教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

2/13 BSプレミアム 偉人たちの健康診断「平清盛 体から黒煙?怪死の真相」

 今回の主人公は平清盛。かの「おごれる平氏は久しからず」の統領なのだが、例によってこの番組らしい「斬新」な視点で清盛に迫っている。

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平清盛

 

疫病の蔓延する不衛生都市だった京

 清盛が活躍していた頃の京は疫病の流行する不衛生な都市であった。そもそも上下水道などがなかった時代であるから、糞尿はそこらの街路に垂れ流しである。それで人口密度は高いのであるから疫病が流行するのは必然。天然痘や赤痢などいろいろな伝染病が流行しては多くの死者が出た。

 そんな中で死体の処理に当たらされていたのが身分の低かった武士である。つまりは清盛達は伝染病対策の最前線に送られていたといって良い。また彼らが屋敷を構えることを許されていたのは六波羅などの京の外れの環境も良くない場所。そんなこんなで清盛は世の中に対する大きな不満を感じつつ、いつかはのし上がってやるという野心を育んだのだろうと思われる。

 当時は疫病に対して治療を行う医療はほとんどが存在せず、疫病を治すには悪霊を祓うための加持祈祷が行われる程度。当然のことながら病気になってしまったら本人の免疫力勝負になってしまう。免疫力アップには睡眠が非常に重要である。睡眠時間が不足していると感染症に対する抵抗力が落ちるという。清盛が睡眠を重視していたことを示すエピソードとして、清盛が朝に目覚めると護衛役の部下が居眠りをしているのを見つけたが、清盛はこの失態を咎めずに「疲れているのだろう」とそのまま寝かせていたという話を出している。しかしこれは清盛が睡眠を重視していたと言うよりも、単に部下に対して寛大であったという話では?

 

清盛の健康の秘訣だった屋敷の構造

 また清盛が健康を保てていたのは、屋敷の構造にも秘密があるとしている。清盛の屋敷の図を見ると、屋敷の床下に泉が湧いているのだという。つまりは清盛の屋敷は水の上に浮いているような厳島神社のようなものだったのではないかという。それはどういう意味かと言えば、常に床下から清浄な水が湧いているわけだから、自ずと屋敷の清潔が保たれる上に、ある程度の湿度が保たれることになるのでインフルエンザの蔓延なども防げる(インフルエンザウイルスの感染力は湿度50%を境にして急激に低下する)のではとしている。

 さらには清盛の屋敷は一間ごとに柱が立っている構造になっていたという。当時の貴族の屋敷は吹き抜けの寝殿造りで、それを屏風などで仕切る程度なので吹きっさらし。この構造だと湿度は保ちにくい上に冬になると相当寒い。それに対して清盛の屋敷は襖などで仕切れるので居住性が良い上に、もし家族に病人などが出ても隔離することが出来るわけである。非常に合理的な作りであったとしている。

 貴族と血縁関係を築くことで出世の階段を登っていく清盛、そして清盛51才の時についに清盛の妻・時子の妹の滋子と後白河天皇の間に生まれた子が高倉天皇として即位する。清盛は天皇の伯父となったのである。そして平氏は権勢を極めることになる。

 

突然の病に対して最先端の医術で対抗

 しかしこの時に清盛が突然に病に倒れる。これは寄生虫感染症ではないか考えられるという。この時に清盛は加持祈祷だけではなく、中国から輸入した最先端の医療も駆使した可能性があるいう。当時の日本は300年近く中国と正式な交易を行っておらず、中国からの最先端の漢方薬などは博多などの商人が細々と取引するぐらいであったが、以前から宋との貿易に力を入れていた清盛は、宋から最新の漢方薬を入手していたと推測されるという。とにかく一ヶ月後、清盛は一命を取り留めて回復する。

 だがその後、今度は清盛の嫡男の重盛が病に倒れる。清盛はちょうど来日していた宋の名医に診断してもらおうとするが、重盛は「日本の医師が治せないものを異国の医師が治したら日本の恥になる」とこれを拒絶、結局はそのまま病死してしまう。愚かな考えのような気もするが、これが当時の京の知識人階級の中での普通の考えだったと思われるとのこと。つまりは清盛の考え方の方があまりに斬新すぎるのである。

 

病のない健康都市として福原京を建設しようとするが・・・

 重盛を失った清盛は、疫病はびこる京などにこれ以上いることはできないと福原(今の神戸)に遷都することにする(というのがこの番組の解釈)。清盛が遷都先に選んだ福原は小さな漁村であったが、清盛はここを都として整備を始める。清盛がここを都に選んだ理由は教科書的には宋との貿易を睨んでのこととされているのだが、この番組では六甲山系からわき出る六甲ウォーターに注目したとしている。六甲ウォーターは有機分が少ないために細菌などが繁殖しにくいのが特徴とのこと。この清潔な水に自然に傾斜のある福原の地形は、盆地の京都と違い汚水などは自然に海に流れ込むので都の中の清潔を保てる。つまりは清盛は福原を健康都市として建設しようと考えていたのである・・・とこれまた大胆な考えを出してくる。

