教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

6/10 BSプレミアム 英雄たちの選択「昭和に響いた"エール"~作曲家・小関裕而と日本人~」

作曲家・小関裕而の生涯

 今回の主人公は作曲家の小関裕而。言うまでもなく朝ドラ連携企画である。今まで朝ドラや大河のストーリー紹介は専らヒストリアの仕事だったのだが、今回はこの番組で行う模様。なおコロナのご時世のため、スタジオ入りは杉浦アナのみで、磯田氏らはリモート出演という形になる。

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作曲家・小関裕而

 小関裕而と言えばオリンピックマーチを始め、「栄冠は君に輝く」などスポーツ関係の曲を多数作曲しているので知られているが、その作曲の範囲は幅広い(映画音楽なども手がけており、かの「モスラ~や、モスラ~」の歌も彼の作曲らしい)。しかし彼が国民的作曲家となったきっかけは多くの軍歌を作曲したことによる。特に有名な「露営の歌」(「勝ってくるぞと勇ましくの」のあれである)など、150曲もの戦時歌謡を手がけている。果たして彼はどのような気持ちでこれらを作曲していたかという話。

 

作曲家として歩み出そうとしたところでの挫折

 福島市の老舗呉服店に生まれた小関は作曲に関心を示すようになり、銀行に勤める傍らアマチュア作曲家として作曲を行っていた。21才の時にイギリスの作曲コンクールに入選、応募作品がレコード化されることになり、ヨーロッパへの留学も予定されていた。銀行を退職した小関は意気揚々と留学の準備をしていたのだが、そんな時に世界大恐慌が発生、作品のレコード化も留学も白紙になってしまう

 町に失業者が溢れる中で生計の道を探らねばならなくなった小関は、日本コロムビアに専属作曲家として入社する。流行歌の世界に飛びこむことになる。ヒットを出さないとお払い箱という境遇の中で、彼は福島を題材にした「福島小夜曲」と「福島行進曲」を作曲する。しかしこれが全く売れない。小関は3年間鳴かず飛ばずで契約解除寸前まで追い込まれてしまう。この頃ヒットを連発していたのは古賀政男。庶民的な古賀政男の曲に比べ、クラシック出身の小関の曲は大衆にはやや高尚すぎたのだろうとのことである。

 

戦時下に軍歌で大ブレイクする

 やがて日中戦争が勃発。政府は戦意高揚のために国民歌を作ることを目指し、新聞に募集で選ばれた「露営の歌」の歌詞が掲載される。旅行中にレコード会社から「至急頼みたい曲がある」との電報を受けて汽車で上京する途中、小関は新聞でこの歌詞を目にする。そして彼は汽車の中でスラスラと作曲してしまったのだという。実はレコード会社が頼みたかった曲とはこの曲であり、そしてこの曲が60万枚の空前の大ヒットをする。

 前線の兵士がこの曲を大合唱しているという記事を見た小関は「この歌によって弊紙が戦いの疲れを癒やし、気持ちが和み励まされていることを知り、作曲した回があったとしみじみ感じた」と語っているという。

 小関裕而の明るく励ますような曲は庶民のニーズにマッチして、これで大ブレイクをすることになる。この後も小関は次々と軍歌を手がけることになる。時代はさらに戦時色一色となり、作曲家を初めとするあらゆる芸術家たちが軍に動員されていった(小磯良平なんかも戦争画を描いたりしている)。小関は従軍楽団部隊として中国戦線に赴いている。この時に小関自身が撮影したフィルムが残っているが、小関は破壊されて廃墟になった町や、そこで立ちすくむ子供などを撮影していた。小関はこの時に「戦争の現実」も目撃しているのである。軍楽隊の公演で多くの兵隊が「露営の歌」を合唱するのに小関は心を動かされたという。この中の一体何人が肉親の元に生きて帰られるのだろうと考えると涙が溢れてきたと語っている。

