されたという。芸術の振興は王の栄光を世に伝えるものだったのだという。

 

ヴェルサイユ宮殿を建設する

 さらにルイはヴェルサイユ宮殿の建設に力を入れる。きっかけは臣下のニコラ・フーケの城に招待されたことだという。経済力もありセンスもよかったフーケの城に対し、ルイは強烈な嫉妬を感じ、フーケを公金横領罪で逮捕(無実の罪だったようだ)、フーケが抱えていた建築家らを自らの元に集めてヴェルサイユ宮殿の建設を開始したという。

 ヴェルサイユの地はパリから南西22キロもあり、この地は森が広がるだけの田舎だったという。やはりルイはパリが嫌いだったのだろうという。ここにルイは広大で壮麗な宮殿を建設する。ここに王侯や貴族達を住まわせて自らの監視の下に置くことを考えたという。貴族や役人達3000人がここに暮らすこととなったという。絢爛豪華な鏡の間にルイは大満足したが、この鏡の間は海外からの使節などを圧倒する役割もあったという。ルイは太陽王の立場を強調するために、宮殿内のあちこちで太陽神アポロンがモチーフとして使用されている。

 宮殿建設費用を調達したのが財務総監のコルベールだった。コルベールは関税を課して輸入を減らす一方で輸出を振興、そのために職人を集めて育成した。これらの職人がヴェルサイユ建設でも活躍した。

 ルイの日常は時間で決まった儀式で定められていたが、それらの中で貴族達が自らの序列を確認するようにして忠誠心を煽る仕掛けとした。これはなかなかに巧みなシステムだったという。

 また意外なことだが、ヴェルサイユ内部は庶民にも公開されており、王の寝室まで見学することが出来たとのこと。便座に座って人前で用を足すことさえあったという。人前に出るのが嫌いだった少年が、逆にかなり自身を演出する人間に変わったようである。

 

ルイの女性遍歴

 スペイン王女と政略結婚したルイだが、かなり女性遍歴もあるようである。最初はルイの弟の妻であったアンリエット。弟夫婦の仲は冷え切っていたから、ルイは気にしていなかったらしい。ヴェルサイユを改築してルイの寝室の下に弟夫婦の寝室を持ってきて、ルイはアンリエットの元を訪れやすくまでしたらしい。しかしさすがにこの関係に母がたしなめ、これを聞かされたアンリエットは「私の侍女に恋していると思わせればよい」と提案したらしい。このカムフラージュに起用されたのがラ・ヴァリエールなんだが、どうやらルイはこの侍女に本気で恋をしてしまったらしい。で、アンリエットから乗り換えてしまったという(アラアラ)。文学や芸術への深い教養があったのがルイを引きつけたらしい。ルイはヴェルサイユの建設で彼女を喜ばせるために最初に庭園を整備したのだとか。彼女は公認の側室となって子供が4人産まれたという。

 しかし彼女の妊娠中にモンテスパン婦人が猛烈にルイにアピールする。その結果、2人との愛人関係は8年続く。モンテスパン婦人とつきあい始めたルイは、自分の勇姿を見せるためにベルギーとの戦争を始めたという(そんなことで戦争始めるなよ!)。またこの時にヴェルサイユ宮殿をさらに豪華にする改装もなされたという。彼女はルイとの間に子供を7人儲け、王妃のように振る舞い始める。しかし彼女が王がラ・ヴァリエールを捨てて自分だけを愛するように祈る黒ミサに参加していたことが発覚、これ以降ルイは彼女に会うことがなくなったという(まあドン引きする事態ではあるが)。

 次にルイが心を寄せたのがマントノン夫人。子供の養育係だったらしいが、最初は気取ったインテリ女と思っていた彼女が、ルイの娘が亡くなった時に涙を流して悲しんだのを見て彼女の優しさに惹かれたのだという(結構単純な男である)。ルイが44才の時に正妻のマリー・テレーズが亡くなり、その2ヶ月後に彼女とルイは秘密結婚を行う。ルイは結婚を公開しようとしたが、彼女が「身分違いの結婚は周囲の反発を招く」と伏せるように頼んだらしい。

 

