教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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8/1 BSプレミアム 偉人達の健康診断「葛飾北斎 天才脳の秘密」

 江戸時代に90歳という異例の長寿で、生涯現役で描き続けた天才絵師・葛飾北斎。その北斎の健康の秘密に迫るというのが今回。

抜群の空間認識能力を支えた北斎の天才脳

 北斎と言えば代表作は富嶽三十六景だが、その中に北斎が90歳まで絵を描き続けられた天才脳の秘密があるという。その絵は「山下白雨」。北斎の富嶽三十六景の中でも特に有名な3枚の内の1枚で。赤富士の下に電光が見えている絵である。

 この絵が描かれた場所を特定すると、富士山の形から南西の白糸の滝の辺りから描いていることが分かるという。ただここで重要なのは、ここからは通常は見えない背後の山が富士の脇に描かれていること。これが実際に見えるのは上空2500メートルからだという。つまり北斎はこの絵を空から見た視点で描いているという。北斎は富士の周辺を歩き回っているので、この辺りの地形を知悉しており、その地形を頭の中の空間認識能力で編成して天空からの視点を作り上げたのだという。空間認識能力を司る海馬は年齢と共に縮小する。しかし北斎はこの絵を描きあげた時点で若々しい脳を有していたと考えられる

 では北斎がそのような脳の若さを有していた理由だが、それこそが北斎が健脚であったことであるという。北斎は生涯あちこちを歩き回ってスケッチをしていたが、足の筋肉などを使うことでカテプシンBという物質が生成し、これが海馬の細胞を増やす働きをしたのだという。つまりは脳を若々しく保つには、脳を使うこととさらに筋肉を使うことが必要なのだという。

 

意外なところに潜む北斎健康の秘密

 なお北斎は絵を描くことには極めて貪欲であったが、それ以外のことには一切無頓着でものぐさであったという。そのために家はすぐにゴミ屋敷となり、北斎はゴミが溜まると引っ越しをしていたという(迷惑な話だ)。そのために生涯に93回に渡って引っ越しを行っている。また北斎は絵を描いて疲れたら寝て、目が覚めるとまた絵を描き始めるという生活をしており、常にうつぶせの姿勢で布団を被って絵を描いていたとか。実はこの姿勢も北斎の健康に貢献しているというのがこの番組の説。

 北斎のうつぶせで四つん這いの姿勢はおならが出やすい姿勢だという。腸内のガスがすぐに排出されることで、腸内環境が良好に保たれ、そのことによって免疫系が活性化したのだという。腸内にガスが溜まることは腸内の環境を悪化させるので、ガスの滞留は防ぐべしとのこと。つまりはおならを我慢するのは体に悪いということである。番組では「美人はおならを出来ないので美人薄命だったのでは」という話に「美人はひそかにおならをしていたから美肌だったんだ」としている(笑)。番組ではガスは大腸の曲がったところに溜まりやすいと言うことで、10分うつぶせになって腹を圧迫した上で、左右にゴロゴロと転がるゴロゴロ体操をお勧めしている。

貪欲にあらゆる技法を吸収した北斎

 北斎が代表作である神奈川沖浪裏を描いたのは70歳を過ぎてから。実は北斎は大器晩成の画家だったという。30歳頃の北斎は「人の真似ばかりする」と評されている。この頃の北斎は狩野派や琳派、さらには中国絵画などありとあらゆる絵画を模倣している。さらには西洋絵画さえ参考にしてその遠近法を学んだ。こうして彼は貪欲にあらゆる表現法を吸収したのだという。さらに北斎に決定的な影響を与えたと考えられる作品が、千葉県いすみ市の行元寺にある。ここの欄干に波の伊八と言われた名人の波に宝珠という彫刻作品があるのであるが、これの構図がまさに神奈川沖浪裏そのもの。北斎はこの作品を見て、逆巻く波の表現を学んだのだと考えられるという。実際にそれ以前の波の描き方とは激変をしている。

 

