教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

11/21 BSプレミアム 偉人たちの健康診断「前田利家 筋肉男子の加賀百万石」

 今日の主人公は、地方豪族の四男から出世して加賀百万石の礎を築いた前田利家。

鎧で分かった筋肉男子・利家の姿

 利家が傾奇者だったという話は有名(要するに若い頃にはヤンキーだったということである)であるが、これ以外にも利家は身長180センチの巨漢などと言う話もあるらしい。しかし最近になって見つかった利家の鎧から、実際には身長は160センチ前後で当時の標準であったことが判明した。ただこの鎧に非常に特徴的なのは背後にある盛り上がり。これは背中の広背筋が非常に発達していたことを示すという。

 利家の広背筋がこんなに発達したのは、彼が使っていた武器のせいだろうとのこと。彼が戦場で使用していたのは当時の標準の2倍の長さである6メートルの長槍。彼はこれを戦場でぶん回していたらしい。この槍は通常なら持ち上げるのも困難な代物である。実用性がどの程度なのかに疑問がないわけではないが、確かにこれを本当にぶん回していたのなら、そんなヤバい奴には近寄りたくない(笑)。なお当然のようにこの槍は戦場では目立ちまくったようだから、この辺りは昔の傾奇者の血が騒いでいたんだろう。番組では7メートルの旗をぶん回しいるパフォーマンス集団のメンバーに取材しているが、彼らも見事な広背筋をしている。

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前田利家肖像

 

利家を救った「謝罪力」

 利家はこの筋肉を使った槍働きで出世したのだが、それ以外で重要だったのは利家の「謝罪力」だとこの番組はしている。

 利家の経歴では2回ほど危機的状況がある。1回目はまつと結婚して(「噂の夫婦トシーとマツ」である)子供も出来て順調だった時に、信長が寵愛していた茶坊主が利家のことを小馬鹿にしていたことにぶち切れて、信長の目の前で斬殺するという無茶をしている。この時はぶち切れた信長に手討ちにされかかったんだが、回りの取りなしで何とかそれは免れたものの追放されてしまう。妻子を抱えた身で路頭に迷ってしまった利家は何とか信長の元に復帰しないといけないのだが、並みの謝罪で許してくれるような人物でないのが信長。そこで利家が取った方法は、勝手に桶狭間に参戦してそこで一番首の手柄を上げたのだとそうな。しかし利家はその首を田んぼに投げ捨てたという。これは手柄ではなくて信長の許しを求めているというパフォーマンスだったようだが、この時は信長に完全にスルーされてしまったらしい。しかし利家はこれで諦めず、翌年の斉藤龍興との戦いにまた参戦して一番首を上げる。さらに再び敵陣に突入しようとする利家を信長は呼び止めて復帰を許しのだとか。それどころか扶持(要するに給料)が3倍にアップしたという。

 なぜ信長が利家を許したかだが、番組では人間は五感の中では視覚が優位であり、視覚で見たものは覚えやすくてインパクトがあるという画像優位性があるから、利家の首を投げ捨てるというパフォーマンスが効果があったのだろうというかなり強引な解釈をしている。しかしそんなものよりも、2回も続けて一番首をあげるという大功績を上げているんだから、これを能力主義の信長が放っておくわけがないというのが実際だろう。

 

秀吉との対立も謝罪力で切り抜ける

 2回目は賤ヶ岳の合戦の時。この時に利家は恩人であり上司でもある勝家に付くか、親友である秀吉に付くかで散々悩んだ挙げ句に勝家についたのであるが、勝家は敗北、利家もその身が危なくなったのである。この際に利家は頭を丸めて秀吉の前に現れたという。出家して武士をやめますという覚悟を秀吉に示したということになる。これを見た秀吉は驚いてからカラカラと笑い、又左は律儀者だと利家を許したという。秀吉としても本音は利家を処罰したくない考えがあったが、回りの手前簡単に許すというわけに行かなかったところを分かりやすい形で謝罪の意を示したので秀吉も許すことが出来たのだろうという話。もっとも実際はこのパフォーマンスだけでなく、そもそも利家は参戦はしたものの積極的に戦わずにさっさと撤退しており(一説によるとそれが勝家勢総崩れのきっかけにもなったとか)、それ以前から秀吉と連絡を取っていた節がある。なお伊達政宗が秀吉に降った時、白装束を着てやってくるというパフォーマンスを取っているが、これも実は利家の入れ知恵だったのではとのことだが、それは大いにあり得る。