晩年になってフランスが衰退してしまう

 しかしルイが宮殿建設に明け暮れる間に国家の財政は危機に瀕していた。コルベールが何とかやりくりをしていたのだが、コルベールが亡くなり、されにルイがプロテスタントを迫害した(敬虔なカトリック信者だったマントノン婦人の影響ともされる)ことで急激にフランスの財政は崩壊する。それはプロテスタントには職人や商工業者などの人材が多く、迫害されて彼らが国外逃亡したことはコルベールが育てたフランスの国力自身が瓦解することだったからである。

 さらにルイの宗教政策に反発した周辺諸国(スペインとイングランドとオランダと神聖ローマ帝国)が対フランス同盟を結成してフランスに宣戦布告、ヨーロッパ全土を敵に回すことになった戦争は9年に及び、ルイは今までに獲得した領土を失うことになる。さらに飢饉も広がり、財政を補うために重税を課したがそれは反感を買っただけになる。しかも戦争が終わったわずか5年後に、新たに無用な戦争(スペイン継承戦争)を起こしてしまう。この時ルイ63才。

 またルイの後継者も続々と病死し、ルイが76才の時には後継者は曽孫一人になってしまっていたという。そしてルイが亡くなる時、後継であるルイ15世に「戦争に関して私の真似をしてはいけない。常に回りの国との関係維持に務めよ。」と言い残したのだという。フランス革命が勃発するのはその74年後である。

 

 ゲストの中でバレエダンサーの熊川哲也氏は、芸術を振興したという意味で「ルイ14世のことは尊敬する」と言っていたが、確かに芸術の守護者としての側面は芸術家としては評価に値するだろうが、客観的に政治家としてみたら「オイオイ」だなという印象を受けずにはいられない。

 なお私はルイ14世の頃がフランスの最盛期と聞いていたのに、なぜその後のルイ16世の時に早々とフランスがコケたんだと疑問に思っていた。しかしこうしてルイ14世の生涯を見ると、最盛期と言われていた時に既にかなり無理をしていて、しかも彼の晩年期には明らかに破綻して落ち目に向かっていたのであるから、確かにこれだと後二代でコケるのも理解できる話であった。

 晩年になって能力も落ちてきているところで助言を出来る信頼できる臣下がいなかったというのは致命的。どうも人間不信の傾向が見られるから、なかなか信頼できる臣下が出来なかった可能性がある。その分、女性に左右されやすくなったというところもあるかもしれない。とにかく「周囲に敵を作りすぎた」というところがある。恐らく晩年になってそれを反省したのが、ルイ15世に託した言葉だろう。

 

忙しい方のための今回の要点

・4才で国王となったルイ14世は、幼い頃に身内も含めた反乱に遭遇し、人間不信気味になる。
・22才で親政を開始、芸術を振興してフランスの国威を高めると共に、太陽に見立てた自身の権威の向上も狙う。
・ヴェルサイユ宮殿の建設に着手、豪華な宮殿によって諸外国の使節などを圧倒することを考えると共に、貴族を集めて宮殿に居住させ、宮廷内儀式などで貴族の序列を明確化することで、忠誠心を煽ることを考えた。
・スペイン王女のマリー・テレーズと政略結婚するが、その一方で様々な女性遍歴もあり、その中で女性の歓心を買うためにヴェルサイユ宮殿を豪華にしたり、勇姿を見せようと戦争を行うなどの行為もあった。
・しかし財政を支えていたコルベールが死去、ルイがプロテスタントを弾圧したことにより、商工業者や職人などが国外逃亡し、フランスは国力が衰退することになる。
・さらにはフランスの宗教政策に反発した周辺諸国全てを敵に回して戦争をすることになり、ルイはそれまで獲得した領土も失い、フランスはさらに衰退する。
・晩年に後継のルイ15世に対して、「戦争に関して自分の真似をしてはいけない」と言い残して76才でこの世を去る。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ無能ってわけでないのは間違いないのですが、いろいろと失敗もしてしまった人で、特に晩年の失敗が致命的だったという点では専制政治ってのの限界を感じるわけです。また名馬も老いては駑馬にも劣るなどと言いますが、どんな名君でも老いさらばえてくると判断力の低下は免れない。結局はどれだけよい側近を取り立てるか、しっかりとした後継者を育てるかという辺りが鍵になったりする。その点でルイ14世は失敗している。

次回のザ・プロファイラー

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