教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

9/25 NHK 歴史秘話ヒストリア「夫婦で起こした家電革命 松下幸之助と妻・むめの」

 今回は日本を代表する家電メーカー・松下電器を創業した伝説の経営者松下幸之助とその妻・むめのの物語。何やら朝ドラネタ臭がプンプンするが、実際に以前にスペシャルドラマにはなったことがあるはず(筒井道隆の幸之助はともかく、常盤貴子のむめのは美人過ぎる気がしますが(笑))。

配線工事士から独立開業した松下幸之助

 和歌山出身の幸之助と淡路島出身のむめのが出会ったのは、大阪の商人の町・船場であった。見合い結婚だったらしい。幸之助は電力会社の配線工だった。当時は各地で水力発電所が増え、ようやく家庭でも電気が使われ出した頃だった。幸之助の仕事は電柱から各家庭への引き込み線を引く作業だった。しかし彼は自分が思いついた新しい配線のアイディアを上司に拒絶されたことと元々体が弱く仕事も休みがちであったことなどから退社を決意する。会社を辞めてしるこ屋でもしようかという幸之助にむめのは猛反対する。あなたがしたい仕事はそんなものではないでしょうということである。それを聞いた幸之助はやはり自分には電気しかないと考えて、電気機器の製造会社を独立開業することを決意する。

 

貧困に喘ぎながらもヒット商品開発に成功する

 当初のメンバーは幸之助夫婦とむめのの弟など数人だった。最初に製造に取り組んだのは電気のアタッチメントプラグ。当時の家庭用の電気は電灯用が1つだけ引き込んであるというのが標準であり、それをアタッチメントプラグで延長して手元でも使えるようにと考えたのである。その類いの商品は既に他社からも出ていたが、品質的に問題のあるものが多かった。

 しかし開発作業は難航、会社はいきなり資金繰りに苦労する。その時に金策に奔走したのはむめのだったという。彼女は嫁入り道具の指輪や着物などを質入れして資金を調達していたという。ただその苦しい状況は幸之助には告げず、彼が開発に専念できるようにしていたという。しかしついには銭湯に行く金さえなくなり、幸之助が銭湯に行こうとした時に、話を逸らして銭湯が閉まる時間まで引き延ばし、行水で済まさせるなんてこともしたそうな。そして9ヶ月後、ようやくアタッチメントプラグの開発に成功する。さらに有名な二股ソケットも開発。他社の製品よりも価格設定を各段に安くしたことで爆発的なヒット商品となる

 

さらに自転車用ライトでは新たな販売方法で成功

 これで会社は軌道に乗り従業員も増える。その社員の面倒を見たのはむめのだった。地方から出てきた社員の食事や住まいの手配、また礼儀作法などの教育にむめのは奔走する。そんな中、幸之助は次の商品のアイディアを思いつく。それは自転車のライトだった。当時の自転車のライトはロウソク式やガス式などで、いずれも揺れると消えることがよくあった。また電池式も登場していたが、点灯時間が短い上に電池のコストがかかり実用性が低かった。幸之助はこの電池式の点灯時間を延長することに取り組む。そして回路の工夫などを行い、点灯時間30時間という砲弾型電池式ランプを開発する。画期的商品でこれはヒット間違いなしと考えていた幸之助だが、案に反して商品は全く売れない。世間では「電池式は使い物にならない」という認識が広まっていたせいである。「一度でも使ってもらえたら絶対に売れるのに・・・」むめのの言葉に、幸之助は商品を店頭に置いてもらって宣伝してもらうという方法を思いつく。商品を自転車屋に無償で配り、実際に性能を確認してもらってから販売してもらうことにしたのである。そして2ヶ月後、商品の性能が口コミで知れ渡って大阪で大ヒット、さらには全国から注文が殺到するようになる。これで社員は300人の大会社に成長、この頃から「国民のための必需品に」という想いを込めてナショナルブランドを名乗るようになる。

世界恐慌の中でも社員を守る

 しかし順調にいっていた会社にここで暗雲が訪れる。世界恐慌の襲来である。幸之助の会社も製品が全く売れなくなって在庫の山を抱え込むことになる。しかも病弱な幸之助は病気で寝込んでしまっていた。もう従業員を解雇しないと会社が持たないという意見も出たが、幸之助はそれに反対。工場の稼働時間を半分にするが従業員の給料はそのままにすることを決める。そして社員総出で製品の販売に注力する大号令をかける。この時に彼が行ったのが、船場でよくあった初荷という行事。正月に社員が総出で商品を出荷し、万歳で大盛り上がりをするという行事である。沈みかけた町の空気を盛り上げてくれると大歓迎されることになる。また運動会などで社員のモチベーションを上げるなどにも力を入れる。いわゆる日本式経営の原点でもあった家族的経営というものの推進である。

 

大量生産で会社は急成長するがそこに戦争の影響が

 さらにフォードに習って大量生産に取り組むことにする。しかしこれはもし失敗すれば大量の在庫を抱えるリスクも伴うものであった。しかし幸之助は各家庭に電気製品を普及させるためにアイロンやラジオなどの大量生産に取り組み、驚異の低価格でこれらの製品を提供する。幸之助は門真に大工場を建設、社名を松下電器産業株式会社に変更する。そして従業員3000人の大企業に成長。しかしやがて戦争開始と共に、製造も戦争一色に塗り替えられることになってしまう。

