結局は武田家を滅ぼすことになってしまったために暗愚の将と言われてしまう武田勝頼だが、実際には決して暗愚な将というわけではない。むろし優秀であったがために拡張路線に走って破綻してしまったとの解釈も出来る。
そもそも圧倒的に不利な状況に置かれた勝頼
そもそも勝頼は本来は武田家を継ぐ人間ではなく諏訪家を継いでいた。しかし信玄が亡くなった際に他に継ぐべき者がいなかったために、武田家を継ぐことになってしまった。なお信玄は死去の際に、勝頼は勝頼の嫡男の信勝が成人するまでの後見であって、信勝が成人すれば信勝を武田家の後継とするように指名していたという。これは勝頼の微妙な立場を考慮しての配慮だと考えられるという。
勝頼としては譜代の家臣など全くいない状態。この中で求心力を保つには戦で勝ち続けて実力を見せるしかない。その焦りのようなものが長篠での大敗につながってしまう。
実は勝頼は有能な将だった
一般にはこの長篠の敗戦で武田が滅亡したように思われているが、実は武田家はこの後7年ももっているのである。これはむしろ勝頼の手腕と言える。織田・徳川も武田家が手強いと見て、長篠合戦後の侵攻を行っていない。実際に3ヶ月後に徳川が武田の城を攻撃した際には、勝頼は1万3千の兵を率いて援護に現れており、あの大敗の後にそれだけの兵を動員できた勝頼に家康は驚いたという。
勝頼は大きな犠牲を出した家臣団を再編成すると共に、拠点の移転も行った新府城の建設である。新府城は長篠合戦での敗北の経験も活かして、鉄砲時代に対応した新たな仕掛けを施した巨大な城であったという。ただ勝頼にとって不運だったことは、この頃には甲斐の財源であった金山の産出量が減少してきており、経済的にかなり苦しいことがあったという。
武田家臣団の崩壊と勝頼の最期の選択
しかも北信濃の木曽義昌が織田に下り、重臣であった穴山梅雪が徳川に下るという内部からの離反が生じてしまう。この辺りにはやはり勝頼がそもそも武田の後継と見られていなかったということが影響しているとも思われるが、これで武田領の防衛線に大きな穴が開いてしまい、ここから織田・徳川軍が侵攻してくることになる。
この侵攻してくる織田・徳川軍を迎え撃つために勝頼が籠もるべき山城に3つの選択があったという。
1つは新府城。しかしここはまだ未完成だった上に、巨大な城だけに大軍で防御するということが不可欠であり、この時点での武田軍は家臣の離反などでそこまでの動員が不可能であったと思われる。
2つめは小山田信茂の岩殿城。自然の岩盤の上に築かれた大要塞であり、少数の兵でも大軍を食い止めることが可能な天然の要塞である。
3つめは真田昌幸の岩櫃城。ここも岩山の天然要塞だが、いかにも真田らしく敵軍を引き入れて撃退する仕掛けなども施されている城である。
ここでどの城を選ぶかだが、番組ゲストの意見は分かれていたが、私の意見はやかり3番の岩櫃城である。磯田道史氏と千田嘉博氏もこの城を選んでいたが、特に磯田氏は真田と武田の共闘というのにかなり夢を馳せていた様子。実は私も感情的には全く同意である。武田のブランドを背景に真田がその知力を縦横に駆使すれば武田家の生き残りは十分に可能であったと思われる。また千田氏は岩殿城はいかにも固いが、包囲されると手も足も出なくなることを懸念していたが、これは私も全く同意。
しかし実際の勝頼は岩殿城を選択する。私が勝頼の心理を推測するとすれば、この時期の武田家は櫛の歯が抜けるように家臣団が離反していたので、この状況で表裏比興の者と呼ばれていた曲者・真田昌幸を信用して命運を託すという気にはなれなかったのではないかということと、自身を守る兵までも極端に減少してしまった状況下では、あの岩殿城の要塞に籠もるしか防衛の手段はないと判断したのだろうと推測する。
「運のない人」勝頼の悲劇
だがこの勝頼の選択は完全に失敗する。小山田信茂が織田に下るというまさかの裏切りで、勝頼は行く場のないまま敵軍内で包囲されてしまって自刃することになるのである。確かに結果論では選択を誤ったことになるが、しかし岩櫃城に行っていたとしても真田昌幸があっさりと裏切って勝頼を織田に引き渡すなどという展開もあったかもしれないので何とも言えないところだ(もしそうなっていたら、真田の今日の名声はないが(笑))。
番組では勝頼は「本当に運のない人」と言っていたが、それには全く同感。もう少し彼に運があれば戦国時代の展開は変わっていただろう。実際、織田信長は武田を滅ぼしたわずか3ヶ月後に本能寺の変で亡くなっている。
忙しい方のための今回の要点
・武田勝頼は愚将と見られがちだが、実際には長篠の敗戦から武田家を7年も保っており、かなり優秀な武将であったと考えて良い。
・勝頼はそもそも諏訪家を継いでいたため、武田の重臣達からも余所者のように思われており、これが勝頼にとっての大きなハンデとなった。
・本拠を最新鋭の設備を備えた新府城に移し、国内の立て直しを図っていた勝頼だが、家臣の離反によって防衛戦に穴が開き、織田・徳川の侵攻を許すことになってしまう。
・勝頼の最後の決戦の地としては、新府城、岩殿城、岩櫃城の3つが考えられたが、勝頼は結局は岩殿城を選び、この選択のせいで命を落とすことになる。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・まあ可哀想な人という気はしますね。父親が偉大すぎたので、どうやってもそれと比較されると分が悪いです。勝頼は実際にそれなりに有能な人だったと思われるのですが、結果としては家を滅ぼすことになってしまいます。武将としては明らかに暗愚であった今川氏実がのらりくらりと一応今川家を生き残らせたことを考えると皮肉なものです。まあ勝頼にはあれだけ割り切るというか、無駄なプライドを捨てるということはそもそも無理でしょうね。
・だけど今の時代、実は今川氏実的生き方が一番の正解なのかもしれません。野心は持たず、無理はせず、状況が不利ならさっさと逃げ出す。サッカー少年だった(蹴鞠が非常に上手かった)ことといい、今川氏実ってかなり現代っ子な気がしますね。
次回の英雄たちの選択