実は決して最初から険悪ではなかった日露関係
今から120年前の日露戦争。その原因について新たな側面に注目するという。戦争に至ったのには両国に意識のズレがあったのだという。
まず日本とロシアの関係であるが、江戸事態の終わりからロシアが日本に接近してくるにつれて様々なトラブルが発生している。しかしそれほど険悪な関係かというと、昔から漁師などはロシアとの交流があり、ロシアで働いている者もいたという。ロシア人とコミュニケーションを取るための手製のロシア語辞典などまで残っているという。また函館にはロシア領事館があり、ここを起点にロシアと日本の交流が始まっていたという。日本においてロシアはそれだけ重要な存在だった。明治天皇もロシアを重視しており、ロシアの皇帝アレクサンドル2世を「親友」とまで表現しているという。ロシアは先進国を目指す日本にとっても兄貴分だったのだという。
日露関係を揺るがす大事件として大津事件が発生した。来日したロシア皇太子のニコライに護衛の巡査の津田三蔵が斬りつけた事件である。ロシアが攻めてくる危険さえある事態だったが、それは起こらなかった。それは日本全体が関係改善の方向に動いたからだという。明治天皇は療養中のニコライの元を見舞いに訪れ、ニコライの元には日本中からお見舞いの電報が届いたという。帰国するニコライは日本に恨みはないと語ったという。
三国干渉に対しての両国の認識の大きなズレ
日露交流の拠点だった函館の箱館山には実は砲台がある。これは海の防衛を睨んだものであり、ロシアを警戒したものである。日本とロシアの関係の転機となったのは三国干渉である。しかし実は日本政府にとってはこれは想定内だったという。しかし国民の方が激怒してしまい「臥薪嘗胆」という言葉がキーワードとして新聞に掲載されることになった。つまりは「いつかこの恨みは晴らす」という気分が蔓延してしまったのである。
これに対してロシアの方は三国干渉が日本の敵意を高めるということは全く考えていなかった。ロシアの視線は最初から中国を向いており、日本はあまり重視していなかったのだという。またフランスやドイツとも足並みを揃えていたことから、軍事力で威圧したのではなく正式な外交ルートによるものという認識だったという。この認識の違いは清・朝鮮・ロシアが隣国である日本に対し、大国ロシアは多くの隣国を抱えており、日本はあくまでその中の1つにすぎないので、認識自体があまりなかったのだという。
日英同盟を機に開戦の機運が高まってしまう
またこの頃に日英同盟が結ばれたことも日本のロシアへの敵対心を後押しすることになったという。日本はイギリスから最新の測距儀や無線通信機などを導入して軍事的に強化されていたことから「イギリスを後ろ盾にしてロシアと戦えるのでは」という自信を持ち始めたのだという。しかし当時の政府は実はロシアと協商を結ぶことで、朝鮮での行動の自由を得ようと考えていたという。つまりは戦争回避の可能性を模索していたのである。さらに満州に進出していたロシアが撤兵の意志を示したことで戦争回避の機運も高まって来たという。
しかしその期待は、ロシアが撤兵期限後も満州に駐留し続けたことで崩れ去る。ロシア国内でも意見が分かれていたが、中国の権益を守ることが重視されたのだという。
これで日本でもロシアと戦うべきという気運が高まってくる。ここで大学教授などが七博士の意見書として「今がロシアと戦う最後の好機」という主張を行う。知識人までが主戦論を唱えているということが国民に影響を与え、またロシアとの戦争に反対する者に対しては恐露病と呼んで攻撃した。これで世論は開戦一色に染まる。
しかしロシアの方はやはり日本のことをあまり重視しておらず、交渉は一向に前に進まなかった。ロシアはまさか日本が本気で戦争を仕掛けてくるとは考えていなかったのだという。御前会議でロシアとの戦争に反対の明治天皇は、自ら赴いてロシアと交渉するとまで言ったらしいが、流れは止まらずに戦争が始まってしまうことになる。なお戦争が始まるとロシアに近しい立場の者は露探(ロシアのスパイ)とされて大量に追放されたりもしたという。
と言うわけで日露戦争の開戦に至る経緯であるが、今の時期にこれを扱うというのが番組制作者の意図が垣間見える。というのはここで紹介されている日露戦争開戦前夜の雰囲気が現代と共通するものがあるからである。
現在、明らかに過剰に中国の脅威を煽っている連中がいて、戦争をするべきとの主張もネットなどで溢れており、一部言論人がそれに同調している。また戦争に反対する者を夢想主義者や平和ボケなどと罵って、いかにも戦争をしようとする者の方が現実的であるかのような印象操作も行われている。結局は日露戦争はそういう雰囲気の中で戦争になだれ込んだのであるが、同じことを現在明らかに仕掛けている奴がいるということである。まあそれが恐らく制作者からの込められたメッセージだろう。NHKは組織としてはかなり問題があるが、まだ現場には良識を持っている者もおり、そういう行間のメッセージはこちらが汲み取るべきだろう。
忙しい方のための今回の要点
・日露戦争開戦に至る理由としては、日本とロシアの認識の大きなズレがあったという。
・日本とロシアは幕末から様々な衝突もあったが、実際には民間の交流などもあり、明治天皇も親露的であって決して必ずしも険悪なものでもなかった。
・日露関係を大きく揺るがす脅威となった大津事件でも、明治天皇が直ちにニコライを見舞ったり、全国からお見舞いの電報が届くなどしたことから、ニコライは日本に対しての恨みを持たなかったという。
・しかし三国干渉が日露関係の転換点となった。日本政府はこれは想定内の事態だったが、国民の間では「臥薪嘗胆」とされてロシアに対する恨みが膨らんでいくことになる。
・だがロシアにとっての日本の存在は、日本にとってのロシアの存在に比してかなり小さく。また三国干渉も正式な外交ルートを通したものであって問題ないと認識していた。
・そこに日英同盟の締結でイギリスから最新の技術の導入で軍事力が強化され、「今なら勝てる」という機運が生まれてくる。そこに開戦を煽る七博士の意見書なども提出され、国内ではロシアとの開戦の気運が高まる。
・これに対してロシアはあまり日本を重視しておらず、まさか日本が本気で戦争を仕掛けるとは考えていなかった。
・最後は戦争に反対の明治天皇が自らロシアを訪問して交渉するとまで言ったが、結局は開戦へなだれ込んでしまうことになる。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・日露戦争にしても第二次大戦にしても多分に煽られた国民の間の空気で始まってしまったというところもあるというのは言われています。もっともその影には明らかに煽った奴がいるわけですが。煽る奴はもろもろの思惑(自身の権益の拡大など)があって煽るのですが、最終的にはその張本人にも制御できない状態になってしまいます。現在もまさにその可能性のある時期。
・恐らく現在戦争を煽っている奴は、兵器購入などによるキックバックなどの見返りが目的で、純粋に国防の観点で考えている奴はいない。しかし煽られた国民が暴走を始めるとすべてがぶっ飛ぶことになってしまう。その時には多分煽った張本人はさっさと国外に逃亡するつもりなんだろうが。
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