日本には桃太郎などを始めとして鬼退治の物語が多い。人にとって鬼とはなんだったのか。京都北部で数々の鬼退治の伝説のある大江山を中心に鬼退治について考えてみる。
聖徳太子の弟が大江山の鬼退治
大江山の鬼退治と言えばライコウによる酒呑童子の退治が有名なのだが、それよりも先立つ飛鳥時代にも大江山の鬼退治の物語が残っている。
大江山の南にある飛鳥時代に創建されたとされる清園寺には、この寺の創建の謂われである鬼退治のエピソードが記された縁起が残っている。その鬼退治とは麿子親王が人々を苦しめた大江山の鬼を仏の加護によって成敗したというもの。なお麿子親王とは聖徳太子の弟で武勇に優れた将軍であったという。
さてこの鬼の正体であるが、当時の鬼は疫神であり、つまりは鬼とは病の象徴であったのだという。当時は天然痘が流行して庶民だけでなく天皇まで感染したしていたという。このような疫病は鬼の姿で道を通ってやって来るとされ、それを防ぐというのは当時の人々にとっては非常に重要なことであった。また大江山の位置は北から京に続く道のある場所で、つまりはここで鬼を退治するということは重要だったのである。
源頼光による酒呑童子討伐を広げたのは足利義満
次に登場する鬼退治エピソードはライコウこと源頼光による酒呑童子の退治である。頼光一行が酒呑童子を退治するために山伏に扮して酒呑童子の屋敷を訪ね、酒呑童子が酔って寝たところを襲撃、見事に討ち果たすというエピソードである。
しかしここで勇者として描かれている源頼光であるが、確かに源氏の先祖ではあるのだが、この時代の武士と言えば要人のガードマンのようなものであり、頼光の武勇伝のようなものは全く残っていないのだという。
つまりは源頼光による鬼退治の武勇伝は後の世に創作されたものだと考えられるのだが、実はそれを作らせたのが足利義満だという。
義満のエピソードと符合する頼光の酒呑童子征伐
早くして父をなくて若い頃に将軍位を継いだ義満の前には南朝などの敵が存在したが、それ以外にも家臣であった山名氏が実は一番の敵であったという。勝手に領土を広げたりする山名氏と義満は対立し、義満が34才の時についに山名氏との全面戦争を決意する。これが明徳の乱である。義満が山名軍を迎え撃つために陣を敷いたのが内野という場所で、実はこれは頼光の鬼退治の絵詞で登場する大内裏の場所だという。そして丹波から出撃した山名軍が通った場所が大枝山(おおえやま)であるという。ここで義満は足利氏の命運をかけて山名氏と戦い勝利する。記録でも討ち取られた山名の武将のことを「鬼」と記してあるという。
さらに頼光の絵詞に義満が深く関わっていたことを示す証拠が、頼光が酒呑童子を退治した後に捕らえられていた中国人達を解放したことが描かれていることだという。これは義満が明との国交を樹立するために、倭寇によって捕らえられたいた中国人や朝鮮人を解放したことと符合するという。
では義満がこのような頼光の鬼退治の絵詞を作られた理由であるが、これは足利氏の権威を増すためであるという。そもそも足利氏は源氏の一門ではあるが、鎌倉時代にはいわゆる家臣団の一員であり、本来は足利氏と同格の家臣は多数いるのだという。そこで鎌倉時代をすっ飛ばして、さらに先の源頼光の権威を高め、その頼光と義満が自身を重ねることで、足利氏の権威を高めようとしたのだという。
このようにその時代の思惑などがいろいろあったりしたが、日本の中では今でも鬼の存在は人々の間に根付いている。今は「泣いた赤鬼」なんかのように描かれる鬼像も変わりつつある。
以上、日本人にとって鬼とは如何なるものだったかについて。鬼がそもそも疫神であり、伝染病などの象徴だったというのは「鬼灯の冷徹」でも言っていました。あの漫画大好きだったんですが、つい最近に完結してしまって寂しいばかりです。
ところで大江山の鬼退治ですが、確かに病の象徴的な存在ということもあるでしょうが、私はもっと端的に分かりやすい「山賊」の類いだと考えています。都に続く街道沿いの山なんて、いかにも山賊が根城にしそうなところです。そして大江山を根城にして暴れていた山賊を、中央から派遣された討伐軍が成敗したという辺りから鬼退治が始まっているのではないかと考えています。そうやって考えると、意外と源頼光は本当に鬼退治をしていたかも知れません。
忙しい方のための今回の要点
・日本には各地に鬼退治伝説があるが、京都北部の大江山は特に鬼退治伝説が多い山である。
・平安時代の源頼光による酒呑童子討伐が有名だが、それに先立つ飛鳥時代にも聖徳太子の弟である麿子親王が仏の加護を受けて鬼を退治したというエピソードが残っている。
・この場合の鬼とは、都の人々を苦しめた疫病(天然痘)のことだと推測できるとのこと。
・源頼光による酒呑童子討伐のエピソードは、自身の権威を高めることを考えていた足利義満が作らせたものと推測されるという。頼光のエピソードは義満が山名氏を討伐した状況とかなり符合しているという。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・源頼光による酒呑童子討伐は複数の絵巻などで残っています。権力者である義満が意図的に広げようとしていたのなら、広く流布されたのも納得のいくところではあります。
・ところで日本では、酒呑童子然り、八岐大蛇然りと、泥酔して寝込んだところを討ち取られるというエピソードが結構多いです。やっぱり昔から強い相手を確実に倒すにはその方法が一番堅いということでしょうか。
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