世間にはいろいろと信憑性の明らかに怪しい説などが飛び交っていたりするが、今回はそういう怪しい説についての検証。
幕末オールスターキャストのフルベッキ写真の真実
1つめに登場するのが、坂本龍馬に西郷隆盛、高杉晋作からなぜか幕府方の勝海舟までが一緒に集合写真を撮っているというフルベッキ写真と言われる写真。この写真が撮影されたのは徳川敗北の3年前であり、この面々が本当にこの時期に会談していたとなれば、そもそも明治維新自体が八百長だった可能性さえも浮上する。
しかしこの写真については既に真実は判明している。この写真は上野彦馬のスタジオで撮られたことが明らかだが、この写真を撮れるスタジオは明治元年に作られているので、少なくともそれ以降の写真と言うことになるという。となると高杉晋作など既に存命していない人物の写っている心霊写真になってしまう。ではこの写真の正体はとなるが、それは佐賀の英学校である致遠館の生徒と教師が写ったものであることが確認されている。
ではなぜこんな珍説が流布したかであるが、幕末ブームが盛り上がった昭和40年代に、肖像画家である島田隆資氏が、目鼻などの位置からこの写真に西郷隆盛が写っているとして、さらに数人の志士も含めて「同定」したことが始まりとのこと。そこから始まっていつの間にやら全員が「同定」された写真が出回ってしまったらしい。これは完全に否定されているにもかかわらず、幕末志士オールスターキャスト総出演というキャッチーなインパクトから、その後も何かの度に浮上してきてしまうらしい。歴史学者の呉座勇一氏によると、ニセ歴史にダマされないためには「1.面白いものは疑え」だとのこと。こんな写真がもしあれば面白いなというところに、まさにそのものズバリの写真が出てきたのだから、飛びつきたくなるところだが、そういうものは真っ先に疑うべしということ。それは当然である。なお私の場合はこの写真を見た時に一番に感じたのは、例えば高杉晋作だの坂本龍馬だのと説明の付いている人物が、本人のものであることが確定している写真と比較した場合、どう見ても写真写り云々の次元を越えて全く似ていない。
東北古代王国説の真実
次はかつて東北に大和朝廷にも負けない強大な王国が存在し、さらには広くインドなどとまで交流していたという話。これは五所川原市の和田喜八郎氏が自宅の天井裏から発見したという古文書・東日流外三郡誌というものに記述されていたという内容である。これは当初から胡散臭いと考えられていたにもかかわらず、これに飛びつく歴史学者が登場したことや、地元の人たちの郷土愛を刺激したことでマスコミになどにも取り上げられるなど、一躍ブームになってしまったという。
しかし文書を検証すると、江戸時代に書き写された古文書とされているのに、江戸時代に絶対に出てくるはずのない単語が登場していたりなどかなり雑な内容である。結局は和田氏が自ら執筆していたのがほぼ間違いないとされている。実際に和田氏の死後にその自宅が調査されたのだが、そもそも和田氏が大量の古文書を発見したという屋根裏自体が本来は存在していない住宅(農家の藁葺きの家は大抵そういうもので、後になって天井として薄い板を貼っただけのものが多い)だったとか。かつてこの家に住んでいたという和田氏の従兄弟は「元々この家には古文書とかそんなものは何も伝わってなかったのに、なんで頭のよい専門家の人までコロッとだまされるのだか。」と半分呆れたような様子でインタビューに答えていた。
専門家が議論しているが、やはり東北には中央に虐げられてきたという意識があるので、そこで登場したこういう話には大いに郷土愛をかき立てられるものがあったのだろうという。郷土愛にしてもあまりに強くなりすぎると、まさに「恋は盲目」で客観的で冷静な検証が出来なくなるのだという。ここで呉座氏によるダマされないためにはは「2."歴史の真実"には要注意」。歴史というのはあらゆる断片で部分部分が限定的に分かってくるものなので、これ一発で歴史の真実が分かるというのはそもそも怪しいのだとか。自分が望んでいる考えなどにピタリと合うような資料が出てきたような時こそ、慎重に考えることが必要だという。まあ実際に人間は自分が望む情報にすぐ飛びつくものであり、ネット時代になって情報が氾濫し出すとまさにその傾向が強くなり、情報の真偽ではなく自分にとって好ましいかそうでないかで情報を選択する傾向が強くなっている。いわゆる歴史修正主義者なんかが信じている「真実の歴史」なんてものはまさにそのもの。自分の「こうあってくれたら良いな」という願望を反映した妄想の羅列に近いものが多い。