 

スーパーシニアの活躍を支えた筋肉

 このようなこともあって周囲の人望も高まって来た利家は実質的に豊臣政権のNo2となる。しかしそろそろ息子に家督を譲って隠居しようとした時に秀吉が亡くなる。すると今まで息を潜めていた家康が天下を狙って暗躍をし始める。結局この時に、利家は既に60才にもなっていたにもかかわらず、豊臣家を支えるために積極的に動かざるをえなくなる。非常に精力的に活動する利家はまさにスーパーシニアだったんだが、それを支えたのは若い頃に鍛えた筋肉だったとのこと。広背筋を鍛えていると姿勢も良くなり、そのことによって肺の酸素取り込み能力がアップするので免疫力の低下を防ぐのだとか。家康以外の五大老がすべて利家方に付いていたこともあり、利家の存命中は家康を勝手なことは出来なくなっている。

 

利家の死因は胆のうガン

 しかしその利家も61才で急死してしまう。記録によると薄墨色の尿が出たと記されており、これから推測される利家の病は胆のうガンであるという。以前から利家は「鶴を大量に食べた後に腹痛になった」という記録などがあり、これはコレステロールが原因となる胆石が出来ていた可能性があるという。胆石が直ちにたんのうガンに直結するわけではないが、胆石が胆のうに傷を付け続けることが胆のうガンの原因になるという考え方はあるという。なお胆石は高コレステロールな食生活を続けていると発症しやすく、自覚症状がない場合も多いので10人に1人ぐらいは胆石を持っていると考えられるとか。どか食いする人、夜遅くに食べる人、運動不足の人が危ないということなので、私はもろに危ない。

 利家の死を待って健康オタクの家康が動き始め、とうとう豊臣家は滅びることとなる。利家は文武に力を入れるように言い残しており、その結果として金沢では文化が発展することとなり今日に至っている(実際に金沢は京都に次いで和菓子の産地でもある)。

 

忙しい方のための今回の要点

・利家の鎧から、利家は広背筋が非常に発達していたことが分かったが、これは長い槍を振り回していたことで鍛えられた。
・利家は信長の寵愛していた茶坊主を斬殺して追放されたり、賤ヶ岳の合戦で秀吉と戦ったりなどの危機を迎えているが、この時も分かりやすい形で謝罪の意を示すという謝罪力の高さで危機を逃れている。
・秀吉の死後、60才の利家は豊臣家を守るために家康を牽制する活発な活動を行うが、それを支えたのは広背筋の強さのおかげて酸素吸入量が多く、免疫力が低下していなかったことだと推測される。
・利家は61歳で亡くなったが、死因は胆のうガンと推測される。また利家は胆石があった可能性が非常に高く、これが胆のうガンの原因となった可能性もある(ただし胆石と胆のうガンの因果関係はまだ医学的には直接は証明されていない)。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・前田利家といえば、単にマッチョというだけでなく、律儀者という評価が常につきまとっています。つまりは他人から信用されるような行動をとっており、それが最終的には人望につながって身を助けたというわけです。
・利家がもっと長生きしていたら(61歳でも当時としてはかなり長生きですが)、家康による豊臣家の滅亡はなかっただろうと言われていますが、だからこそ家康は秀吉や利家よりも長生きする必要があると健康オタクになったんです(笑)。実際に徳川の天下は家康が長生きしたから実現したのであって、家康が亡くなってボンクラ秀忠だったら、天下を覗うどころか下手すれば徳川家がつぶされていた可能性があります。家康とすれば、天下を取るまでは死んでも死にきれないという状態だったと思います。

 

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