教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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5/11 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「参勤交代~武士の単身赴任」

幕末の江戸の武士の生活ぶりを伝える日記

 江戸時代、参勤交代で主君と共に江戸に行った武士たちはどういう生活をしていたか。実はそれを日記の形で残していた武士がいるという。それは紀州藩士の酒井伴四郎という下級武士。時は幕末、井伊大老暗殺事件のあった数ヶ月後、藩主の参勤交代に伴って江戸勤めを命じられたという。衣紋方をしていた叔父の宇治田平三の助手として勤務することになったらしい。この伴四郎、几帳面な性格だったのか詳細な日記を残しているので、そこから江戸に上った武士がどのような生活をしていたかがリアルに分かるという。

 江戸に上る藩士には特別手当が出るが、家族を国元に残して物価の高い江戸での二重生活になるから、下級藩士の生活は結構大変だったという。

 

江戸に赴任した藩士の仕事ぶりは

 彼が江戸に出発したのは梅雨時だったので、雨のせいか通常は15日で行ける江戸まで19日をかけて移動しているという。赤坂の紀州藩江戸屋敷に到着した伴四郎は、江戸勤番武士の住居である長屋で叔父で上司である宇治田平三と同僚の大石直助の3人で同居生活となる。挨拶を済ませると生活必需品の買い物に出かけている。

 当時の武士の勤務は1ヶ月に数日それも大抵は昼までの数時間なのでほとんどが自由時間だったという。ブラック企業でこき使われている現代人から見ると夢のような話。伴四郎も江戸に行ってから、あっちこっちの定番観光地を回る江戸観光を行っているという(いわゆるお上りさん丸出し)。また途中で登城のための藩主の行列を見て感激したりなんてのを日記に残しているという。

 

結構生活をエンジョイしている様が

 さらには物見遊山だけでなく、食べ歩きもしている。伴四郎が行った外食は3位が寿司、2位が鍋物で、鍋はドジョウ鍋やら穴子鍋、さらには猪鍋などいろいろな鍋を食べているという。そして一番多かったのは蕎麦だとか。またその度に必ず酒を飲んでおり、酔っ払っての失敗談なども記されている(酔っ払ってご機嫌で帰ってきて、上司である叔父に大目玉を食らったらしい)という。もっとも向島の別荘や料亭なんてのは下級武士の伴四郎には手が届かず、遠くから眺めるだけだったとか。また店が混んでいて待たされたなんて話も記してあり、江戸では武士も庶民と一緒に並んでいたらしい。

 なお屋敷には門限があり、本来は物見遊山や酒を飲みに行くなんてのは駄目だったらしいが、これについては幕末になるとかなり緩んでおり、結構やりたい放題だったらしい。また門限破りは御法度だが、その時には門番に賄賂を渡すという裏技もあったようだ。

 

江戸藩士の性事情

 ただ単身赴任の寂しさはあったらしく、伴四郎もそのことを何度か記しているという。伴四郎は気分転換に見世物なんかにもよく出かけているらしい。また日帰りが基本だが、伴四郎は一度だけ泊まりで横浜に異人街を見学に出かけているという。初めて異人を見た伴四郎はかなり驚いたらしい。また遊郭に通う武士もいたようだが、彼らは門限があるために吉原に行っても昼見世が専門。しかし彼らのような勤番武士は野暮なお上りさんとして「武左衛門」と呼ばれ(ドラえもんみたいだ)遊女からは嫌われていたという(金払いは良くないのに欲望でギラギラしているらしい)。なお伴四郎は吉原に行った話は記していないらしいが、それは彼が真面目だったのか、それともやばい話は記録を残さなかったのかは定かではない。ただ貸本屋が来て叔父がエロ本を借りたという話は載っていたりすると言う。

 