 小関の手がけた曲の中に海軍航空隊のパイロットを目指す若者たちを歌った「若鷲の歌」があるが、作詞家の西條八十は明るい長調の曲にするかと思っていたら、小関は短調で作曲したという。戦場に向かう若者を明るく送る曲は作れなかったらしい。

 

軍国体制下での葛藤と戦後の十字架

 そして戦局は悪化の一途を辿る。ここで小関の選択があるという。フィリピン決戦に向けての戦意高揚の歌の作曲を軍に命じられるのだが、ここで紛糾する。西條が提出した歌詞に対して軍の担当者が歌詞に「敵将のニーツ、マッカーサーを地獄に逆落とし」という歌詞を入れろとさすがに馬鹿軍部らしい愚劣極まりない強制をしてきたわけである。これに対して西條は反発する。敵将を露骨に貶めるのは武士道にもとるではないかと抵抗するのだが、頭の中が腐りきっている馬鹿軍部は譲らない。ここで小関としては 1.軍部の要求を聞く 2.軍部の要求を拒否する の二択である。

 で、どちらを選んだかであるが、こんなもの選択の余地なく1だろう。この時代に軍部の要求を拒否なんかしたら、作曲が出来なくなるどころか下手したら反政府的として処刑されかねない。その要求がいかに愚劣で、馬鹿丸出しで、品性下劣で、唾棄すべきものであったとしても、従うよりも選択肢がないのである。馬鹿が偉そうにしていた時代の不幸である。ビルマの惨状(例の連合国のスパイだったのではとまで言われた牟田口中将によるインパール作戦での日本軍の死屍累々である)を聞いていた小関には迷いもあっただろうが、あくまで職業作曲家に徹したのだという。こうして駄作「比島決戦の歌」がラジオで流されるのだが、戦況はさらに悪化しており、もはやフィリピン決戦というような状況でさえなくなり、流されたのはたったの一週間だという。

 そして日本には原子爆弾が投下され、ついには終戦となる。小関には兵士を鼓舞するための歌を作ったという事実だけが残った。自分の歌で多くの若者を死地に送っていったという思いに、小関は新たに戦後に立ち上がる人々を励ますための歌を作ることで消化していこうとする。戦後の小関の代表作「長崎の鐘」も短調で始まって長調に転じる曲である。これは小関の平和への祈りだという。

 そんな小関の元に舞い込んだのがオリンピック行進曲の作曲。この曲は小関の集大成としての最高傑作となったとのこと。小関の平和な時代への思いが籠もっている。


 以上、朝ドラの「これからのあらすじ」でした。小関裕而は職業作曲家に徹していたという話が出ていたが、確かにあの量産ぶりを見ているとクライアントからの依頼を着実にこなしていたという印象がある。クラシックの作曲家で言えばハイドンタイプか。流行歌作家として最も重要であるメロディを作る上手さというのが才能にあるのだろう。

 

忙しい方のための今回の要点

・音楽の道を目指した小関裕而は、生計のために日本コロムビアに専属作曲家として雇われる。
・しかし3年間全くヒット作がなく契約解除寸前にまで追い込まれる。そんな時、政府が戦意高揚のために募集した歌詞「露営の歌」に曲をつけたものが大ヒットする。
・それ以降、小関がブレイクし、次々と軍歌を手がけて150曲もの戦時歌謡を手がけた。
・しかし、実際に前線を見て戦争の現実を知っていた小関には複雑な思いもあった。戦後は自らの歌で若者を戦場に駆り出したという事実が重くのしかかることになる。
・戦後の小関は復興に立ち上がる庶民を励ますための曲を作曲する。そうしてオリンピックマーチを作曲することになる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・朝ドラを見ている人にとっては予習・・・というか、もうすぐ収録分がなくなってしまうので朝ドラも放送中止との話が出ているから、その間をこれで補って置いてくださいという話か? それにしてもどうするんだろう。まだまだドラマなんて普通の状態で収録するのは難しいだろうし。ソーシャルディスタンスを保とうとすると・・・出演者全員別取りにして画像合成か? 普通の朝ドラが特撮ドラマになってしまう。

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