戦後の大事件
12名を殺害した犯人とされて死刑判決を受けた平沢貞通が無実を訴え続け、結局はそのまま95才で獄死してしまったために真相は有耶無耶にされてしまったが、限りなく冤罪の可能性が高いと言われている帝銀事件について。
事件は3時の閉店直後の帝国銀行椎名町支店に東京都防疫課の腕章を付けた男性が訪れたことから事件が始まる。彼は近くで集団赤痢が出て、その患者が今日ここに預金に来ていたので消毒薬を飲んで欲しいと告げる。そして薬を分けると自ら飲んで見せてそれを真似するように言ったという。そして銀行員が薬を飲んで1分すると、今度は第2薬を湯飲みについで飲ませたという。銀行員達はその内に喉の痛みを感じて、次には次々と嘔吐して倒れたという。彼は毒物を飲ませたのだった。そして苦しむ銀行員をよそ目に現金16万4000円と1万7400円分の小切手を盗んで逃走、結局は銀行員12人が死亡する。
このような犯行が成功したのは時代背景もあると言う。この時代は衛生状態が悪かったことから集団赤痢という理由は説得力があったという。また犯人が落ち着いた物腰で薬の扱いに慣れており、さらに自ら飲んで見せたことで銀行員達は信用したという。
杜撰な捜査で難航する中、思いがけない線で容疑者が浮上
警察はただちに犯人の似顔絵を作成して大規模な捜査を開始する。犯人逮捕はすぐだと思われたが予想外に難航する。それは最初は近所の人達が集団食中毒だと思って銀行内に入り込んだので、救助などの際に現場が荒らされたこと。さらに警察側の鑑識も杜撰で、残っていた毒物をまとめて醤油瓶に入れたために化学反応が起こって後の解析が困難になったという。
またジャーナリストの大谷昭宏氏によると、鑑識活動が極めて雑であったが、椎名町支店に詳しい人間の犯行だろうなどの思い込みから、遺留品をしっかりと固めるという発想がそもそもなかったのではという。このような雑な捜査の背景としては、戦前の特高警察などの強権的警察が批判を受け、戦後しばらくはGHQによって警察組織が分割されたので、警察自体が人員不足でレベルが低かったことがあるという。
椎名町支店の内情に詳しい者と毒物の線から進む捜査とは別に、名刺を追いかけた捜査官がいた。それは帝銀事件発生前に近くの銀行で同様の手口の未遂事件が発生しており、その犯人は名刺を渡していたという。そこで名乗った2人の人物のうち、1人は架空の人物だったが、もう1人の厚生技官の松井蔚は実在の人物であり、彼は完璧なアリバイがあったことから、彼と名刺交換をした人物を追いかけた。そんな中、事件から7ヶ月後に小樽で56才の画家の平沢貞通が容疑者として逮捕される。彼は青函連絡船の中で名刺交換をしたが、その後に財布を盗まれたとして名刺を持っていなかった。また勇み足と言われながら捜査官が平沢を本星と睨んだのは、占い師から「平沢」という名前を聞いていたからだという話があるという(とんでもないな)。
平沢はアリバイがハッキリしておらず、事件の後に大金を所持していたが入手経路が不明という状況証拠はあったが、物証はなかった。しかも平沢は犯行を否定していた。そこで厳しい取り調べが行われる。平沢の勾留は余罪でズルズルと延長され、徹底した取り調べを受ける。そして逮捕から37日が経った後、自分が犯人だと自白する。物的証拠は全くなかったのだが、自白さえあればそれで解決というのが当時の警察の感覚で、当時はまだ新憲法への過渡期であり、まだ新憲法の人権感覚は浸透していなかった。
一転して裁判で無罪を主張するが死刑確定、しかし多すぎる不審点
しかし裁判が始まると平沢は犯行を否定、自白を翻す。ではなぜ平沢が自白したかであるが、彼は33才で狂犬病の予防注射を受けた時、副作用で意識不明となり、コルサコフ症候群と診断されたという。これは脳炎で脳の一部が破壊されることで記憶障害や時と場所に関する判断力を損なう病気だという。そのために作り話をしやすくなり、特に他から暗示されると作り話をする症状があるのだという。だから捜査官から執拗に取り調べを受ける内に犯人であるかのように誘導されたというのである。なお私はコルサコフ症候群についてはよく知らないが、これと同じことは子供などにもよく起こると言われており、だから子供の証言を取る時には慎重さが必要だという(以前にダークサイドミステリーで施設の虐待事件に関連して取り上げられていた)。だが平沢には死刑の判決が下る。そして控訴や上告も棄却され、平沢の死刑は確定する。
