教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

2/10 BSプレミアム 英雄たちの選択 「真説!源平合戦 "悲劇のヒーロー"源義経の素顔」

義経が逆落としをしたのはどこか?

 今回は悲劇の主人公として未だに人気の源義経。実際にこの手の歴史番組でも既に数度にわたって取り上げられている。この義経についての新しい研究を伝えるという。

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 義経は打倒平氏を掲げて挙兵した頼朝の弟として京に向かう。そして1184年に一ノ谷の合戦で平氏の軍勢を打ち破ったことで名を馳せる。ここで義経は鵯越の逆落としを行ったといわれているのだが、実は鵯越と一ノ谷は直線距離で7キロも離れており、義経が鵯越の逆落としをして一ノ谷を落としたというのは理屈に合わないのだという。

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逆落しとある場所が一ノ谷。鵯越とは距離がある

 そのために諸説紛々となっており、甚だしきはこの逆落としのエピソードは捏造だとする説もある。これに対して奈良女子大学の前川佳代氏は、文献調査の結果として義経は一ノ谷で逆落としを行っており、鵯越とは一ノ谷の背後にあった山だとしている。

 前川氏によると、そもそも「ひよ」とは峠のことであり、尾根道の鞍部のことを鳥と呼ぶことから、鵯とはこの背後の山であるという。実際にここの尾根道は昔から義経道と呼ばれており、現場の土壌は平家物語に記されている通りに小石まじりの土壌だという。ここにある傾斜40度を越える断崖を義経は駆け下りて奇襲したのだとする。

 

現地武士を配下にすることで地の利を利用

 では東国から派遣されて間もない義経がこのような地形を活かした奇襲作戦を立案できた理由であるが、それは固有の兵力を有しない義経は、現地の武士たちを陣営に加えていたからだという。そして彼らの現地に対する知識を活かしてこの奇襲を成功させたのだという。

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戦いの天才・源義経

 まあこの説もまだ定説とまで言えないところで、番組ゲストの見解もバラバラだった。歴史家の呉座氏は鵯越をしたのは多田行綱で義経ではないという説で、磯田氏は多田行綱が現在の鵯越から攻め込み、それを見て義経が一ノ谷に奇襲をかけたのではとのこと。ちなみに私はやはり逆落としをやったのなら一ノ谷だろうと考えている(鵯越には逆落としをやるほどの険しい地形がない)。

 

短期決戦か長期戦かで悩む

 敗れた兵士は屋島にこもって建て直しを図る。安徳天皇と三種の神器を抱える平氏につく者も少なくなかった。これに対して頼朝は持久戦を図り、鎌倉より範頼を派遣して九州に向かわせる。頼朝は安徳天皇を確保して三種の神器を奪還することで後白河法皇との交渉を考えていたという。

 これに対して義経は京の治安維持を命じられていた。京の周辺にも平氏に通じる勢力は存在し、後白河法皇を守る必要があったのだという。義経はこれに活躍し、検非違使に任官されている。

 しかし頼朝の戦略は範頼派遣から3ヶ月で狂い始める。九州目前で範頼軍の進行が停止してしまう。兵糧米不足が深刻化して士気が著しく低下したのだという。範頼から義経に救援要請が来るが、この頃畿内では深刻な食糧難で摂津周辺の兵糧米の徴集を止めている状態であり救援が出来ない状態だった。この事態を打開するために義経の中には短期決戦の構想が膨らんでくる。

 ここで義経の選択が、1.短期決戦で屋島を攻める。2.頼朝の意向通りに長期戦で京都に留まる。である。これについては諸意見があったが結局は義経は短期決戦を決意する。なお軍事的にはこの選択が正しいが、義経の保身を考えた時にはまずい選択だったという声もあり、実際にこの後の運命にこの選択が響いてくる。

 

1ヶ月で平氏を滅ぼすが、そのことで頼朝と対立してしまう

 義経は後鳥羽上皇を説得して京を出陣する。だがこの時点では頼朝はこれを事後承諾した節があり、義経の代理を京に派遣したという。頼朝は義経が出陣したとしても長期戦になることは変わらないと考えていたのだろうとする。

