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7/3 BSプレミアム 英雄たちの選択「警察誕生~川路利良、恩人西郷との対決~」

 今回の主人公は日本の警察の創設に貢献した川路利良。彼は大警視という今の警視総監に就任している。

西郷に取り立てられた川路利良

 川路は元々は与力という薩摩藩の下級藩士だった。彼は斉彬と共に江戸に登り、飛脚という情報収集兼情報伝達を行う仕事に従事していたという。

 そんな彼が頭角を現したのが戊辰戦争。禁門の変では劣勢であった守備軍に応援として駆けつけ、敵の指揮官を倒すことで敵軍の勢いを止めることが出来ると兵を鼓舞し、劣勢を逆転することに成功したという。川路の活躍は西郷の目にとまり、西郷によって川路は引き立てられることになる。

警察組織の立ち上げ

 そして明治新政府が成立、川路は西郷から東京の治安を維持する仕事を依頼される。川路は薩摩藩士1000人を中心とした3000人の氏族を雇用して警察の前身である邏卒を編成する

 この頃、日本では要人暗殺などが相次ぐ、これに対して政府は近代的な警察組織編成の必要性を感じ、川路をヨーロッパの警察組織の視察に送り出す。川路は1年に渡ってヨーロッパの警察組織を視察し、特にフランスの警察に感銘を受ける。そして帰国後、彼は警察組織設立の建白書を提出する。

 しかしその1ヶ月後に思いもかけない事件が勃発する。西郷が新政府内の意見対立によって下野してしまったのである。多くの薩摩藩士が西郷を追って鹿児島に戻り、邏卒からも300人が鹿児島に戻ってしまう。川路も大恩のある西郷に対する思いと、警察設立をしないといけないという使命感との間に板挟みになる。ここで川路がどちらを選択したかというのが今回の選択になるが、川路はここで警察設立に邁進することを選択する。彼は公と私を明確に区別しており、私情としては忍びないが、そのために公的な務めをないがしろにすることは出来ないと考えていたらしい。そして彼は警視庁を設立することにする。当時の警視庁は今と違って全国の警察を統括する組織であったという。

 この時代は不平士族の反乱が相次いでおり、川路は警察組織を拡大することにする。この時に彼が採用したのが旧会津藩士など。後に彼らが戦力になることになる。

恩人、西郷との戦い

 一方、鹿児島の状況は緊張感が高まって来ている。川路は西郷周辺の動向を探るために密偵を西郷の私塾に送り込んでいたのだが、それが発覚したことでとうとう彼らが爆発することになり、これが西南戦争の勃発となる。

 西南戦争において川路は警官1万3000人の部隊を率いて参戦したとのこと。この部隊は熊本城救援に成功し、その後は薩摩軍を追い込んでいく。しかしここで川路は司令官の任を辞して東京に帰ってしまったという。その理由のほどは明らかではないが、西郷にとどめを刺すのは忍びなかったのだとか、山県有朋などの長州閥と衝突したからだとかの説があるとのこと。結局、警察設立に貢献した川路はこの2年後に病死したらしい。彼の死後に西郷直筆の書簡を残しており、彼が最後まで西郷に対する思いを抱いていたということも明らかであるとのこと。

 

 私情と公的義務の板挟みという苦しい状況ですが、ある点で彼は妙に割り切っているというか、ドライなところもあったようです。西郷の考えは時代遅れだと感じていたのではとの指摘も出ていたが、確かにそういうことを感じていた節はある。実際、あの時の西郷も士族の不満を何とかしないといけないということは感じていたが、ではどうすれば良いかという展望を持っていた様子もなかったし。川路は官僚的なところがあったという説明もあったが、確かにそうなんだろう。

 


忙しい方のための今回の要点

・日本の警察組織の基礎を作った川路利良は薩摩藩下級藩士の出身で、西郷隆盛によって取り立てられた。
・西郷から東京の治安維持を依頼された川路は、警察の前身となる邏卒を設立する。
・その後、近代警察を設立するためにヨーロッパに視察に出かけ、フランスの警察に感銘を受けた彼は、帰国後に警視庁の設立を政府に提案する。
・その直後、恩人である西郷の下野で彼は進退に悩むことになる。しかし彼は警察組織の確立の仕事に邁進することを選ぶ。
・結果として彼の設立した警察は西南戦争で西郷軍と戦うことになる。しかし川路の西郷に対する思いは終生変わらなかったようである。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・戦国時代から江戸時代になった時に武士が大量にリストラされることになりましたが、この明治維新が2回目の大量リストラなんですよね。藩を廃止して中央政府が統轄することになったし、軍を国民軍にすることになったので、役人としても軍人としても武士が大量に不要になっちゃったんですよね。どうしてもこういう時には動乱が起こるので、そうなると力で抑えることになる。江戸時代の時にはこれが島原の乱につながってます。
・川路って西郷周辺の人間から見たら、明らかに裏切り者と考えているでしょうね。川路は西南戦争後、鹿児島に戻ることは一度もなく、そのまま東京に埋葬されているとのことですが、やはり帰られなかったんでしょうね。
・もっとも現在では川路の生家の前のバス停に「大警視」って名前が付いているぐらいなのだから、ご当地の偉人の一人の扱いなんでしょうが。まあ西郷も後に名誉回復されてますので、その辺りも大きいかと。
・川路は警官に会津藩士を採用したのですが、これが西南戦争では大きく効果を上げたと言います。警官隊は「戊申の敵」と叫びながら西郷軍に猛攻をかけたとか。仕事をなくした会津藩士を懐柔するというだけでなく、やはり西郷軍と戦うことになった場合のことも川路はかなり冷静に予想はしていたのでしょう。この辺りは妙にクールです。