教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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3/13 NHK-BS 英雄たちの選択「キネマの夢を追いかけて~日本映画の父 牧野省三~」

映画黎明期から活躍した牧野省三

 今回の主人公は日本映画の黎明期に活躍した、日本映画の父とも言われる映画監督の牧野省三。

牧野省三

 映画の元祖であるシネマトグラフがフランスで開発されたのが1895年、動く写真に人々は驚いた。そして1908年、日本で劇映画の制作が始まり、歌舞伎の芝居小屋を経営していた30歳の牧野省三も映画の制作に乗り出した。牧野は最初は歌舞伎の人気演目の映像化から手がけたという。当時は無声映画で、説明は活動弁士が補うという日本独自の形態をとった。

 彼のヒット作には特殊撮影を取り入れた「児雷也」があった。人物がカエルに変化したりする映像は観客に受けたという。最初は映画は歌舞伎役者達には泥舞台などと呼ばれて軽視されて敬遠されたが、牧野は歌舞伎役者の尾上松之助を必死で口説いて先の児雷也に出演してもらったという。その結果、松之助は大スターとなる。

 

 

急成長する映画産業の中での牧野の葛藤

 大正時代になると映画産業は急激に成長、製作本数はアメリカに次ぐ世界二位となる。牧野は当時日本活動フィルム株式会社(後の日活)に籍を置いていたが、ジレンマに捕らわれるようになってくる。安上がりで儲かる映画を求められるようになり、粗製濫造を痛感していたのである。そんな時に谷崎潤一郎から「人間味がなく、生命がなく、実にくだらぬもので、多少教養のある人が見る気のしない程度のものである」という痛烈な批判を浴びる。その頃のアメリカではシナリオを重視した映画が登場して、世界に衝撃を与えていた。そこで牧野は優秀な映画を作るために独立する

 牧野は優秀な映画の条件として1.スジ 2.ヌケ 3.ドウサ と表現した。スジはシナリオ、ヌケは映像、ドウサは演技という意味であるという。牧野はシナリオのために若い脚本家達と手を組む。そこから「苦悩する主人公」など今までの時代劇にない人物像などが登場する。また映像についてはそれまで書き割りによる背景でなく、本物の設備や道具などを用いるようにした。そして演技については型にはまらない若い俳優たちを起用した。その中から阪東妻三郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎らが登場する。従来の時代劇と一線を画したリアル人物を描いた作品は大ヒットする。

 

 

画期的新技術登場の対応への選択

 昭和になると太秦には多くの撮影所が建設されて日本のハリウッドと呼ばれるようになる。しかしその頃にアメリカでトーキーが登場する。これまでは最新技術に飛びついた牧野だが、ここでは選択を迫られることになる。トーキーの導入は活動弁士の職を奪うことになるし、各劇場に対応設備の投資を迫ることになる。牧野はサイレントを続けるか、トーキーに挑戦するかの選択に悩む。

 これに対して多くのゲストはトーキーに挑戦を選んだが、周防監督だけが「いきなりトーキーになるとどう作るべきかが分からない」としてサイレントの継続を選んだの特徴的。まさに作る側の感覚である。「すぐには難しい」というのが本音なんだろう。なお私の選択はトーキー挑戦。いくらここで抵抗しても、世界の流れは間違いなくトーキーに向かうから、初期から挑戦して事例を積み上げておく方が有利という、新技術に対する普遍のアプローチである。

 で、牧野もトーキーに挑戦した。「戻橋」という映画を製作している(残念ながら作品は残っていない)。これは全国で大ヒットした。なおこの時に採用したのはディスク式トーキー。ハリウッドのフィルム式トーキーは性能が高いが新規の装置が必要なので、従来の装置への追加で対応出来るこのシステムを選択したのである。なお牧野はあくまでこれは間に合わせで、いずれはフィルム式トーキーを導入しないといけないということを息子に語っていたという。しかし戻橋上映の20日後に牧野はこの世を去る。牧野の息子は独自技術で安価なフィルム式トーキーの機材を開発して、中小劇場のトーキー化に貢献したという。

 

 

 以上、日本映画の父、牧野省三について。周防氏が牧野は監督と言うよりも興業主として日本映画の方向を決めたのではないかと語っていたが、それは確かに言える視点。個々の映画のレベルの話よりも、常にこれからの映画が向かっていく方向を定めると言う方がメインになっている感がある。

 なお谷崎潤一郎の日本映画に対する痛烈な批判は、今時の粗製濫造のなろう系アニメにまさにそのまんま通用する内容。またテレビドラマなんかについても、昔から何度も言われていることである。時代は繰り返しているというか。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・日本映画の黎明期、歌舞伎小屋経営から映画製作に参入したのが牧野省三である。
・初期は歌舞伎の人気演目の映画化などをしていたが、尾上松之助を起用した児雷也が大ヒットして、松之助も大スターとなる。
・大正になると映画産業は隆盛するが、儲けのために粗製濫造を強いられる環境に疑問を感じ、牧野は独立する。
・牧野はシナリオにリアルな主人公像を持ち込み、小道具などにも凝った本格的映像の時代劇を型にはまらない無名の若手俳優を起用して制作、それらはヒットして嵐寛寿郎などのスターが登場する。
・昭和になるとアメリカでトーキーが登場、牧野もそれへの対応の決断を迫られる。活動弁士の仕事を奪い、中小劇場に新しい機械の導入が必要になるトーキーに対しての迷いもあるが、牧野はトーキー映画である「戻橋」を制作する。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・新技術が登場することで世の中が変化して、今まで存在した仕事が不必要になってしまうということは歴史上に何度も繰り返されてきました。だから「これ1本でやって来た」という人は結構しんどいんだよな。今の時代でもAIの進歩で駆逐される仕事が少なからず出てくるだろう。果たして最後まで必要な仕事って何なんだろうな?

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