獄中からも無罪を訴え続ける平沢の声に応える者達が出始める。そして調査が進んだ結果、様々な無実の証拠も集まり始める。まず平沢は名刺は財布ごと盗まれたと主張していたが、実際にこの被害届が警察に出されていたことが明らかとなる。さらに逮捕時に所持していた大金については、春画を描いて得たと判決後に弁護士に告白した。画家のプライドとして隠していたのだという。しかし肝心の依頼主が亡くなっていたので確認が出来なかった。
そして一番怪しかったのが使用された毒物の正体。杜撰な鑑識のせいで青酸化合物としか分からなかったのだが、裁判では青酸カリと決定されていた。これが奇妙なのだという。青酸カリにしては毒が効くのが遅すぎるということがあるという。だから実際の毒物は遅効性で旧日本陸軍が開発したアセトンシアンヒドリンと考えられるという。これは簡単に入手できるものでなく、平沢が入手するのは不可能である。犯人は薬物に精通していると考えられ、油などの比重の軽い物質を毒瓶の中に入れておいて、自分の時にはそれだけをピペットで取って飲んで見せ、銀行人に信用させてから毒物を飲ませたと推測できるという。当初は警察も毒物を扱い慣れた人物として旧軍関係者(731部隊なども含まれる)を捜査していたのだが、ある時点で突然に捜査方針が変更されているという。また毒物の鑑定結果も最初は青酸カリではありえないとなっていたのに、平沢の逮捕後に急に青酸カリということに変わったという。それは日本の731部隊などの人体実験のデータを入手したいと考えたGHQが免罪と引き替えに旧軍関係者と取引していたからだという。そのために彼らが犯人だったらまずかったのだという。となると、GHQも平沢を犯人にでっち上げたということになる。これこそ戦後日本の闇である。
平沢は再審請求を繰り返したがそれは認められなかった。しかし死刑確定後から32年、結局刑の執行は行われなかった。つまりは刑の執行にゴーサインを出す法務大臣が誰も「この事件は冤罪ではないか」との疑いを抱いていたからだという。結局は最後まで宙ぶらりんとなってしまったのだという。平沢は死ぬまで獄中で絵を描き続け、95才で獄死している。
どうも状況から見て限りなく冤罪の可能性が高そうなのだが、と言うことはかつて軍隊内で多くの人体実験を行った挙げ句、戦後には12人も殺害する鬼畜の所行を行いながら、米軍の事情で無罪放免された悪党がいるということになる。無罪の人間が獄死したという事実と共にこの事実も極めて重いことになる。
まさに戦後の闇である。今日ならここまで決定的に物証が欠けていたら、疑わしきは罰せずの原則で無罪だろう。まだ戦前の名残もあるいい加減な時代だから有罪になってしまったというのが実態である。
まあ戦後のひどい時だったからと思ったが、以前に登場した3億円事件の時は既に戦後から結構経ってたんだが、あの時の捜査も大概ひどく、その結果として犯人を逃がしてしまっている。そう考えると、果たして警察って大丈夫なんだろうか? まあ今時なんかは、意図的に巨悪を逃がしているが。
忙しい方のための今回の要点
・帝国銀行椎名町支店の銀行員16人が毒を飲まされ、金品が奪われて12人が死亡したのが帝銀事件である。
・当初は椎名町支店の内情に詳しい者が犯人と見られ、犯人はすぐに見つかると思われていたのであるが、初期のずさんな捜査などのせいで物証がほとんどなく、捜査は難航する。
・その中で過去の類似の事件で用いられた名刺の線から画家の平沢貞通が逮捕される。
・物証は全くなかったが、長期の拘禁での取り調べの結果、37日後に平沢が犯行を自白する。
・しかし裁判になって平沢は自白を覆して無罪を主張する。だが裁判の結果は死刑。控訴も上告も棄却されて刑は確定する。
・平沢は獄中から無罪を主張し続け、それに応えての調査の動きも起こる。その結果、様々な不審な点が浮上する。
・特に使用された毒物は裁判では青酸カリとされたが、青酸カリにしては効果が出るのが遅すぎ、旧日本軍が使用していたアセトンシアンヒドリンであると考えられ、それだと平沢のような一般人に入手不可能である。
・警察も当初は軍関係者の線を当たっていたが、途中で捜査方針が変更された。背後には旧日本軍の毒ガス人体実験のデータなどを入手することを軍関係者の免罪と引き替えにしたGHQの関与が疑われている。
・結局は平沢の再審は認められなかったが、歴代法務大臣は平沢の冤罪の可能性を考えて刑を執行できず、そのまま平沢は95才で獄死する。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・それにしても「臭い物には蓋」という典型的な日本的決着法で有耶無耶にしてしまった事件です。そういう点で後々まで禍根を残してますね、この事件は。
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