北斎を襲った命に関わる大病

 さて生涯健康だった北斎だが、1度だけ命に関わる大病をしている。それは中風。北斎は六十八か九の頃にこれで倒れている。当時は原因不明の病と言われていたが、今日の医学で言えば脳梗塞だという。これは命が助かったとして体に麻痺が残ることがあり、さらに再び発作が起こればまず助からないという致死性の病である。北斎はこの病気に独自の療法で立ち向かっている。柚子が中風によいと聞いた北斎は、きざんだ柚子に日本酒を加える独自の柚子酒をつくってそれを食べたという。柚子などの柑橘類にはヘスペリジンという血管を拡張する働きのあるポリフェノールが含まれている(特に皮に多いという)ことから脳梗塞の予防効果があったのではとのこと。番組では実際に水と柚子半分分のヘスペリジンを加えた水を飲んで、冷たい水に手をつけた時の体温変化を見ているが、ヘスペリジンでは血管拡張効果で体温の上昇が見られている。

 こうして死ぬまで絵を描き続けた北斎は90歳で亡くなる。死因は老衰だったという。なお本人は110歳まで絵を描き続けるつもりでいたらしい。生涯にわたって絵を追究し続けた人生であり、この旺盛な意欲も長寿の秘密であったのだろう。


 以上、世界的に有名な天才絵師・葛飾北斎について。北斎の代表作はまさに中風から復活した後の作品であることを考えると、もし彼がここで再起不能になっていたら今日の北斎は存在しなかったと言えるであろう。ここまで画業に執着できるというのは、これも一種の異常とも言えるかもしれない。そう言えば北斎の号の中には「画狂老人」というのもあったっけ。まあ自分でもまともでないのは自覚してたんだろう(笑)。

 なお北斎の娘のお栄もかなりの画力を持っていたので知られている。嫁にも行かずに絵ばかり描いているので町絵師のところに嫁がせたら、夫の絵を下手くそだと笑って追い出されて帰ってきたという話がある。北斎も女性の絵については娘の方が上手いと言っていたとか。北斎の晩年の作品は彼女が助手として協力しているとの話もある。そのために北斎の晩年の作品とされている作品の中には彼女の作品も多数含まれているのではとも言われている。北斎の晩年の作品に生命力溢れる若々しい作品も多いのはこういう理由もあるのではということである。

 


忙しい方のための今回の要点

・北斎は江戸時代には異例の90歳まで生きて、生涯絵を描き続けた。
・北斎の健康の秘密は健脚であったこと。筋肉から分泌されるカテプシンBの働きで海馬の働きが強化されており、年を取っても卓越した空間認識能力を有していたという。
・また北斎が絵を描く時に取っていたうつぶせの姿勢は腸内のガスを排出しやすい姿勢で、腸内環境を良好に保つことで免疫系も健康であったと推測される。
・北斎は70歳の手前で脳梗塞を患ったが、独自の柚子酒を処方して再発作を防いだ。柚子に含まれるヘスペリジンには血管拡張効果があり、血行をよくして脳梗塞を予防したと考えられる。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・北斎もある意味で紙一重を超越していた人のようです。収入はかなりあったらしいにもかかわらず、金に無頓着だったせいで常に赤貧生活だったとか。しかし本人はそんなことは全く気にかけずにひたすら絵に打ち込んでいたというのだから、確かにまともではない(笑)。
・かなり不作法な人でもあったらしいですが、それでも野垂れ死にしていないのは、やはり世の中が彼の才能を認めていて、常に誰彼が何らかの形で支援していたからでしょうね。そういう点では幸福な人でもあります。また自分の死後もこれだけの評価を受けているのですから、本人にとっても本望でしょう・・・いや、もしかしたら「俺はまだもっとスゴい絵を描ける」と言ってるかもしれませんが。何しろ「70歳までに描いた絵は実にくだらないものだった」らしいですから、今頃は「生前に描いた絵はまだまだ未熟なものだった」と言ってるかも。
・北斎以外でここまで自分の仕事に打ち込んだ人と言えば、私の頭に浮かぶのは手塚治虫ぐらいですね。結局はこういう人は後に神と呼ばれることになる。
・北斎はとにかく画業の幅広さでも知られています。北斎以外でこれだけ幅広い画業を手がけた人と言えば、河鍋暁斎ぐらいしか浮かびません。で、海外では今は北斎と並んで評価されているのが河鍋暁斎とのこと。こちらも近年になってようやく国内でも注目されることになってきましたが。

 

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