教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

9/15 BSプレミアム プロジェクトX 挑戦者たち(リストア版)「薬師寺 幻の金堂・ゼロからの挑戦」(2000年10月17日放送)

薬師寺金堂再建の物語

 ボロボロになっていた薬師寺の金堂を再建する話。この番組は再建に当たった伝説の宮大工・法隆寺の鬼こと西岡とその元に集まった若手大工の話を中心にしているが、以前にヒストリアでこの再建のための費用集めに奔走した高田好胤の物語は扱っている。

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 とりあえずこの回は私の過去の放送時のアーカイブがあるのでそれを掲載する。

 

 

プロジェクトX 挑戦者たち「幻の金堂 ゼロからの挑戦~薬師寺・鬼の名工と若武者たち~」

 戦国の戦乱で焼け落ちた薬師寺金堂。今やほとんど資料も残っていなかったこの金堂の再建という難工事に挑んだ、鬼と呼ばれた名工と若い大工達の物語である。

 薬師寺住職に就任した高田には金堂再建の悲願があった。薬師寺の本尊は仮金堂に安置されているが、この仮本堂は老朽化による雨漏りで、内部で傘をささないといけないぐらいであった。高田は「タレント住職」と揶揄されながらも、テレビなどで一般人に寄付(一人1000円で写経を奉納する)を呼びかけて費用を集め、起工にこぎ着ける。

 この工事の棟梁を任されたのは、法隆寺の鬼と言われた宮大工・西岡。しかし彼の手足となるべき宮大工は一人もいなかった。しかし薬師寺金堂再建の話を聞いた若い大工が全国から彼の元に集まってくる。集まってきた50人の若者の中から西岡は30人を選び出す。しかし彼らの誰一人として宮大工の経験はなかった。

 この若い大工たちが西岡の元で一体となって金堂建設に奮闘する姿が今回の主題。「木と対話しろ」の一言しか言わず、黙々と仕事をこなしていく西岡の姿がまた今はなき典型的な職人であり、何やら懐かしさのようなものを感じさせる。しかし現在ではこんなやり方では若者の方がぶち切れて終わりだろう。そうならなかったのは、ここに集まった若者の方もやはり職人としてのプライドを持っていたからであろう。「北向きで育った木はどこにも使えないが、これを日の当たらない場所に使うと、いつまでもじっと耐える」という言葉で、どんな人材でも適材適所の使い方があるということを示した西岡の言葉が意味深い。これなど今時の企業の人事担当者に聞かせたい言葉である。建築でもクセのある木の方が強く、これは人間でも同じだという言葉など涙が出そうなほど立派な言葉である。

 なお私が小学生の頃に遠足で行った奈良の薬師寺の住職が、異常に喋りがうまかったのが記憶に残っていたが、 今から思えば彼が高田氏だったのだろう。つまりテレビ慣れしていたので、喋りがうまかったのかなどと納得してしまった。

 

 


 以上、アーカイブ。初期の頃の原稿なので結構アッサリとした記述である。実際に内容的にも「黙して語らず」の西岡の態度に戸惑う若手達の話が中心で、いかにも職人魂の世界という感じで、実際にはあまり語ることもなかったりする。つまりは西岡は職人らしく、若手が自らが考えて動くようにしているというか、そもそも教え方を知らないのではないかという気がする。「木と対話しろ」というのは、つまりは自分がそうやって感覚的に仕事を身につけてきたからであって、理論的にどう言う時にはどうと言えるようなものではなく、それはまさに経験によって身につけていくしかないってことだろう。

 ちなみにアーカイブでも書いてますが、私が小学生の時に「異常に喋りが上手い坊さんから薬師寺の説明を受けた」という記憶があり、まず間違いなくあれが高田好胤氏だったようです。当時は薬師寺の坊さんは話がうまいというのは有名でして、私の年代の者なら覚えのあるところでしょう。なおゆうきまさみの「究極超人あ~る」の修学旅行のエピソードでも「薬師寺の坊さんの話、面白かったな」という台詞が出てくるというのは、上のヒストリアでも記した通りです。

前回のプロジェクトX

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