教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

3/10 NHK-E 日曜美術館「奇想の画家たち~江戸絵画に見る"前衛芸術"」

 現在東京都美術館で開催中の「奇想の系譜展」に連動というか、もろにその紹介の企画である。ところで本展、現在大ブレイク中の若冲人気にあやかってという企画に見えるのであるが、実はさにあらずというわけである。

 

 そもそも伊藤若冲が注目されることになるベースとしては、50年前に執筆された「奇想の系譜」という一冊の本がある。この本を執筆したのが美術史家の辻惟雄氏で、本展を企画した美術史家の山下裕二氏はその弟子とのこと。要は50年前に今日の若冲ブームの種は蒔かれていたのだが、その当時はこれに衝撃を受けたのはいわゆる美術界の中だけだったのが、それに触発された展覧会などの類いが出てきて、そういうのに触発される美術ファンが出て(私もその一人になるか)、その内に一般にまで広がって今日の若冲ブームと考えるべきなんだろう。

 辻氏が若冲に出会ったのは、画商などからアメリカ人が伊藤若冲の作品を買い漁っているという話を聞いたからだという。このアメリカ人というのが今日で伊藤若冲のコレクションと言えば必ず名前の出るジョー・プライス氏である。辻氏はこの時点で伊藤若冲のことを知らなかったらしいが、初めて若冲の作品を見てその精細な描き込み、シュルレアリスムにもつながりそうな時代を超えた感覚などに圧倒されたのだという。

 

 若冲以外にも残酷とも言える描写をさらっと行った岩佐又兵衛、狩野派の異端である狩野山雪なども辻氏が注目した画家。岩佐又兵衛は信長に反逆して逃亡した荒木村重の子(荒木村重の家族は大半が斬殺されたが、彼は乳母に救い出されている)であり、その出自が彼が描く戦の風景にも反映しているとの話もある。なお彼は漫画「へうげもの」にも登場している。狩野山雪は、関ヶ原後狩野派の主流が江戸に移る中で京都に残留した京狩野の一派。本流から傍流にされた屈折のようなものがその強烈な絵画に現れているという。

 また辻氏がこの本を執筆する動機となったのが曽我蕭白。彼の「群仙図屏風」を初めて目にした時に「なんだ、これは」と強い衝撃を受けてそれが執筆の一番強烈な動機になったとか。確かにあの絵画のインパクトは半端なく、私もあの絵を初めて目にして衝撃を受け、その後の経緯は辻氏に近いところがある(当然ながら彼のような専門的で高度な展開ではなく、もって低次元な素人展開ではあるが)。

 

 さらに同時代の長沢芦雪。彼らが活躍した18世紀は幕府の権威が緩みつつあり、特に京都では革新の気風が出てきつつあったのが影響しているとか。芦雪も当初は円山応挙の弟子としてカッチリとした絵を描いていたのだが、それがより自由で闊達な絵画を描く方向に変化した。なおこの番組では触れていないが、芦雪がその方向に向かったきっかけは、師匠の代わりに行った紀州においてであり、師匠の束縛から離れて自由を満喫した芦雪が思いきり羽を伸ばした結果と私は見ている。この時期の作品の一つが無量寺に収蔵されている「竜虎図」などの芦雪最高傑作である(本番組ではこれにも触れず)。

 以上は辻氏が著書で挙げている画家たちだが、山下氏はここにさらに白隠慧鶴を加えている。白隠は禅僧であり、狩野派などの絵画の形式に無関係に実に自由に反技巧的な絵画を描いており、これは当時の京都の風潮にも影響を与えたはずと見ている。

 と内容的には大体こんなところだが、本展登場の絵師で後一人だけ完全に抜かしているがむしろ気になる。それは歌川国芳。こちらも最近になってとみに人気の上がっている浮世絵師だが、彼の今日の漫画を思わせるようなデフォルメを多用した独特の画風というのも無視できないところ。また本展には無関係だが、国芳のエッセンスを濃厚に引き継いだ河鍋暁斎の存在もある。