義経チンギスハン説のその意図
最後に登場するのは義経チンギスハン説。これはこの手のデマの中ではトップクラスにメジャーなものである。これはこの手の怪しい歴史の中でも老舗に属し、そもそもは1924年に牧師で教育者の小田部全一郎氏が出版した本によるものであるが、それ以前から義経は生き延びて蝦夷地に逃れたなどの伝説は巷に溢れていた。これはいわゆる判官贔屓などと言われる心情からくる伝説だが、義経に限らず実は世界中に見られる現象だとか。小田部氏の説はいわばそれらの伝説の集大成とも言えるという。
この説は当時にも大論争を巻き起こし、歴史学者などからの反論があったのだが、歴史学者の「そもそも説を裏付ける証拠の類いが全くない」という指摘に対し、小田部氏は「歴史家は古文書などを重視して伝説や伝承を退けている」と主張するなどそもそも議論が全くかみ合っておらず、金田一京助氏の「小田部氏のは史論ではなくて義経信仰だ」という言葉が実に核心を捉えていると感じる。要は信じたい考えがあり、それに都合の良い証拠(と本人が思うもの)を集めているだけである。小田部氏の論は明らかにカルト宗教のそれに非常に近い。
しかしこの説は関東大震災で自愛心を失いかけていた日本人の自愛心を癒やすのに格好の材料であり、また大陸進出の機運と見事に合致したことから、世間(さらには大陸進出を正当化したい軍部)に熱烈に受け入れられてしまう。今になると、小田部氏は軍部とのつながりもあるらしく、どうもそもそも軍部にとって都合の良い考えを提案した可能性さえも考えられるらしい。ここまで来るとニセ歴史が社会に対して有害性をなした例となり、呉座氏の指摘も「3."歴史のロマン"では許されない」となる。嘘の歴史から何の正しい指針も導き出せず、社会全体を誤った方向に誘導することになりかねないという。これは全くその通り。実際に社会を誤った方向に誘導したい権力者などはまず第一に歴史の改竄を始めることになる。戦前の日本がまさにそれで、最近の日本でもそれを行っている連中がいる。またいゆわる独裁国家(例えば北朝鮮とか)などではもろにこれを行って権力者を絶対視する根拠に使用することになっている。つまりは常に歴史とは客観性が必要であると言うことである。
今回は巷に流布するニセ歴史について。番組でも言っていたが、根拠が何もないにもかかわらず、あちこちに出回ることであたかもそれが真実であるかのように巷で信じられてしまうことがあるのでそれが怖い。特に今のようにネット時代になると、より偽情報が巷に広がる危険性が増している。それだけに各人が常に情報の真偽を自ら検証するぐらいの意志が必要であるのだが、情報が増えすぎるにつれて逆に情報リテラシーは低下しているというのが現状。これは私自身も以前から懸念しているかなり危険な状況になっている。
忙しい方のための今回の要点
・幕末志士が総出演しているといわれているフルベッキ写真は、既に間違いであることが確認されているにもかかわらず、その内容の魅力故に未だに巷で出回っている。
・東日流外三郡誌に基づく東北古代王国は、そもそもの東日流外三郡誌が明らかに怪しいものだったにもかかわらず、地元民の郷土愛を刺激したために広く受け入れられてしまった。
・義経チンギスハン説は明らかに根拠がない(そもそもチンギスハンの出生などはモンゴル側の資料で明らか)のだが、この説は大陸進出を図っていた日本にとって都合が良かったために、広く流布して受け入れられてしまった。
・情報が氾濫する現代こそ、その真偽を見極める目が求められている。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・歴史のifには確かに魅力があります。私も実際にその手をあえて「可能性」として唱えることはありますよ。例えば本能寺の変について実は秀吉は事前にそれを知っていたとか、明智光秀と徳川家康が密かに盟約を交わしていたとか。ただ、それを根拠なく信じ込んで「これこそが世間に知られていない歴史の真実だ」などと言い出すとカルトそのものになってしまいます。あくまで論を出す場合には客観的な証拠が必要になります。ただ最近は「根拠、それは私がそう信じているからだ、キリッ」というような連中が増えてきていて、それには非常に危険性を感じます。