教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

12/30 BSプレミアム 決戦!大坂の陣

11/17の歴史探偵の元ネタ版が登場

 11/17の歴史探偵で大坂の陣の新事実発見として「大坂城の水没防禦」について登場しましたが、この回はいつになくやけに気合いが入った内容の上に、宍戸開を起用してのドラマセクションという番組枠に対して明らかに予算過剰であったことから、「何かあるだろうな」とはあの時にも思っていましたが、やはり「何かがありました」。この年末特番は歴史探偵のあの回のノーカット版と考えれば良い内容です。

tv.ksagi.work

 というわけなので内容はほぼ先の番組をなぞっていますので、あの番組で割愛していた部分を中心に説明しますと、真田丸の合戦については家康の水抜き作戦が発動して真田丸背後の水が引いていっていたのをみた信繁が、このままでは真田丸は危ういとみて完全に水が引く前に戦いを行うべく徳川方を挑発して攻撃を誘い、そこに反撃で大打撃を与えたということ。

 

 

冬の陣後の内容がかなり増量されてます

 また大分増量されていたのは大坂冬の陣から夏の陣に至る経緯。先の番組でも恩賞が得られなかった牢人たちが暴走し、結局はなし崩しのように夏の陣に突入してしまったというような内容になっていた。この番組も内容的には当然同じだが、そこにさらに大阪城内には狭い足軽小屋に大量の牢人が押し込められている(10~15万人)という異常な状況であってもう既に限界に近かったということと。さらに牢人問題がすぐに解決できなかった豊臣方が、徳川に恭順する姿勢として堀の埋め立てを打ち出したということを出していた。秀頼としてはさすがに大坂城を完全に丸腰にしてしまうと、牢人たちも城に籠もるのは無理と諦めて出て行くだろうという考えがあったという。これは今まで大坂城の内堀の埋め立ては徳川方による騙し討ちとされていたので、これが豊臣方からの提案となると新事実となる。

 そこまでやったのであるが、結局は牢人たちは丸腰になった大坂城から出て行かず(彼らにとっては大坂城から出て行くことは直ちに糧食を失うことであり、出ていたくても出て行く当てがなかった)ということで、牢人問題の解決にはつながらず、牢人たちによる治安悪化の問題などもあって家康としては見過ごすわけにも行かなくなってとうとう再戦となったとしている。

 なお夏の陣でも当初は秀頼はギリギリまで家康と交渉をしていたとしている。天王寺の谷を最前線にして徳川方と睨み合いをしており、秀頼は牢人たちに攻撃を仕掛けることのないようにとの厳命を下していたという。秀頼は豊臣家の国替えを飲む代わりに代わりの領地に少し色をつけてもらって、その中から牢人たちの恩賞にする分を割こうと考えていたという。

 しかし交渉は昼頃までに及び、じれた家康の孫の松平忠直がしびれを切らして命令違反で兵を動かしこれに豊臣方が応戦、なし崩しに全面戦闘に突入してしまう。さらにこの状態を見た真田信繁も家康本陣に向かって突撃開始。秀頼が試みていた交渉は決裂に至る。そして信繁は家康本陣に迫るものの討ち死に、豊臣軍は総崩れとなる。最後に臨んでも秀頼は家康にひざを屈する屈辱に耐えてでも豊臣の名を残そうとしたようだが、最早家康は聞く耳を持たず、結局は豊臣家は滅亡に追い込まれたとしている。

 

 

 ちなみにこれは番組では触れていないが、松平忠直は後に大坂の陣での褒賞などに不満を持ったことから幕府に対する不信感が強まり、ついには乱行が理由で強制的に隠居されられて謹慎処分となっている。どうやらそもそもこらえ性のなかった人間と思われる。またいずれにしても武に偏ったタイプの人間で、後の平和の世には対応できないタイプの者だったのだろう。

 今回の番組の最大の観点としては、秀頼は今まで言われていたような淀君にリモートコントロールされているだけの暗君(これは多分に後の徳川時代に意図的に作られたイメージ)ではなく、意外と行動力も策もあったということ(私はだからこそ家康は自分の馬鹿息子である秀忠の将来を案じて、どうしても秀頼を葬りたかったと見ている)をかなり強調している。

 さらには世間的には忠臣としてイメージのかなり良い真田信繁であるが、実際は自分の名を上げるためにかなり暴走しており、秀頼にしたら扱いに困っていたという側面を強調している感がある。まあそういう側面もあったのは事実であろうが。真田は小領主だったので、父の昌幸にしてもとにかく乱を好むという側面は確かにあった。

 以上、このような年末特番の登場で「ああ、あの回は素材の丸々流用だったのか」と妙な納得がいった次第。いかにもNHKである。もしかしたらNHKスペシャル辺りでもう一回流用するかも。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・大坂の陣では豊臣方は淀川の堤防を切って城下を水没されるという作戦をとった。
・これに対して徳川方は外様大名を動員して突貫工事で堤防を建設させて水抜きを行った。
・一旦は和睦した両軍であるが、豊臣方がかき集めた牢人たちの処遇が難航し、それが治安の悪化につながったことから、ついには家康は再度の豊臣攻撃を命じる。
・秀頼は最後の最後まで家康との交渉を試みていたが、じれた徳川方の松平忠直が勝手に戦闘を開始するに及んでなし崩しに全面衝突、結果として交渉は決裂して豊臣家は滅亡に追い込まれる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・戦いが一旦始まると、上がいくら止めたいと思ってももう止めようがなくなってしまうという話、どこかで聞いたことがあるなと思っていたら、大河ドラマに出て来た鳥羽伏見の戦いの時の徳川慶喜だった。この時は慶喜は結局は嫌になって逃げ出したんだが、実は秀頼も本音は逃げ出したかったろうな。