教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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9/30 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「光秀の娘 細川ガラシャの悲劇」

 戦国時代に悲劇的な運命を辿った美女・細川ガラシャ。彼女が今回の主人公。

結婚してからの幸せな日々

 細川ガラシャこと玉は明智光秀の三女として生まれる。そして16才の時に細川忠興に嫁ぐ。当時忠興の父の細川藤孝は山城国の一部を、明智光秀は近江の一部を治めており、共に信長の命で丹波方面に侵攻をしていた。この両者の結束を強める婚儀は、信長が媒酌人となって行われたという。

 戦国一の美女と言われた玉に忠興はぞっこんで、夫婦仲は良かったという。二人は子宝も授かり幸せに暮らしていた。しかしその生活は玉の父である光秀が謀反を起こしたことで暗転する。

 

本能寺の変で運命が暗転する

 光秀は細川家に援軍を送るように要請してきた。しかし細川家は謀反人に協力しないとこれを拒絶する。実家と嫁ぎ先の板挟みになり悩む玉。しかしそんな玉に忠興は「もう一緒に住むわけにはいかない」と丹後の国の味土野に幽閉する。実はこの時、玉と離縁しろとか自害させろと言う声が家中にかなり上がっており、忠興としては玉を守るにはこうするしかなかったようである。しかし美人で教養もあるが、プライドが高くて怒りっぽい性格だったという玉に対するこの仕打ちは、後々に禍根を残すことになる。

幽閉を解かれた後も不自由な暮らしを強いられる

 2年後、忠興が秀吉に玉の幽閉を解くことを願い出て、これがあっさりと認められたことから玉は忠興の屋敷に帰ってくる。しかし忠興は玉を24時間監視の下に幽閉して外出を禁止した上に、彼女に対して非常に厳しく当たるようになる。これについてはやはり玉が謀反人の娘であるという世間体があった上に、玉が美女であったために他の男の目に触れさせたくない(特に女好きの秀吉を警戒していた節がある)という忠興の嫉妬もあったのではないかとのこと。これは私も全く同感である。恐らくプライドを傷つけられた彼女(忠興が2年の間に側室を持って子を儲けたことも特に彼女を傷つけたらしい)は忠興に対して冷たく当たり、忠興は彼女の心が自分から離れているのを感じて浮気を恐れたのだろうと推測する。要するに忠興はまだ彼女にべた惚れだったのだが、二人の心にズレが生じていたのだろう。正直なところ、ここで忠興がもう少し器用な男だったら後の悲劇は防げたと思うのだが・・・。

 

キリスト教との出会い

 この時に彼女が興味を持ったのがキリスト教の教えだという。実はキリスト教について彼女に最初に教えたのは忠興だったという。忠興にはキリスト教である友人の高山右近などがいることから、彼自身がキリスト教に関心があり、その話を玉にもしたようである。そこでどうしてもキリスト教についてさらに詳しく知りたくなった彼女は、忠興が九州に行っている間に密かに屋敷を抜け出して宣教師に会いに行く。そしてそこで彼女はキリスト教に入信することを決意する。キリスト教に入信するには洗礼を受ける必要があるが、屋敷から再度の外出が叶わなかった彼女は、まず侍女に洗礼を受けさせ、その侍女から洗礼を受けることでキリスト教に入信したという。この時に洗礼名であるガラシャの名を得ることになる。キリスト教に入信したガラシャは、新たな生きる支えのようなものを得て、性格も穏やかになるという(ということは、それまでかなりギスギスしていたということだろう)。戦災孤児の面倒を見るというようなことまで行っていたらしい。

 しかし彼女がキリスト教に入信してから間もなく、秀吉が禁教令を出してキリスト教を禁ずるようになる。これはキリスト教徒がかつての一行門徒のように結束して反逆することを警戒したことや、南蛮船が日本人を奴隷として売買していたことなどが原因だとされる。忠興はガラシャに短刀を突きつけて改宗を迫ったが、彼女は頑としてそれを拒絶したという。怒った忠興は彼女の周辺の侍女などを追放したとか。忠興自身は実はキリスト教については本音では好意的だったらしいが、秀吉が禁じた以上はそれに従わないわけには行かなかったようである。ただここでも忠興の不器用さが現れてしまっている。

 

関ヶ原の運命を決した彼女の悲劇

 そして彼女に時代の波が最後の悲劇として押し寄せる。石田三成と徳川家康の対立が深まり、とうとう関ヶ原の戦いが勃発するのだが、その時に三成は大阪に残る大名の妻子を人質にして東軍についた大名の寝返りを誘おうと考える。そしてガラシャに人質になるように要求するのであるが、細川家はそれを拒む。そしてキリスト教の教えで自害を禁止されているガラシャは、家臣に長刀で胸を刺させて死ぬ。その時に忠興に「側室を正室にすることのないように」との伝言を残したというから、やはりかなりプライドの高い人である。結局はこのガラシャの行動が三成に人質作戦を断念せざるを得なくさせ、ひいては東軍の勝利につながったのだという。ガラシャの死を知った忠興はあえてキリスト教式の葬儀で彼女を葬ったが、その式の間中泣き続けていたとか。また彼は生涯正室を迎えることはなかったという。やっぱりべた惚れしていたようである。


 結局は滅茶苦茶プライドの高い女性と、とことん不器用な男のすれ違いによる悲劇というようにしか見えなかった。ガラシャがキリスト教に惹かれたのは、儒教の三従の教え(女性は子どもの時は父親に、結婚すると夫に、年を取ると長男に従えという典型的な男尊女卑思想)などを否定する考えに共感したとの話で、要は自尊心だけでなく自立心も高い女性だったのだろう。恐らく現代の世ならバリバリのキャリアウーマンになっていただろうと思われる。結局は世の中に合わなかった女性であったということである。正直なところ、彼女がもう少し折れるか、忠興がもう少し器用であればこんな結末にはならなかったと思われるのだが・・・。

 

忙しい方のための今回の要点

・明智光秀の三女として生まれ、細川忠興に嫁いだガラシャは、子宝にも恵まれて幸福な結婚生活を送っていた。
・しかし光秀が謀反を起こしたことで忠興によって田舎に幽閉されることになる。これは彼女を守るための手でもあったのだが、これが彼女をいたく傷つけることになる。
・ようやく幽閉を解かれて忠興の屋敷に戻ったガラシャだが、忠興は彼女の外出を禁じて屋敷に幽閉してしまう。どうも彼女を他の男の目に触れさせたくなかった節が見受けられる。
・忠興とうまく行かない中、ガラシャはキリスト教の教えに興味を持ち、ついには侍女を通じて入信する。しかしその後に禁教令が出されることになる。
・関ヶ原の合戦の勃発時、三成は大名の妻子を人質にすることを考え、ガラシャに人質になるよう要求するが、ガラシャはそれを拒んで家臣に自ら殺害させる。結局はこの行為が三成に人質作戦を断念させることになり、ひいては関ヶ原の合戦の勝敗を左右することになる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・正直なところ、もう少しどうにかならなかったのだろうかと思わせる部分が多々ありますね。忠興にしたらガラシャにべた惚れなのに、彼女のプライドの高さと気の強さを持て余していたんだろうなというのが覗えますね。しかも忠興は短気で癇癪持ちだったよう。じっくりと彼女の気持ちをほぐすという器用さの持ち合わせもなかったのでしょう。ある意味で悲劇的な夫婦だな。夫婦が上手くいかなくなる時って、こんなもんなんでしょうかね? これは独身の私には分かりません。

 

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