教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

10/4 NHK 歴史探偵「戦の神 上杉謙信」

謙信の強さの秘密は日本海にあり

 とにかく戦いに滅法強く、戦国最強の呼び声も高い上杉謙信について、その強さの源について分析するという。先週の北条氏に続いての戦国シリーズである(この番組も大河の宣伝とかばかりで、そろそろ視聴率が気になってきたか)。

戦国最強大名・上杉謙信

 まずは謙信の強さの秘密に迫るべく、本拠である春日山城(謙信の格好いい像が立っているところだ)を訪問している。春日山城は標高180メートルの山を丸ごと城にした難攻不落の堅城であり、この堅固な山城が上杉謙信の強さの秘密・・・ではない。実際のところ謙信はこの城で戦ったことは一度もない。この辺りが北条氏と違うところ。

 実は謙信の強さの秘密はこの城にも生えている青苧だという。越後でよく取れた青苧は茎を線維にして越後上布の原料とされた。これは高級織物として京でも人気で、それが謙信に莫大な富をもたらしたという。そしてその時に交易の大動脈だったのが日本海である。当時の日本海には交易港が多く、羽賀瀬船という櫂を備えた帆船が行き来していた。この交易が謙信の富の源泉だという。

 さらに佐渡では金と銀を産出していた。謙信の時代には灰吹法という製錬技術が大陸から石見に伝わったことで、大量の銀を産出するようになったのだという。この灰吹法が日本海経由で佐渡にも伝わったのだという。これらの強力な経済力が謙信の力の源であったという。

 

 

日本海を通した中央との結びつきや、さらに海を生かした戦闘も

 なお謙信と言えば信玄との川中島の戦いが有名であるが、これは信玄が信濃に進出したのが原因であるが、信玄が北上したのも信濃を通って日本海側の港を得たかったのではという。なお信玄が日本海側の港が欲しかったのは交易の富もさることながら、上洛ルートを得るということもあったらしい。で、既に上洛ルートを持っていた謙信は上洛を果たしており、幕府と結びつきを強めたことで関東管領の地位を得ている。謙信はこの関東管領の地位のおかげで関東の勢力を配下に収めることが出来、それによって北条氏を攻めている。この京との結びつきが謙信の強さの理由の一つであり、これもまた日本海ルートの恩恵だという。なお謙信は将軍の足利義輝から火薬の調合の秘伝書ももらっており、これによって鉄砲も重要装備として使用しているという。

 しかしその日本海に対して朝倉氏を滅ぼした信長が手を伸ばしてくる。信長は謙信の日本海ルートを遮断することも目論んでいたという。これに対して謙信は信長討伐の兵を挙げ、信長は柴田勝家を派遣する。争点は能登の七尾城。この堅固な山城には畠山氏が存在し、畠山氏は信長と手を結んでいた。謙信は信長と戦うためには背後の憂いである七尾城を落とす必要があった。この時に謙信は1万の水軍を動員し、北部に大兵力を上陸させて南からの本体と挟み撃ちにして畠山勢の戦意を削ぎ、結局は内紛で落城している。七尾城を落とした謙信は電光石火で織田軍を襲撃、手取川で織田勢は散々に打ち破られている。謙信は「織田軍は案外弱かった」と語っているという。

 

 

 以上、とにかく滅法強かった謙信であるが、その強さの秘密は日本海であったという結論。まあ上杉軍が強かったのは謙信の経済力にあるっていうのは事実だが、それを抜きにしてもとにかく滅法強かったという事実がある。謙信が織田軍は弱かったと言っているが、それは事実であろう。元々尾張の兵は越後の兵に比べると弱く、同等の条件では勝ち目がなかったと考えられる。だから信長は最新鋭の装備などを整えて、その弱兵軍団を精強な軍団へと変えたわけで、手取川の合戦のような急襲でその装備の差などの優位を発揮出来なくなったら、呆気なく崩壊したのも道理である。

 一方の上杉軍はそもそも越後の兵が精強である上に、アル中で恐怖心が麻痺しているような謙信が先頭に立って突っ込んで来るんだから、そりゃ敵にしたら恐いなんてもんじゃなかったと思われる。上杉謙信といういささかいかれたカリスマを担いでいるってことも上杉軍の強さの理由の大きなものであったろう。だから謙信亡き後の上杉軍があそこまで急激に弱体化したのであるが。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・上杉謙信の強さの秘密はその経済力にもあったが、それを支えたのは高級な越後上布の原料となった青苧の生産と、交易のための日本海の輸送路にある。
・さらには佐渡で大量の銀を灰吹法で産出出来るようになり、これも謙信の経済力につながった。
・また日本海ルートで京との結びつきが強く、幕府から関東管領の地位を得たことが関東への進出でも有効に働いた。また幕府から火薬の調合法の情報も得ていた。
・信長が謙信の日本海ルートを遮断するべく柴田勝家を派遣してきた時は、背後を突かれる恐れのある七尾城を1万の海軍との挟み撃ちで落城させ、電撃的に織田軍を急襲することで完膚なきまでに叩きのめしている。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・なんだかんだありますが、上杉謙信戦国最強説は目下のところあまり動かないようです。ただしこの人物は局地戦ではべらぼうに強いが、戦略眼があったかはかなり怪しいですが。それに政権構想的なものもあまりない単なる復古主義者の感があります。

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