 ようやく終戦、しかし幸之助の試練はむしろここからだった。彼はGHQから戦争協力者として睨まれ、社長の座を追われることになってしまう。公職追放だった。しかしこの時に彼の公職追放を取り消すようにとの嘆願書が提出される。提出したのは従業員の組合だった。この頃は経営者と対立する組合が多かった中で、実に異例のことであった。これは従業員を大切にする幸之助の家族的経営の結果でもあった。4ヶ月後、幸之助の処分は取り消されて社長に復帰する。

主婦のための家電製品開発に注力

 社長に復帰した幸之助はビジネスのヒントを求めて渡米する。そこでアメリカの女性は日本と違って積極的に社会参加をしているのを目にする。そしてそれが出来る理由が、家電製品による家事の省力化にあると考える。帰国した幸之助は主婦目線での家電製品の開発に注力することになる。松下電器が開発した洗濯機や冷蔵庫などは日本の家庭を変えていくことにする。

 また販売網を支えたのは全国の松下のお店である。各地の電気店と提携して松下電器の看板を掲げることで販売力を強化、こうして松下電器は日本トップの電機メーカーとして君臨することになる。松下幸之助、1989年に94歳でこの世を去る。彼と二人三脚で歩んだむめのがなくなったのはその4年後、享年97歳であった。

 


 伝説の経営者・松下幸之助とその妻のむめのの物語。何か近いうちに朝ドラになるのではないかと思わせるような内容でした(特に幸之助のことだけでなく、むめのに注目しているというのがいかにも朝ドラ的)。

 なお今回の番組内容を細かく注意していたら気がつきますが、幸之助が売り出した製品はすべて松下が開発したわけではなくて、よそのメーカーが出していたものを改良したものです。この辺りが松下電器が「まねした電器」と揶揄される所以でもあり、松下幸之助があくまで「伝説の経営者」であり、「伝説の技術者」ではない所以です。松下電器が長けていたのは開発よりも量産技術の方であり、かつては松下の商品開発部の仕事は、ソニーの新製品が発売される度にそれを入手し、部品レベルにまでばらして自社で製造するといくらで製造できるかを計算することだったと言われています。そして半年後に見事にコピー製品を販売する。

 しかし技術重視だったはずの他メーカーも、経営者が帳簿上の四半期の収益だけを気にする守銭奴ばかりになり、挙げ句に技術者を軽視して技術の海外流出を促してしまった結果、ほとんど総倒れになってしまって松下以外はほぼ全滅という惨状が現在の日本の家電業界の状況です。電子立国日本と言われた頃に青年期を送った私としては、現在の日本の家電業界の惨憺たる有様には目を覆いたくなるところです。松下幸之助が存命なら、「消費者が欲しがるような製品を提供しろ」と一喝するところでしょう。メーカーが消費者を見なくなり、自社の従業員を単にコストとしか見なくなった。その辺りからこの業界も落ち目になったと言うことです。4Kだ8Kだと消費者のニーズが全くないところを突っ走ってるんだから、そんなもの売れなくて当たり前。3Dテレビなんて、登場した途端に私は大失敗することを予想していましたが、私の予想よりも遥かに早いペースでなくなってしまいました。あんな「絶対成功するはずがないもの」を開発してしまうなんて、今の家電業界には松下幸之助はおろか、単なる一消費者の私のレベルにさえ届いていない連中しかいないんですか?

 

忙しい方のための今回の要点

・配線工事士から独立開業した松下幸之助は電灯線のアタッチメントプラグの開発に注力するが、なかなか商品化に成功せず、その間に金策に奔走したのは妻のむめのだった。
・ようやく開発に成功した製品は、価格設定を安価にしたことで大ヒット、会社も軌道に乗ることになる。
・自転車のライトでは、完成した製品を自転車屋に提供して、店頭でデモンストレーションしてもらうことで性能をアピールしてこれも大ヒット商品となる。
・順調に会社は成長するが、そこで世界恐慌が襲来する。従業員を解雇するべきとの声を圧して、幸之助は従業員の給料は据え置いた上で、社員総出で販売に注力、やがてこの危機を脱することに成功する。
・幸之助は大量生産によって製品を安価に提供するように、これによって松下電器は従業員3000人の大会社に発展する。
・しかし戦争の襲来で松下電器も戦時生産に協力させられるが、このために幸之助は戦後にGHQから戦争協力者として公職追放される。
・だが従業員組合が追放取り消しの嘆願を出し、幸之助の処分は解かれる。社長に復帰した幸之助は主婦の家事負担を減らすための家電製品の開発に力を入れ、松下電器を日本トップの家電メーカーへと成長させる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ松下幸之助を見ていても、来週登場するらしい渋沢栄一を見ていても、やはり昔は財界人にも哲学や理念があったもんだと感心します。それに比べると現代の経営者は・・・。本当に単なる守銭奴ばかりで呆れます。今や経団連と国会は無能な守銭奴共の吹きだまりです。不況時に従業員の雇用を守るどころか、従業員を切り捨てたいと非正規雇用ばかり増やし、挙げ句は従業員をただ働きさせたいと自民党に献金してサービス残業促進法案の成立を働きかける始末。そりゃ、こんな経営者ばかりだったら社員のモチベーションも落ちるし会社自体がドンドン駄目になります。駄目になる会社というのはその末期には明確に末期症状が出ます。例えばダイエーなんかはつぶれる5年以上前に素人の私が見てもハッキリ分かるぐらいの末期症状が出ていました。その目で現在の日本の家電業界に眺めると・・・惨憺たるものです。しかも一人勝ち(というよりも一人だけ生き残ったという方が正しい)松下電器さえ、安泰とはほど遠い状態です。なお現在、日本を支えていると言える自動車業界でさえ、私の目から見ると末期状態の入口に入りつつあります。このままだと日本が丸ごと負け組になりかねない。

 

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