教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

9/21 BSプレミアム 昭和の選択「破局への条約 三国同盟~松岡外相と影のキーマン大島浩~」

日本の孤立とヒトラーの台頭

 中国と泥沼の戦争を続けていた日本が、その上にアメリカとの戦争という破局への一直線進むことになった原因となった日独伊三国同盟。どういう経緯で日本は三国同盟に突っ走ることになったかが今回のテーマ。

 傀儡国家満州国建国以来、欧米の警戒心を煽り日本は国際連盟を脱退するに到っていた。首席全権の松岡洋右は欧米の圧力に屈しなかったと帰国したら歓呼で迎えられる。

 その頃のドイツは第一次大戦の敗北による賠償金や軍備の制限などを受けていた。その不安な政情につけ込んで台頭してきたのがヒトラー率いるナチ党だった。ヒトラーはソ連を敵視していた。

問題の駐独大使の大島浩

 

 

ヒトラーに心酔して日独同盟を進めようとした大島浩

 日本陸軍からドイツ駐在武官として派遣されていた大島浩はドイツでソ連の情報収集に当たっており、ドイツ国防省諜報部長のカナーリスに接触して軍事に関する協議を重ねていた。そこにヒトラーの外交顧問であるリッペントロップが割り込んでくる。彼はヒトラー政権での地位を得るために、2人の協議を国家レベルのものにすることを持ち掛けた。両者は外務省を通さずに話を進めるが、3ヶ月後にソ連に情報が漏れたことで中断する。

 しかしスペイン内戦が勃発、ヒトラーが反共の姿勢を示したことで日独交渉は再び動き出す。ヒトラーは反共を訴えることでイギリスを味方につけたかったらしいが、それが出来なかったことから日本が浮上することになったという。大島はヒトラーに心酔していたようで、ヒトラーのことを天才だと語っている肉声も残っている。日本政府もドイツと結ぶことはソ連を牽制する上でメリットがあると考え、1936年11月25日に日独防共協定が締結される。

 1937年、日本は大陸での権益拡大を目指して中国と全面戦争に突入する。そのことによって蒋介石政権を支援するイギリスとの対立が露わとなる。一方のドイツではヒトラーが軍を掌握してオーストリア併合に出る。ヒトラーは英仏に対抗するために日本との協定を進める。大使に昇格していた大島には願ってもないことだった。大島は外務省に無断で動き、軍事同盟締結に独断で合意する。しかしそれはアメリカとの戦争に結びつく危険な行為であり、海軍は強硬に反対する。しかしその矢先にドイツがソ連と不可侵条約を結ぶ。日本にとっては裏切りに等しい。大島はドイツ大使の座を失って失意の中で帰国する。

 

 

ドイツの破竹の進撃に日本国内で再び日独同盟の機運が

 ソ連と不可侵条約を結んだ一週間後にドイツはポーランドに侵攻して第二次大戦が始まる。ドイツはフランスを屈服させるなど破竹の進撃で残るはイギリスだけとなった。一方の日本はアメリカから資源輸出の制限を受け、資源を求めて南方へ野心を抱く。しかしそれはイギリスやアメリカと対立することにつながる。日本はドイツの勝利を信じて再び軍事同盟の締結を望むようになる。

 1940年7月、新内閣で松岡洋右が外務大臣に就任する。ヨーロッパではドイツのイギリス侵攻が停滞し始めており、アメリカもイギリス支援に動いていた。ヒトラーはアメリカを太平洋に引き付けておくために日本の動向を探るべくシュターマーを送り込む。彼は大島の元を訪れる。松岡は大島にシュターマーの人となりを聞くと共に、ドイツとの同盟の原案を書くように依頼したという。松岡は日ソ独伊の同盟を考えていたのだという。条約締結の交渉は松岡の自宅で密かに進められ、参加したのは松岡とシュターマーに駐日ドイツ大使のオイゲン・オットだけだったという。ドイツは日本にアジアや南洋の日本の権益を認めると共にソ連との仲介をするという好条件を示した。ただ問題となったのは参戦義務だった。これがあるとドイツがアメリカから攻撃された場合に日本も自動的にアメリカに参戦することになる。松岡は参戦については三国で一旦協議することを主張し、シュターマーとオットはこの案を本国に送る。しかしドイツ本国は自動参戦の義務を銘記したものを送り返してくる。

