教養ドキュメントファンクラブ

テレビの教養系番組の感想など。かつてのニフティでのHPを新装開店

8/14 BSプレミアム 英雄たちの選択「謎の屏風が語りだす~復元推理 大坂冬の陣図屏風」

冬の陣図屏風、一体誰が描かせたのか?

 今回のテーマは7/3のヒストリアに登場した大坂冬の陣図屏風。狩野家に下絵が伝わっていたものを、その下絵に描き込まれていた色指定(アニメの下絵並みに細かい色指定が書かれている)に基づいて、凸版印刷(番組中では印刷メーカーとぼかした表現)が千田氏などの協力の下で復元したものである。

 この番組ではこの屏風の謎の依頼者が誰であるかを、歴史家の小和田哲男氏、歴史家の平山優氏、さらに復元プロジェクトに関与している城郭考古学の千田嘉博氏、そして番組司会の磯田氏の4名が推測している。

 まずこの屏風の特徴であるが、秀吉時代の大阪城をかなり正確に描いているという。このことから大阪城に詳しい人物であること。また大阪城を戦で破壊された姿でなく美しい姿で描いていることから、かなり豊臣方にシンパシーを感じている人物でないかと考えられるという。さらにはこれだけの屏風を描かせるにはかなりの金がかかることから、それ相応の財力を持った人物と言うことになる。

 

真田信之説

 最初に候補として上がるのは、真田丸の活躍を中心に描いていることから、真田家ゆかりの真田信之ではないかという説。しかしこれについては、小和田氏は「謀反を疑われるような立場にいた信之がこれを描かせるのは危険ではないか」との指摘や、平山氏からは「信之は自分は徳川の武将という意識が強く、豊臣にはそんなにシンパシーがなかったのではないか」との指摘があり却下。私も信之が秀忠に恨まれてネチネチと虐められている時に、こんな格好のいちゃもんの材料になりそうな屏風を描かせるとは考えられないとの意見である。

伊達政宗説

 次に登場したのは九陽紋の軍勢が描かれていることから、九陽紋を用いていた伊達政宗ではないかというもの。伊達政宗の家臣の片倉氏が真田信繁から娘を託されているし、伊達政宗は十分豊臣家にシンパシーを感じていたと思われることもあるという。ただこれについては「政宗ならもっと自分を中心に描かすだろう」という指摘があり、さらに「ほとんど活躍しなかった冬の陣よりも活躍した夏の陣を描くのでは」との指摘もあり。これは全く同感。あれだけ目立ちたがりの政宗がそんな隅に慎ましく収まっているはずがない。さらに徳川から常に謀反を疑われている立場でリスクがあるというのは信之と同じ。

 

徳川秀忠説

 ここで千田氏が出してくるのがヒストリアでも登場した秀忠説。秀忠の陣がかなり大きく描かれていることと、あえて家康の存在を消すかのようにしているのが秀忠らしいという考え。ただこれについては秀忠が描かせたにしては豊臣方が活躍しすぎという気がかなりする。私は秀忠は豊臣方が活躍しているそんな屏風を描かせるほどの人物の器量が大きくはないと考えている(だから信之を恨んでネチネチと虐めたりしているわけである)ので、秀忠はあり得ないと考えている。それに秀忠が描かせたものなら、完成品が徳川家に伝わっているのではとの指摘もあったが、全く同感。

蜂須賀至鎮説

 平山氏は屏風中央下で戦闘している蜂須賀至鎮説を提案している。彼は元々豊臣大名であったので、豊臣方に対するシンパシーもあるし、彼は製塩でかなり設けているので財力も十分にあるということらしい。ただこれについては、屏風に描かれている蜂須賀勢は明らかにやられているシーンであり、あえてそういう場面を描かせるかという疑問がある。

千姫説

 ここで磯田氏が面白い説を唱える。彼の説は依頼者は千姫ではないかというもの。家康も秀忠も千姫に対してはかなり後ろめたさもあるので千姫の要求は拒めないし、千姫にとっては大阪城は懐かしい夫との思い出の場でもある。千姫に要求された秀忠が渋々描かせたのではというもの。確かにこれはあり得るし、徳川家にとっては恥な屏風なので、千姫の死後に密かに処分されるということもあり得る。この観点は私も考えてなかった。


 というわけで議論百出の内容であった。結局のところ決定的な証拠は何もない(そもそも誰が描いたのかさえもハッキリしていない)ので、推測するしかないわけである。ちなみに私はヒストリアの時にも出ていた「秀頼が発注したが、その後に豊臣家が滅んでしまったので完成品が作られなかった」という説に説得力を感じます。だから秀頼に近い人物の発注ではないかと考えてます。

 


忙しい方のための今回の要点

・狩野家に伝わる下絵を元に復元された大坂冬の陣図屏風の依頼主について推測。
・大阪城の姿をかなり性格に美しく描いていることから、依頼主は豊臣家にシンパシーを持つ者であると考えられるとして、真田信之、伊達政宗などの名も挙がったが、いずれもやや難がある。
・千田氏は徳川秀忠説を唱えているようだが、これはこれで奇妙なところもある。
・磯田氏が唱えたのは意表を突いた「千姫」説。確かに整合するところもあるが実際はどうかは分からない。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・こういうのをああだこうだと推測するのが歴史の面白味の一つでもあります。私の考えは上で言ったように、秀頼に近い人物ということで淀殿や大野治長辺りを考えています。・で、この復元屏風は徳川美術館で展示中でしたっけ。今調べてみたら9/8まで特別公開中とか。興味のある方は徳川美術館まで行かれるのがよろしいかと。残念ながら私はこの期間に名古屋まで行く機会がありません。