教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

3/20 NHK-BS 英雄たちの選択「"栄養"で日本を救え!食いもの博士・佐伯矩の挑戦」

栄養学の父・佐伯矩

 今回の主人公はかなりの地味人物。誰なんだ? というのが正直な感想であるが、日本の栄養学の父であり、今日の学校給食を確立した人物であるという佐伯矩である。

日本の栄養学の父・佐伯矩

 それまで日本では粗末な食材とされていた大根から、ジアスターゼという消化酵素を発見したことで一躍大根を有用な食材といして再認識をさせたのが佐伯矩だという。脚気などの蔓延が社会問題となりながらも、まだ世間では栄養学というものが注目されていなかった時代、1914年に佐伯は自費で栄養研究所を創設、世界初の栄養に特化した研究所であり、そこには気鋭の研究者が集まる。後に国立の研究所となって画期的な成果を上げていくことになる。

 

 

日本人の栄養状態の改善のために具体的な提案を続ける

 まずは米の研究に取りかかる。脚気の原因は実は白米中心の食生活によるビタミン欠乏であった。佐伯は玄米に注目するが、玄米は硬くて食べにくいので好まれていなかった。そこで佐伯は栄養と食べやすさのバランスから七分搗米がもっとも優れているという結論をだす。これを国の主催する博覧会などで発表、世間にも注目を浴びる。そして新聞社と提携して毎日の献立を提案して新聞に掲載するということを開始する。当時日本人に不足している脂質を積極的に摂るためにメニューを提案。これが日本にフライパンの普及を促したという。食いもの博士と研究者から揶揄されても佐伯は一切気にしなかった。佐伯は科学的データに基づいて日本人が必要なカロリーなどを求めて、日本人に栄養の重要さを説いていった。

 佐伯は栄養士という資格を持つ者を多く送り出した。その佐伯が力を入れたのが子供の栄養である。佐伯は栄養を強化したパンを製造して、それを実験的に子供に配布したところ栄養の大幅な改善が見られた。そこで佐伯は学校給食を全国に広げることを目論む。しかし費用などの問題は大変であった。それらを佐伯の栄養研究所が出すことになった。しかしそこに関東大震災が追い打ちをかける。佐伯は研究所総出で炊き出しをかけるが、栄養不足に陥る子供たちが急増した。社会には日本は経済力をつける必要があるという論調が強まるが、佐伯は必ずしも経済力がないと栄養を付けられないとは考えていなかったという。震災の2年後、佐伯は学校給食実現のための寄付金を集める。欠食児童の救済を掲げたのである。特に東北は凶作で欠食児童の問題が深刻化していた。

 

 

学校給食の導入へ

 そんな折に佐伯は内務省より栄養の専門家としての助言を求められる。ここで佐伯の選択だが、欠食児童に限った給食を提案するか、全員一律の給食を提案するかである。これに対して全員の意見が全国一律給食。これは私も同意である。

 そして佐伯も全国一律の給食を提案する欠食児童のみに給食を与えるのは差別につながりかねないことを懸念したのだという。意見書には現在の給食につながる提言を細かく行っているという。そして昭和7年に本格的な学校給食が始まり、給食は教育の一環として位置づけられ、一気に全国に拡大していく。各地の学校に派遣された栄養士達がそこで活躍することになる。

こうして全国で格好給食が開始される(出典:毎日新聞)

 佐伯の取り組みは世界的にも注目を浴び、佐伯は各国で公演などを行う。しかしその後、日本は戦争に突入、贅沢は敵だの風潮の中で佐伯の栄養研究も省みられなくなり、その後に敗戦を迎える。終戦直後、大量の餓死者が懸念される中、GHQの栄養調査担当のパール・ハウは来日すると直ちに佐伯の消息を訪ねてアドバイスを仰いだという。ハウは佐伯の育てた栄養士達と共に全国調査を実施、やがて学校給食も再開される。この頃、佐伯はこれからの飽食時代を予見した発言なども残しているという。

 

 

 経済が良くなれば栄養が良くなるのでなく、栄養を良くすることで経済を良くしたという話が出ていたが、確かにそうであってそれに貢献したのが今回の佐伯矩だったということのようである。

 そこから考えると、国民から収奪することを最優先にして、食いものに困る子供を増加させている現政府は間違いなく亡国を目的にしていると言うことになるだろう。まああえてこの時代にこの人物を主人公として取り上げたということに、さういうことも考えろという制作者のメッセージも含まれているのではと思うが。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・日本の栄養学の父であり、学校給食制度を確立したのが佐伯矩である。
・佐伯は世界に先駆けて自費で栄養研究所を設立し、栄養学の分野の研究を進める。
・また彼は新聞社と提携して、毎日の献立を掲載、日本の栄養事情の改善に直接に取り組んだ。
・脚気の原点であるビタミン不足に対応するために、味と栄養の両面から七分搗米を推薦する。
・さらに子供の栄養問題に取り組む。東北の凶作による欠食児童の増加などから全国一律の学校給食の導入を提案する。
・佐伯の提案に基づいて昭和7年に学校給食が導入される。これで全国の児童の栄養状態が大幅に改善することにとなる。
・佐伯の取り組みは世界的にも注目されることとなるが、その後の戦争で佐伯の事業も中断を余儀なくされる。しかし戦後、大量の餓死者の発生を懸念するGHQから全国調査の協力を要請される。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ食は生きていく基本ですが、どうも精神主義の強すぎる日本では昔から軽視されることが多いです。だから補給のことを考えずに前線を拡大した挙げ句、先の大戦では多くの兵員が飢えと病で命を落とすという醜態に至ったのですが。
・なお未だに食については日本人は軽視するところがあるので、本質はあまり変わっていない気がしますね。その挙げ句に国民を食わすことさえ考えない政府が登場と。

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