教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

11/2 BSプレミアム 英雄たちの選択「幻の一大決戦!秀吉vs.毛利~真説「鳥取城の戦い」」

鳥取城攻城戦の真の目的

 秀吉による鳥取城攻略戦は、完全包囲による大規模な兵糧攻めで勝敗を決した戦いとして有名である。ここで兵を損耗せずに堅城である鳥取城を落とした秀吉は、信長から高く評価されてさらに毛利攻略に力を入れることになる。これまではこの戦いは秀吉の毛利攻略の一環のあくまでローカルな戦いとして解釈されてきたが、実は秀吉のもっと大きな戦略構想があったということが最近になって指摘されている。

 本願寺を下して畿内を完全に掌握した信長は、毛利を攻略するべく羽柴秀吉にそれに当たらせた。秀吉は別所氏の三木城を下すと播磨の姫路城を拠点に播磨・但馬を攻略、次に因幡の毛利氏の要である鳥取城の攻略にかかる。

 番組では「お城クン」こと千田氏が実際に鳥取城を訪れているが、鳥取城は現在では建物は残っていないが、麓には見事な石垣が連なる立派な近世城郭である。ただしこの城郭は江戸時代のものである。

鳥取城の巻石垣

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堅固な山上要塞

 戦国時代の鳥取城の本体はこの麓の居館でなく、背後の久松山に本丸を置く巨大な山城であり、全山を要塞化した極めて堅固なものであった。

鳥取城の本体はこの山上

山上からの風景は思わず笑いが出るレベルの絶景

 1580年秀吉はこの鳥取城に対して進軍を開始する。海からは秀長が西からは織田についた南条氏が進軍を開始して鳥取城を囲む。これが第一次鳥取城の戦いである。これに対して城主は毛利についていた山名豊国彼は家臣の反対を押しきって秀吉に降伏を申し入れる。

 

 

太閤ヶ平から見える秀吉の大戦略

 しかし秀吉が姫路城に帰った後、事態が急変する。南条氏に対して毛利が攻撃を開始して南条氏は孤立、さらに因幡の各地で反織田の一揆が勃発、山名氏が家臣達によって追放されて鳥取城が再び毛利方の手に渡ることになる。そして新しい城主として吉川経家が毛利本国より派遣される。

 再び鳥取城攻略に乗り出した秀吉は鳥取城の周囲に付城群を築いて鳥取城を完全包囲する。その要は鳥取城の背後に築いた太閤ヶ平である。こうして秀吉は総延長12キロに及ぶ大防衛戦を築く。

 ここで千田氏が太閤ヶ平を視察しているのだが、野戦の陣城とは思えない大規模で本格的なものである。さらに天守が築かれていたのではないか推測できるという。わざわざこんなものを作った目的こそが今回のテーマである秀吉の大戦略構想なのだという。

本丸周辺の土塁に堀に土橋

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 千田氏によると秀吉はここに信長を招くつもりだったのではという。つまり信長が入城する御座所として太閤ヶ平は建設されたのだという。実際に秀吉が御座所という言葉を用いている文書も見つかっている。地元の歴史家の岡村吉彦氏によると、秀吉が西の伯耆の方に兵を進めるとしていた文書も見つかっており、秀吉は伯耆に進行することで毛利の主力軍を引っ張り出し、そこに信長の本隊がやって来て毛利と一大決戦に及ぶという構想があったのではという。つまりは鳥取城攻略戦を毛利攻略の緒戦ではなく、毛利と決着をつける大決戦にしようと考えていたのではということである。

 

 

しかし結果として構想は頓挫する

 しかしこの秀吉の構想は頓挫する。毛利方の手強い抵抗で秀吉の西進は阻まれてしまう。ここで秀吉の決断であるが、当初の目論見通り西への進軍を続けるか、それとも断念すして鳥取城攻略に専念するかである。なお千田氏が毛利の防御施設である大崎城を訪問しているが、極めて堅固な城郭を毛利が準備していたことが覗われ、秀吉の西進が困難だったのが分かるという。