 しかしこのような一連の政策は後白河法皇ら貴族との間に軋轢を起こし、ついには後白河法皇が源氏に平氏討伐を命じるという事態に及び都は大混乱となる。清盛はこれに対応するために京に戻らざるを得なくなり、福原京の構想は五ヶ月であえなく頓挫する

 

清盛の命を奪って熱帯性マラリア

 さらに京に戻った清盛は謎の熱病を発症して倒れる。突然の高熱に苦しむことになる。その時の様子は絵巻によると、石の風呂に水を入れて浸からせるとあっという間にお湯になったとか、水をかけると黒い煙が沸き立ったなど、いかにも古文書らしく現在なら間違いなくBPOから是正勧告を受けるだろう「過剰演出」の表現が登場している。清盛はこの数日後に突然死してしまう。

 この時に清盛が発症した病気は熱帯性マラリアである可能性が高いという。ただマラリアは熱帯地方に棲息する蚊に刺されないと感染しないので、当時東南アジアと貿易をしていなかった日本でなぜ清盛がマラリアに感染するのかという問題がある。しかし近年なってこの理由の説明がつく発見がなされたとのこと。

 京都駅前のホテルの建設現場から、宋から輸入されたと思われる高度な陶芸品の破片が発見されたが、それに混じって粗製のツボの破片が発見されたという。これらは商品ではなく、輸出用の陶器を運ぶためのコンテナとして使用されたと考えられるという。そしてこれがマラリア感染の鍵なのだとのこと。これらの実用品は雨が降り込むようなところに雑に置かれていた可能性が高いので、ボウフラが湧いたりなどの蚊の温床になる可能性が高いと考えられるという。そして宋は東南アジアと交易があったので、東南アジアの蚊がこれらの陶器を通して日本に運ばれたと考えられるという。結局は時代に先駆けてグローバル化を突き進んだ清盛は、それが死因になってしまったという皮肉である。

 

 清盛を新たな観点で大胆に取り上げたのはこの番組らしい。それにしても清盛の福原遷都が健康都市建設のためとは・・・。この先進的で合理的な清盛に比較すると、源頼朝がいかにも器の小さい男に見えてしまう(笑)。まあ頼朝は実の弟さえ排除してしまった器量の小さい男であるのは事実ですが。

 清盛の合理的で先進的な考えに付いていけるものはこの時代にはほとんどいなかったでしょう。何しろ神仏を本気で崇拝している人間がほとんどの時代に、清盛は叡山の山法師が担いできた神輿に矢を射かけた男ですから、本心では神仏さえ信じていなかったと思われます。考え方が10世紀ぐらい進んでいる(笑)。これが特に保守的な貴族階級との軋轢を生むことになってしまった。

 清盛の失敗は自分の意志をそのまま継げる後継者を育てきれてなかったことでしょう。期待の嫡男の重盛までが国の恥などとアホなことを言って死んでしまうようでは・・・。後の息子達はボンクラ揃いだったので見事に平氏は滅んでしまいました。期待の嫡男・信忠が本能寺の変で亡くなってしまったせいで、残ったボンクラ二男・三男ではどうにもならなくて秀吉の臣下に成り果ててしまった織田家もよく似ています。優秀な創業者が起こした組織も、優秀な後継者がいなければ呆気なくダメになるという歴史の教訓でもあります。

 

忙しい方のための今回の要点

・清盛の時代の京は不衛生のために伝染病がはびこる町で、死体の処理などに当たらせられる武士はそのような疫病に感染する可能性も高かった。
・そんな中で清盛の屋敷は屋敷の下から清浄な水が湧いており、これが屋敷の清潔を保つと共に湿度を保って田善病の予防につながったと考えられる。
・またこまかく柱で仕切られた清盛の屋敷は、伝染病患者の隔離などにも適していた。
・清盛は一度寄生虫感染で倒れているが、この時には宋から輸入した漢方薬などを治療に使用したと考えられるという。
・嫡男重盛の死後、清盛は福原への遷都を試みるが、それは病のはびこる京を離れ、清浄な水が湧く福原で健康な都を建設しようと考えたと推測される。
・清盛は熱帯性マラリアで亡くなった推測されるが、マラリアを媒介した蚊は、東南アジアから輸送用の粗製陶器に紛れて渡ってきたのではと推測されている。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・清盛の立身出世や遷都の動機がすべて伝染病に関連していたとは、この番組らしい斬新で大胆な仮説です(笑)。まあ伝染病のことを含めて、清盛が「こんな生活からは脱出したい」と考えていたのは間違いないでしょうが。
・ゲストの石野真子が神戸で美味しい水道水を飲んでいたというようなことを言ってましたが、実は神戸のほとんどの地域は六甲山の湧き水ではなくて淀川水系の水を水道水に使用してます。だから他所から神戸ウォーターのイメージを持って神戸に移り住んだ者は、まずはその水道水の異常なまずさに驚いたのが常でした。私の大学の同級生の静岡出身の者も、神戸の水道水のまずさには苦労したと言ってましたし。私も神戸に住んでいた頃は、夏になると水が臭いのには辟易してました。だから神戸では浄水器は不可欠でした。私が神戸を離れてから20年以上経ちますので、今の水道水はどうかは知りませんが。

 

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