 

 

参戦義務が曖昧なまま同盟を締結するが・・・

 ここで松岡の選択であるが、軍事同盟を締結するか、しばらく世界情勢を静観するかである。これについて現実的に同盟締結しか手がなかったのだが、そもそもドイツと日本の思惑は完全にずれていたと指摘している。

 結局は苦肉の策が取られる。オットから松岡に公式文書でなく個人的な手紙で日本の自主的な参戦判断を認めると記すという手だった。松岡は枢密院の会議で自動参戦義務はないとオットの手紙を根拠にして主張して意見を通す。その結果、交渉の三週間後に日独伊三国同盟が締結される。翌年松岡はドイツに渡り熱烈な歓迎を受ける。その帰り道にソ連に立ち寄るとスターリンと電撃的に日ソ中立条約を締結する。しかしその2ヶ月後にドイツがソ連へ進軍、松岡の日独伊+ソ連でアメリカを圧迫するという構想は吹き飛ぶ。そして日本はそのままアメリカと開戦することになる。これを聞いた松岡は「三国同盟の締結は僕一生の不覚」と漏らしたという。

 

 

 番組ゲストたちも言っていたが、中国戦線が完全に泥沼化して、その結果として希望的観測だけに基づいて飛びついてしまったというところがあるようである。また大島については駐独ドイツ大使と言われていたぐらい、日本よりもドイツの国益を優先していたところがあるという。ちなみに大島は東京裁判で終身刑となり、後に恩赦で釈放されたそうだが、昭和天皇が「大島がなぜ死刑にならないのか」と語ったとか。日本を破滅に突っ走らせた主犯の一人と昭和天皇も感じていたんだろう。

 それにしてもこの「根拠のない希望的観測にすがって破滅する」というのは今でも繰り返している。コロナなどでも「夏になる前に収束する」という何の根拠もない楽観論を吹聴する政府の大者がいて、その結果としてろくな対策を取らなかったために医療が破綻したという結果につながった。人間の心理として追い詰められれば追い詰められるほど「ここで一発大勝負で今までの負けをチャラ」と考えるようになるとか。三国同盟も「ヨーロッパでドイツが勝つだろうから、日本もそれに乗っかって大きな利権を」という何の根拠もない大博打に乗ってしまったわけである。そう言えば、カジノで大儲けなどという根拠のないことを吹聴している馬鹿が大阪にいる。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・陸軍のドイツ駐在武官だった大島浩はソ連の情報を集めていたが、ヒトラーに傾倒してドイツと同盟を結ぶ方向で動き始める。
・一方のヒトラーは反共を訴えることでイギリスを味方に引き入れたかったのだが、それが出来なかったので日本に目をつける。
・中国と全面戦争になり、イギリスとの対立が強まってきた日本では、大島が独断専行でドイツとの同盟で動く。しかしドイツが唐突にソ連との不可侵条約を締結したことで日独同盟は頓挫する。
・しかし中国戦線が泥沼化、一方ドイツはフランスを下して破竹の進撃を続ける中、外務大臣に就任した松岡洋右はドイツを仲介として日ソ独伊で連携してアメリカと対抗する構想を抱き、三国同盟へと動く。
・しかしドイツとアメリカが戦争になった時に、日本が自動参戦する条項が問題となる。結局松岡はそこのところを曖昧に誤魔化した形で日独伊三国同盟が締結されることになる。
・松岡はスターリンと日ソ中立条約を締結するが、その2ヶ月後にドイツがソ連との戦争を開始、松岡の構想は露と消える。そして日本がアメリカと開戦した時、松岡は「三国同盟の締結は僕一生の不覚」と漏らしたという。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・たまにいるんですよね、この大島のように「一体どこに対して忠誠心を持ってるんだ?」と言いたくなる奴。その上に彼は自身の功名心もかなり強かったらしい。まあこういうのが独断専行したら大抵は亡国に結びつく。

前回の英雄たちの選択

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