教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

12/25 BSプレミアム 英雄たちの選択「追跡 子だくさん将軍の大名ファミリー化?計画」

 50年という長き期間を将軍として務めながら、その間に政治的には「全く何もしていない」と言われ、「やっていたことは大奥で子作りに励んでいただけ」とボロクソに言われることが多いのが11代将軍の家斉。しかしこの番組では家斉には彼なりの構想があったのだとしている。

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放蕩将軍・徳川家斉

 

 

53人の子をあちこちの大名家に送り出す

 家斉が将軍となったのはまさに江戸の文化が最盛期となっていた頃である。10代将軍の跡継ぎが急死したことで将軍の候補となり、15才で将軍に就任した。この後、松平定信の元で寛政の改革が始まるのだが、6年後に家斉は松平定信を退けて自ら政治を行い始めた(単に松平定信の質素倹約が嫌だったのではという気もしないでもない)。この頃はまだ彼はかなり真面目に執務に励んでいたらしい。ただ放蕩将軍などと言われることになる本性が徐々に現れてくる。鷹狩りに出かけたり、鯨の泳ぐ姿を見たいと御殿の庭の池に鯨を連れてきたなんて話もあるらしい。そして大奥では40人もの側室を囲い、53人もの子供を儲け、各地の大名の元に子供たちを送り込み、その数は21家640万石に及んだという。強引に各大名の跡継ぎや正室として子供を送り込んだのだが、それには莫大な持参金をつけての事だったという。既に財政難に喘いでいた大名は恩恵目当てで家斉の子供を受け入れたという。

 

 

貨幣改鋳で資金を作り、家格上昇で大名を懐柔

 家斉のこの大盤振る舞いの原資は、貨幣改鋳によるものだったという。家斉はそれまでの小判を回収して、金の含有量を減らした新しい小判を製造した。さらに小判以外の貨幣にまでそれは及び、15年間で幕府の利益は1550万両に及んだという。ただこのような行為は当然のようにインフレを呼んで物価高騰につながると思われるのだが、その辺りは今回の番組では言及していない。

 さらには子供を受け入れた大名家は家格が上がるという特典もあったという。大名家はこの家格で江戸城の控えの間までが区別されていたので、当時の大名にとっては重要なステイタスだったという。

 というわけで、この番組では家斉は金と家格で各大名をコントロールした意外な策士という解釈なんだが・・・私はやっぱり単にお姉ちゃん大好きだっただけではという気がしてならないのだが・・・。誰だったか(徳川の子孫だった気がする)が「徳川の血はスケベの血」と言っていたのを聞いたことがあるが、それが核心を突いている気がする。

 さて家斉の時代であるが、決して日本は安泰だったというわけではない。日本近海にはロシアが貿易を求めてやって来るなどということも起こっており、家斉はその対応に頭を悩ましていたという。もっとも幕末ほどまだ差し迫った脅威ではなかったというが。

 で、このような事態になると各大名が個々に対応していたのではどうしても限界がある(中には密貿易している藩なんかもあったらしいし)。となると、やはり日本全体としてまとまる必要があり、そのために家斉は自分の血縁で有力大名をまとめようとしていたのでは・・・とのことだが、本当にそこまで考えてたんだろうか?

 

 

尾張家取り込みのために執拗に跡継ぎを送り込むが・・・

 家斉が一番対応に苦労していたのが尾張藩だという。尾張藩は家康の九男の血筋で徳川家の親藩なのだが、幕府創設から190年となると八代の藩主が代わる内に将軍家とは血筋も薄くなっていた。しかも吉宗の時に尾張家ではなくて紀州家から将軍が出たことで、尾張家は将軍家とむしろ対立関係になってしまっていた

 そこで家斉は長女の淑姫を尾張家の跡継ぎと婚約させる。しかしその跡継ぎが病死して家斉の目論見は破綻する。3年後には尾張の跡継ぎとして4男を送り込むが、この4男は1年で病死してしまう。これでも諦めない家斉は弟の子を尾張藩に送り込んでから、そこに自分の娘を嫁がせるという形で尾張家を取り込もうとする。こうして送り込んだ斉朝は尾張の家督を継ぐ。しかし斉朝と淑姫の間に子供が生まれなかった(そもそもこの二人は従兄弟関係であるから血が濃すぎるのでは?)ことから、19男の斉温を斉朝の養子として送り込む

 11代藩主となった斉温は公家の近衛家の福姫と結婚することになったが、これは尾張藩に莫大な財政負担を強いることになった。しかしこの3年後に斉温は21才の若さで急死する。跡継ぎのいない尾張藩は混乱するが、この頃になると家臣達の間からは相次ぐ将軍家からの養子受け入れが尾張藩の財政を圧迫しているとして、次は尾張藩初代の血筋の分家から藩主を受け入れるべきとの意見が持ち上がってくる。さらに中には将軍家による乗っ取りだとして反発する急進派の派閥も登場したという。