 これについて磯田氏を始め、ゲストの大半は城攻めに専念。ただ信長に対して功績をアピールすると言う意味ではあくまで西進作戦を実現するべきではという指摘もあった(中間管理職の難しさだという)。ただこれに対して磯田氏は、この時点の秀吉が作戦を強行すると最悪は討ち死にの危険もあったとする。

 そして秀吉は西進を断念することになり、やむなく鳥取城攻略に専念する。この戦いは物資を運び込もうとする毛利軍と、それを阻止するための包囲網を築く秀吉軍との戦いになる。鳥取城内は物資が尽きて苦しむことになるが、実は秀吉軍も兵糧不足で悩んでおり我慢比べになっていたという(この窮状を知った信長が船で兵糧を運搬させたという)。そして兵糧が尽きた吉川経家が降伏、自らの切腹と引き替えに城兵の命を助ける。こうして鳥取城は陥落する。鳥取城開城で毛利方の国衆も降伏して秀吉は何とか因幡平定を成し遂げる。

 なおこの番組では触れていないが、兵糧が尽きて城内が惨状を極める中で、最後まで部下を乱れずに統率し続けた吉川経家は名将としての評価が残っている。

 その5ヶ月後に行われたのが備中高松城の水攻めである。ここで秀吉は毛利本隊を後詰めに引きずり出すことに成功、それに対して信長も兵を率いて出陣することを決定する。鳥取城で出来なかった一大決戦がここで実現することになるはずだった。しかし出陣途上の信長が本能寺で討たれることになり、天下は揺れてくことになるのである。

 

 

 鳥取城の戦いが秀吉の大きな戦略構想の一環だったという話。まあ確かにあり得る話ではある。確かに鳥取城の戦いはたかが一地方の攻略戦にしては規模が大きすぎるというのは感じていたし、太閤ヶ平も私も実際に訪問して、あそこまで規模が大きい陣城を普通は築くかと思ったりもした。

 もっともかなり大規模な陣城というのは存在しないわけではなく、柴田勝家が秀吉との決戦のために築いた玄蕃尾城も驚くほど規模が大きいものだった。柴田勝家にしたら秀吉との決戦はまさに天下を定める合戦とみていたからあれだけの陣城を築いたのであろうことを考えると、秀吉が太閤ヶ平を毛利との決着をつける(まさに天下を定める一環である)として考えていたということは筋が通る。

 ところで久しぶりにお城クンこと千田氏のハイテンション現地視察を目にしたわけだが、相変わらずご健在だなという印象。彼を見ていると不思議と自分もまた山城訪問をしたくなる。特にあの大崎城は気になったな。因幡の城郭群といえば防己尾城跡は訪問したことがあるが、あれはかなり大規模で堅固な城郭だった。中国地方は谷間ごとにこういう堅固な山城が点在するとなったら、秀吉が毛利本隊を引っ張り出して一気に決着をと考えたことも納得がいく。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・毛利攻めを開始した秀吉による局地戦と考えられていた鳥取城攻めだが、実は秀吉の大きな戦略構想があることが分かってきた。
・秀吉は自身は西進して毛利領深くに攻め込み、後詰めのために毛利本隊を引っ張り出したところで、本隊を率いた信長が太閤ヶ平に入城して織田VS毛利の一大決戦を行うことを狙っていた。
・しかし毛利方の抵抗は激しく、秀吉は行く手を阻まれて西進できず、秀吉の戦略構想は水泡に帰す。
・やむなく秀吉は鳥取城攻めに専念することにして、徹底した包囲によって兵糧の尽きた鳥取城は城主の吉川経家が、家臣の命を救うことを条件に自ら切腹して降伏する。
・秀吉は鳥取城で実現出来なかった決戦を、備中高松城で行おうとするが、本能寺の変が発生してしまう。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・鳥取城はかなり昔に登ったことがありますが、とにかくスゴい山城です。その時は私は水がなかったせいもあって死にかけました。私がミネラル麦茶のことをライフラインと呼ぶのはその経験からです。

前回の英雄たちの選択

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