教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

10/2 NHK 歴史秘話ヒストリア「渋沢栄一 時代を開く 新一万円札の男の実像」

 最近になってあちこちの歴史番組で次々に扱われているのが渋沢栄一。さてこの番組ではどういう切り口から迫るのか。

尊皇攘夷思想に走った若者時代

 渋沢栄一は埼玉の豊かな農家に生まれた。彼の家が豊かだったのは藍玉を扱っていたから。防虫効果などがあり繊維の保ちをよくする藍は当時は社会に不可欠だったものだという。幼い頃から学問を仕込まれて栄一は、14才で家業に関わるようになる。

 その頃に栄一が発行した藍農家の番付表がある。彼がこれを発行した目的は、上位に挙げられた農家に藍栽培の技術や工夫などを披露してもらい、すべての農家の生産を上げること。栄一はみんなで豊かになるということを目指し、これは彼の生涯の理念ともなる

 そんな栄一の転機は、地元の代官に一方的に金品の供出を要求されたことだ。無能な代官に偉そうに一方的に金品を要求されるという理不尽に、栄一は徳川幕府の世のシステムに問題があるということを感じ、当時流行していた尊皇攘夷の思想に段々と傾倒していくことになり、外国人を皆殺しにするだの、幕府を武力で倒すなのと過激な思想に染まっていき、彼も一端のテロリストになっていく。そして彼はついに武装蜂起まで計画するようになる。しかしこの計画は実行直前になって、2才年上のいとこの「無謀だ」という冷静な反対によって中止することになる。

 

フランスに渡って株式会社について学ぶ

 その後、幕府からの追及を逃れるためもあって、栄一は一橋家に仕えることになる。慶喜は彼を見込んで重用する。栄一は最初は一橋家の各地の所領を視察し、その収益力を増すことに尽力する。米の売り先を変えて利益を増やしたり、各農家ごとにバラバラに販売していたために価格交渉力が弱くて利益が薄かった綿花を、一橋家でまとめて販売することで価格交渉力を上げて各農家の収益を増やすなど、みんなで豊かなになるシステムを実践していく

 そして慶喜が将軍に就任することになる。そして栄一はパリの万国博覧会に派遣された使節団の一員としてパリに渡る。この時に巨大なスエズ運河の建設現場を目にした栄一は、この大事業が一企業によって行われていることを知って驚く。この時に彼は、一般人から資本を集めて事業を興す株式会社のシステムを学ぶことになった。彼はこの株式会社ことが日本の近代化にとっては不可欠なものであると考える。またベルギーで国王に謁見した際には、国王自らが自国の鉄のセールストークを行ったことに驚く。商業を卑しいものと蔑視する日本(儒教の悪い意味での影響だろう)とは全く異なり、ヨーロッパでは商業を国を支える基本と考えていた。栄一は株式会社で平等に商業を行い、これで国を変えることが出来ると考えるようになる。

 

帰国後、租税改革に取り組む

 栄一のヨーロッパ滞在中に大政奉還が起こり、彼が帰国した時には明治の世となっていた。彼は最初は静岡でかつて慶喜の家臣などの生活のために商売や金融の会社を立ち上げていた。株式会社のシステムを早速実践していたのである。そして栄一はパリでの経験を買われて政府に招かれることになる。

 彼はそこで租税改革に取り組むことになった。その柱は今まで米で納めていた税を金で納めるようにすることであった。しかしそのためには日本全体に及ぶ経済圏が必要で、そのためには鉄道、保険、銀行、さらには製紙業などあらゆる産業が必要なのであるが、当時の日本にはその基盤がまだ全く整っていなかった。そこで彼は株式会社を作るためのガイド本を発行して事業参入を期待するのだが、実際に事業を起こす者はほとんどいなかった。そこで彼は政府を辞め、自らが発起人となって株式会社を設立することにする。

 

自ら会社を立ち上げるが、政府の思わぬ妨害が

 最初に彼は第一国立銀行の設立に携わることにする。それに成功した次に取り組んだのは製紙会社の設立だった。彼は王子に巨大工場を建て、その会社は国の紙幣や債権などの公的書類に使用される紙を製造することになっていた。

 しかし突然とんでもない事態が沸き起こる。急に栄一の工場の隣に官営の製紙工場が建つことになり、先の取り決めは反古にされてしまったのである。番組によるとこの背景には岩崎弥太郎(栄一と弥太郎がケンカ別れしたのは他の番組で言っていた)と彼と癒着している大隈重信の暗躍があったという。なお栄一は大隈重信にはさんざん何かかにかと嫌がらせをされることになるらしい。

 

そこで思わぬ幸運に救われる

 栄一の工場はいきなり危機に瀕するが、思いがけない事態からそれが好転する。地租改正が実施されることになり、そのために短期間で大量の地券を発行する必要に迫られた政府が、そのための紙の調達を栄一の会社に命じることになったのだという。実は地租改正は栄一が政府に勤めていた時に手がけていたことであった。それがこんなところで思わぬ恩恵をもたらすことになった。これで栄一の工場は一気に息を吹き返す。その後、栄一の工場には明治天皇の視察などもあったという。この時に明治天皇から謝礼として送られた金子を彼は全従業員と分け合ったという。みんなで豊かになるということを実践したのである。

 その後も栄一は多くの企業を手がけ、晩年には福祉事業なども手がけた。政治経済を道徳と一致させるという理念を通して彼はその生涯を送ったのである。


 渋沢栄一については、番組によっては晩年の福祉事業に注目したりなどいろいろな切り口がありましたが、この番組は今までの他の番組とは若干切り口が変わり、栄一の事業家として側面のみを中心に描いておりました。なお他の番組ではすべて栄一がフランスで学んできた経済の仕組みとして「銀行」の存在を強調していたのですが、この番組ではそれに一切触れず、「株式会社」を挙げていたのが非常に特徴的です。ですから銀行設立の件なんかもサラッとナレーションだけで流してました。ナレ起業ですな(笑)。この「みんなが豊かになるために起業する」という発想、つくづく今時の守銭奴経営者にはとことん考えてもらいたいところです。自分達だけが儲けて、そのためには社員をコストとしてカットすることしか考えてないような輩共には。特に関電の幹部などには渋沢栄一の爪の垢を煎じて、三度の食事ごとに飲んでもらいたいぐらいです。

 

忙しい方のための今回の要点

・慶喜に仕えることになった渋沢栄一は、パリ万博への使節の一因として渡欧。そこで株式会社のシステムを学び、これこそが日本の近代化に必要なものと考える。
・帰国した栄一は、政府で税制改革に取り組むことになるが、その基本となる諸事業が日本では全く整っていないことに気付き、政府を辞して自らそれらの事業を株式会社を起こして手がけることにする。
・彼が製紙会社を起こした時、岩崎弥太郎や彼と癒着した大隈重信の差し金で官営工場が隣に建つという事態になってしまうが、地租改正による地券の発行で大量の紙が必要となったことで彼の工場は救われる。
・その後も彼は多くの事業を手がけ、商業の発展によってみんなが豊かになるということを実践する。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・渋沢栄一もいろいろな切り口があるようです。しかし今回の番組の一番のポイントは、「大隈重信、陰険」ってことでしょうか(笑)。しかし渋沢栄一絡みで岩崎弥太郎は大分株を落としましたね(笑)。

 

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