 義経は摂津から瀬戸内海を渡り、陸路で裏手から屋島を奇襲する。虚を突かれた平氏は総崩れになって海上に逃れる。ここで平氏を逃してしまえば短期決着は不可能と考えた義経は独断で平氏を追討し、1ヶ月後に壇ノ浦で平氏を滅ぼしてしまう。しかしこの時に安徳天皇が自害し、三種の神器の内の宝刀が失われることになってしまう。これは頼朝の構想を根底から崩してしまう由々しい事態だった。ここで二人の間に亀裂が生じる。

 京に戻った義経は英雄として歓呼の声で迎えられる。そして後鳥羽上皇から官位を授けられる。しかしこのことが頼朝の怒りを呼ぶ。そしてついには頼朝の配下が義経邸を襲撃する。義経はここで挙兵を決意し、今まで従った畿内の武士に声をかけるが、義経に従う者はほとんどおらず、義経はわずかな供回りと共に京から落ち延びることになる。京の町に一切の危害を加えることなく整然と去って行ったという。その後、義経は4年の逃亡生活の末にこの世を去ることになる。

 

 以上、義経の生涯について。とにかく軍事的に平氏を打倒することを最優先していた武将である義経と、平氏討伐後の社会構想を描いていた政治家としての頼朝との考え方のズレが軋轢につながったと言える。が、そもそも人間不信の傾向がある頼朝のことであるから、どうしたところで「狡兎死して走狗煮られる」で、義経はいずれは粛正される運命にあったのではないかと思えるのだが、実際に磯田氏を始め、番組ゲストの多くも同様の考えだったようである。義経は戦いの天才過ぎがゆえに頼朝から見れば非常な驚異であったと言える。だから義経が生き延びるためには「もっとギリギリ勝ったというようにし、時にはわざと負けることもしたら」なんて話まで出ていたが、まあそれも一理ある。

 で、新しい研究をと銘打っていたその中身は鵯越の場所の話だけで、後は結構今まで普通に言われてきた内容ばかりであったという印象。まあ以前からこの番組はそういう傾向は良くある。磯田氏は歴史の専門家なので「これは新事実だ!大発見だ!」と騒ぐが、素人から見たら「それって今まで言われていたこととどれだけ違うの?」っていう場合が結構多いと私は以前から感じている。今回の鵯越の件にしても、そもそも逆落としをしたのは一ノ谷だと考えている私からしたら「うん、そりゃそうだよね」で終わりだった(笑)。

 

忙しい方のための今回の要点

・義経が一ノ谷の合戦で平氏を破った時、逆落としの奇襲をかけたとされるが、その場所については鵯越と一ノ谷には直線距離で7キロのズレがあることから場所に諸説ある。
・番組では一ノ谷の背後の山こそが鵯越であり、義経はここから奇襲をかけたとする説を紹介している。
・一ノ谷で敗れた平氏は屋島で建て直しを図り、頼朝は長期戦を狙い、義経は京の治安維持を命じられていた。しかし九州方面に派遣された範頼の軍勢が途中で苦戦して停止、さらには畿内は飢饉で食糧不足がひどかったことから短期決戦を考えるようになる。
・義経は結局は屋島を奇襲して、1ヶ月で平氏を滅ぼす。しかしその時に安徳天皇を自害させ、三種の神器の内の宝剣を失ってしまった。これは安徳天皇と三種の神器を確保して後鳥羽上皇との交渉材料にしようと考えていた頼朝にとっては切実な問題であり、このことで両者の間に亀裂が入る。
・ついには頼朝の配下が京の義経の屋敷を襲撃する事件が発生、義経は兵を挙げようとするが頼朝を恐れて従う者はほとんどおらず、やむなく京を落ち延びるが結局は東北で命を落とすことになる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・義経の生き方を見ていたら、正々堂々浄く正しくなんですよね。この辺りが未だにファンの多いところでしょう。京から落ち延びる時に乱暴狼藉をしていたら木曽義仲のように汚名を残してしまう可能性が高かったですが、それをしなかったのは大きい。京の民を心理的に味方につけていたので、後々まで伝説が残ったのでしょう。さらに言えば、この後の頼朝の京への対応は大概だったし。

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