明治維新後、危機に瀕していた京都
今回のテーマは京都。京都と言えば日本が誇る古都で、今では海外からも多くの観光客を惹きつけるまさに日本を代表する観光地となっています。しかし明治維新後の京都は荒廃して寂れきっており、下手をすればそのまま朽ちかねない状態だった。それが日本が誇る大観光地になった経緯を紹介。
1000年の都と言われる京都であるが、実は何度も戦争での破壊を経験している。応仁の乱や戦国時代にも大被害を受けているが、実は一番甚大な被害を受けたのは明治維新の時である。番組でも紹介しているが、現在の京都は幕末の姿とかなり変わっている。と言うのも明治維新の際に長州藩が御所に攻め込んだ蛤御門の変で、京都中心部はほぼ全域が火災で焼失したのだという。さらに東京への遷都で公家の町が崩壊、京都は著しく衰退した。
さらに神道を国家宗教にしようとしていた神道原理主義者の神仏分離や仏教排斥によって多くの寺院が影響を受け、さらには様々な行事も文明開化の元に「俗信」として切り捨てられ、大文字の送り火まで禁止されたという。
京都を文化観光都市として再生せよ
それが変化する切っ掛けを作ったのが佐賀出身の佐野常民だという。彼はウィーン万博に参加した際に日本的な展示品が欧米人に大好評であったのを見て、日本の伝統工芸が世界的に通用することを知った。そして日本の伝統工芸となると京都という発想になったという。また欧米視察を行っていた岩倉具視も、政治の中心であるサンクトペテルブルクと、伝統の中心であるモスクワを分けているロシアを見て、京都を伝統文化の中心として位置づけることを考えた。またこれは京都とゆかりの深かった岩倉の京都がこのまま寂れていくのに対する忸怩たる想いの反映だという。岩倉は亡くなる直前にも京都の復興を訴えている。
なおこの頃に「美術」という言葉が作られ、廃仏毀釈などで破壊された仏像などが美術品として見られるようになり、これが美術品の保護につながることになる。また岩倉の京都復興案は、1895年の内国勧業博覧会と平安遷都1100年祭のイベントのために平安神宮が建造されたことで始まった。平安神宮はまさに平安時代のイメージを示すための建設であり、さらに一過性のイベントで終わらせないために建物を神社にしたのだという。また日本初の路面電車を会場まで通し、多くの来訪者を集めることとなった。これらは佐野常民が主導したという。そしてこれを切っ掛けに京都を一大観光地にするべく、各地の整備が進められ、国有林の整備や放棄されていた寺院の補修工事などが行われることになった。こうして京都は日本文化を学ぶための場となることで復興を遂げたのだという。
以上、古都・京都が国際観光都市として新生した経緯・・・なんだが、その割には京都全体で見た時に町並みの統一とかは全く考えられておらず、実際に訪れた海外からの観光客などは「イメージしていたのと違う」とガッカリする者も少なくないという。まああのド下品極まりない京都駅を見たら、愕然とするのも分からないでもない。
ところで、どうもここのところ、マジックショーだの、大名庭園にかこつけた東京名所案内だの、朝ドラタイアップ企画だのと取り上げる気にもならない内容が続いていたので、この番組を取り上げるのも久しぶりになります。それでなくても佐藤二朗の無駄話でかなりモチベーションを削がれるのに、最近はタイアップだらけで内容的にもモチベーションを削がれることが多く、いよいよ「微妙な」番組になってきてます、本番組は。
忙しい方のための今回の要点
・1000年の都として知られる古都・京都であるが、実は明治維新で大いなる危機を迎えていた。
・長州藩による蛤御門の変で、市街の中心部が焼失した上に、遷都で公家の町は壊滅、さらに明治新政府による仏教排斥などで京都は甚大な被害を受けて寂れていっていた。
・それが転機となったのはウィーン万博で日本の伝統工芸が欧米に高く評価されるのを見て京都に目をつけた佐野常民と、ゆかりのある京都が寂れることを忍びないと感じていた岩倉具視の存在だった。
・岩倉は京都復興のために京都を歴史として再生することを言い残してこの世を去る。佐野は京都を文化観光としてとするための切っ掛けとして内国勧業博覧会などのイベントを仕掛け、京都の再整備を主導、それが今日の観光都市京都につながった。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・京都はこのように整備されたのですが、永らく放置されていたのが奈良です。おかげで奈良は変な観光開発がされなくて、そのおかげで実は今日でも結構風情が残っていたりするんですが。
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