 この時に家斉の選択は、1.他家に養子として送った息子の一人を呼び戻して、尾張藩に跡継ぎとして送り込む。2.娘を尾張藩の跡継ぎの正室として送り込む。3.尾張藩に忠誠を誓わせて誰も送らない。以上の3つである。

 

 

それでもさらに尾張家取り込みに固執する

 これについては番組ゲストの意見はかなり割れていたが、結局家斉が取った選択は田安家の当主となっていた12男の斉荘を亡くなった斉温の末期養子として送り込むことだった。しかしこれには尾張藩士の不満が爆発、押し付け藩主として反発したという。家斉は尾張藩の領地を増やしたりなど必死の懐柔策をとって、斉荘が藩主になったのを見届けてから69才でこの世を去る。

 しかし家斉の死から4年後に斉荘が死亡する。12代将軍で家斉の息子の家慶は親しい身内を尾張藩主にすることにこだわり、家斉の弟の息子である慶臧を13代藩主として送り込むが、さすがにここまで来ると「いい加減にしろ」との反発が尾張家中に沸騰し、実力で当主を討つとまで公言する強行派まで登場したという。慶臧の兄である松平春嶽は慶臧に尾張藩士を宥めるように、「家臣から気に入らないことを言われても決して咎めず、仁政を尽くせ」とアドバイスを送っている。しかしその慶臧も4年後に亡くなってしまい、ついに尾張家は初代の血筋から藩主・慶勝を迎えることになる。

 家斉の死から27年後に鳥羽伏見の戦いが起こるが、長州藩の毛利家は家斉の娘に子供が生まれず家斉の血筋になっておらず、家斉の血筋が当主として残っていたのは加賀の前田家、鳥取の池田家、姫路の酒井家、徳島の蜂須賀家だけだった。しかしこれらの家も徳川方には付かず、さらには江戸城の受け取り役を務めたのは尾張藩であり、慶勝は新政府の要職に就いた。

 

 

 番組では「この時代になると既に藩主の権限は限られており、藩主を身内から送り込んだとしてもその藩を丸ごと掌握できる時代ではなくなっていた」というようなことが言われていたが、それは全く同感。実際に倒幕をした薩長にしても、薩摩はともかくとして長州の藩主はほとんど何もしていない(笑)。

 なお磯田氏は尾張に送られた藩主が次々と亡くなったことに対し、暗殺を疑っていたようだがこれは私も全く同感。確かにこの時代は病死が多く、さらには徳川の血筋は近親婚などのせいでかなり虚弱化していたということを考えても、あまりに死にすぎ。しかも大体数年で亡くなったことを考えると、毒でも盛られた可能性が高いのではと思わずにはいられない。

 つまりは家斉は自らの血筋によって諸大名をまとめるとということを考えていたが、世の中は今更血筋だけでまとめられるような時代ではなくなっていたということで、家斉の構想は頓挫してしまったということのようだが、本当に家斉はそこまで深く考えていたのだろうか? 私はやっぱり「お姉ちゃん大好きがまず第一で、そのついでにあわよくば大名を親戚に取り込めれば」くらいのスタンスだったような気がしてならない。そもそも好色でないと政治的意図だけのために子供を53人も作るのはまず無理だと思われるし、実の息子を送り込まなくても養子を送り込むなどの手はあったはずだから。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・家斉は生涯で53人もの子供作り、放蕩大名などとも言われているが、彼はその子供たちを各大名の跡継ぎやその正室として送り込むことで、大名たちをファミリー化することを狙っていたのではと推測される。
・大名に跡継ぎを送り込む時には、莫大な持参金と共に家格の上昇などの特典もあり、財政的に窮していた大名の中にはそれを歓迎する空気もあった。
・彼が特に意を砕いたのは、既に将軍家と疎遠となっていた尾張家であり、何度もにも渡って跡継ぎを送り込んでいるが、ついにはそれが「将軍家による乗っ取り」として家臣達の反発を呼び、送り込んだ跡継ぎが次々と病死した(暗殺ではないかとの推測もある)こともあって、ついには尾張家初代の血筋の者が藩主となってしまう。
・家斉のファミリー化構想は結局は幕府の防衛には全く役には立たなかった。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・虚弱な将軍も多かったようですが、少なくとも家斉は体だけは丈夫だったようですね。そこは曾祖父である吉宗の血でしょうか。
・客観的に見ると、家斉は子供を作っていただけで、流動的な状況になっていた当時の状況に対して何らかの手をうったという様子はないんですよね。そういう意味ではやっぱりゲストの一人が言っていた「脳内お花畑」というのは正解だと思います。せいぜいが「全国の大名が自分の息子たちになったら、対立もなくなってハッピーじゃん」ぐらいの構想だったんじゃないですかね。
・というわけで、やっぱり家斉はボロカスに言われているのが正解だと思います(笑)。

 

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