教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

3/27 NHK-BS 英雄たちの選択「博覧会で京都を救え!~八重の兄・山本覚馬~」

幕末に翻弄された山本覚馬

 明治維新で荒廃して寂れた京都を救うために立ち上がった人が・・・って同じネタ、つい最近歴史探偵でやっていた気がするが、なぜか主人公が別人だな。こっちは以前に大河ドラマの主人公になった綾瀬はるか・・・でなくて新島八重の兄とのこと。

  こっちでは佐賀出身の佐野常民を京都復興への貢献者として紹介。

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 山本覚馬は会津の出身であり、会津藩の砲術師範役の家に生まれる。23才で江戸に渡ると佐久間象山に弟子入り、最先端の西洋砲術を習得、そこには吉田松陰、勝海舟、河井継之助などの幕末の英才が集まっていた。会津に戻った覚馬は藩主の松平容保に軍を西洋式に再編することを訴えるが、それが保守派の反発を呼んで1年間の謹慎を食らう。しかし覚馬へ賛同する者も多く、謹慎明けには軍事取調兼大砲頭取という重任に抜擢される。

八重の兄である山本覚馬

 

 

 

理想の政府の姿を描いた管見が注目される

 容保は京都守護に任命され、覚馬も京に入る。覚馬は京で学問所を開いて広く外国の知識を教えたという。その後、京で禁門の変が発生。蛤御門の守備に当たっていたのが覚馬で激戦の末に敵の御所への侵入を防ぐ大活躍をし、この功績で会津藩の外交担当に抜擢される。しかしこの頃から覚馬の視力が禁門の変での負傷で急速に衰え始める。

 覚馬の転機となったのは鳥羽伏見の戦いである。この戦いでは多くの会津藩士が苦戦の後に命を落とした。覚馬はこの戦いで弟を失い、覚馬は薩摩兵に捕らえられて薩摩藩邸に幽閉されていた。覚馬は新政府軍の会津侵攻を止めるために、会津は幕府の命に従っただけであるという上申書を上げる。しかしそれを取り次いだ赤松小三郎は、幕薩一和(幕府と薩摩の戦いを回避する)を唱えていたことからスパイの容疑で暗殺されてしまう。覚馬もいつ処刑されるか分からない中、自らの理想の国家像を口述筆記で管見にまとめて提出する。そこには三権分立や二院制などを提案することから、かなり子細に渡る方策が示されていた。また覚馬は女子教育の必要性も訴えていたという。これが提出されると小松帯刀や西郷隆盛は覚馬の見識の高さに敬服した。しかし覚馬の奮闘も空しく会津は新政府軍の攻撃の前に降伏、覚馬の父も戦死する。

 

 

新政府に仕えるか京都復興に尽くすか

 体調を崩して病院に移された覚馬の元を訪れたのが岩倉具視だった。彼は覚馬の見識に目をつけ、新政府への出仕を要請される。しかし覚馬は同時に京都府からも、覚馬を雇って京都の開化勧業の助けにしたいとの要請を受けていた。荒廃した京都の再生を依頼されたのである。東京に向かうか京都に留まるか、ここで覚馬の選択になる。

 ゲストの意見は分かれたが、覚馬は京都の顧問への就任を選択する。京都復興に携わった覚馬は学校教育の充実に力を入れ、64の学校を建設する。そして女子教育のために日本初の公立の女学校を設立して英語の教育などを行う。覚馬は八重を呼び寄せて教師として採用する。さらに産業の振興のために舎密局という科学研究所を開設し、西洋科学の研究などを行い、さらには新たな産業を次々と興していく、また西陣織の新技術での復興も成し遂げる。そして海外を対象にしてのビジネスを考え、京都博覧会をその格好のチャンスとして、京都を説明する外国語のガイドブックを発行する。さらにこれで京都の職人を刺激して産業を振興することも考えていた。こうして京都の基礎を作り上げると、1879年に覚馬は京都府議会の初代議長に選出される。そしてキリスト教に興味を持ち始めていた覚馬は、新島襄と共に同志社大学を設立する。そして65才でこの世を去る。

 

 

 以上、京都復興に貢献した山本覚馬について。歴史探偵が岩倉具視や佐野常民といった国家レベルでの動きを扱っていたのに対し、山本覚馬はもう少し現場に近いレベルでの復興に取り組んでいたということのようである。それにしても京都って、岩倉具視はともかく、佐野常民や山本覚馬とかどちらも余所者である。余所者に対しては非常に敷居が高いことで知られる京都の復興が、このような余所者でなされたというのは何とも皮肉である。

 なお京都は京都博覧会を復興に利用したのだが、大阪は万博が復興どころか維新の食いものにされたせいで、大阪没落に拍車をかけることになりそうである。

 ところでこの番組、この春から放送時間が移動すると共にキャストも杉浦友紀アナから浅田春奈アナに変更になる模様。時々暴走する磯田氏を杉浦アナがバサッと斬って番組を淡々と進行するということが今までにも何度となくあったのであるが、果たして浅田アナがそれが出来るかが気になるところである。特に磯田と千田が揃った時の暴走はとんでもないので。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・会津藩士で八重の兄である山本覚馬は、砲術師範役の家に生まれで江戸で佐久間象山の元で最新の西洋技術を学んで帰郷する。
・京都守護職になった藩主の松平容保に伴って上京、蛤御門の変では敵の御所侵入を阻止して奮戦する。
・しかしその時の負傷が元で視力を失い、鳥羽伏見の戦いでは薩摩兵に捕らえられて薩摩屋敷に幽閉される。
・そこで覚馬はあるべき政府の姿を訴える管見を提出する。
・明治維新後、覚馬の見識の高さに目をつけた岩倉具視から新政府への出仕を要請されるが、同時に依頼されていた京都府からの開化勧業に協力して欲しいとの要請に従って京都に残る。
・覚馬は教育を振興するために学校を設立、さらに女子教育のための公立の女学校も設立する。
・また産業振興のために科学研究所を設立して西洋科学を研究、新たな産業を起こすと共に新技術で西陣織を復興する。
・さらに海外への売り込みのチャンスとして京都博覧会を利用、外国人向けのガイド本なども発行する。
・京都振興に貢献した覚馬は1879年に京都府議会の初代議長に選任される。
・その後、新島襄と共に同志社大学の設立。65才でこの世を去る。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ荒廃している京都の現状に心痛めている者は少なからずいたということでしょう。それはともかくとして、現在の別の意味で荒廃しまくっている京都の現状をどうにかしようという者はいないのか? お寺の日本庭園の背後に巨大ビルとか、全く洒落にならない状況があちこちで起こってるんだが。

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