節約と人間関係にも気を使う

 下級武士である伴四郎の年間収入は江戸勤務の特別手当がついて39両(390万円)だったらしいが、伴四郎は詳細な家計簿をつけており(やはり几帳面な性格だったんだろうと思われる)、収入の約1/3は蓄えていたしっかり者だったことが分かるという。伴四郎の節約術は自炊にあったらしく、人参が安かったと買い込んでは煮て作り置きをしていたりしたという(意外に主婦力の高い男である)。しかし同居の叔父が食い意地が張っていたらしく、伴四郎が作り置いたものを勝手に食べてしまったりされて「やれやれ、こりごり」と残しているらしい。

 また人間関係にも気を使っていたようで、同居人だけでなく出入りの商人などとも懇意にしていたようである。周囲との人間関係が大事なのは今も昔も変わらない。もっとも中には人のタバコばかり勝手に吸う「ケチ連」と言っていたタチの悪い同僚なんかもいたらしく、そういう輩とは疎遠にしたとか。まあこれも今も昔も変わらない。

 

 なかなか当時の武士の姿が生き生きと伝わってくる興味深い記録である。まあ人間なんて江戸時代でも現代でも本質は変わらないものである。ただ今回聞いている限りでは、下級武士と言ってもそれなりに余裕のある生活をしてるなという印象。まあ伴四郎の勤務先は親藩である紀州藩なので、今で言えば大企業の平社員というところか。これも中小企業になったらもう少し事情は変わってきそうである。伴四郎は富裕層ではないし、エリートというレベルではないが、そこそこの位置の武士にはなったのではないかという気がする。伴四郎の生活ぶりを聞いている限りでは、ここから「倒幕して新政府を作る」という動機はほとんど出てこないように感じる(笑)。むしろこの後、世の中は動乱の世となり、廃藩置県で藩士は職をなくすわけで、その後の伴四郎一家がどうなったかの方が気になる。この後日談はどこにも記録は残っていないんだろうか?

 また当時の庶民の生活のレベルはどうだったかというのも気になるところ。さすがに庶民となったらもう少し生活レベルは落ちるだろうし、一番下になるとまともに生活できないレベルの者もいたはずである。社会変革などを志向する者は基本的に貧しい境遇がバネになる場合が多い。ちなみに私なども、もし将来に偉人にでもなれば(その可能性はまずないが)、偉人伝に「貧しい少年時代を送り」と書かれるに十分な生活水準ではあった(私の父は由緒正しい薄給プロレタリアートである)。

 

忙しい方のための今回の要点

・江戸時代に藩主に伴って江戸勤務にやってきた江戸勤番の武士の生活について、紀州藩の下級藩士である酒井伴四郎が残した日記がある。
・伴四郎の勤務は月に数日でそれも数時間であり、かなり自由時間が多かった。そのために伴四郎も江戸の定番観光コースを回る物見遊山を行っている。
・またその際にも寿司や鍋など江戸グルメを堪能したことが記録に残っている。
・屋敷では勤番武士は長屋で同僚などと同居しており、伴四郎も上司である叔父と同僚と3人で共同生活している。
・単身赴任の勤番武士は吉原の昼見世などに行ったらしいが、お上りさんだった彼らは遊女達からも煙たがられていたようである。
・また自炊などでしっかりと節約して江戸勤務の手当を家族に送金していたりなど、伴四郎の几帳面な性格も残っている。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・それにしてもこの日記を見ていると、やはり伴四郎ってかなり几帳面な性格だったのは覗えます。大体あんな小さな帳面にビッシリ書き込んだ日記は、几帳面でいささか小心者であることを覗わせます。そこから浮かび上がる伴四郎の人間像は、大きなことは出来ないが、決められたことはキチンとこなすといういわゆる普通の「真面目な人」というもの。ただしたまに調子に乗ってポカもしでかすことがあるというタイプか。まあ普通にどこでもいる人ですね。あまり奇人変人でないおかげで、当時の武士の「平均的な」生活ぶりが伝わってきます。

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