教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

"剣豪・宮本武蔵の強さの秘密"(7/2 BSプレミアム 偉人たちの健康診断「宮本武蔵 "五輪書"で極める心と体」から)

宮本武蔵の生涯からその強さの秘密に迫る

 今回の主人公は剣豪・宮本武蔵。日本発のオリンピックの解説書である「五輪書」を記し・・・すみません、嘘っぱちです。というかあまりにベタなネタで失礼しました。日本が開発した魚焼きコンロ・・・ってそれは七輪です。「どうも失礼しました」。さっき見たヒストリアの植木等がまだ尾を引いているか?

 剣豪として知られ、その戦績は生涯で60戦全勝とされている。その宮本武蔵の強さの秘密を解明するという内容。

 まず宮本武蔵の体格であるが、平均身長が150センチ台の時代に185センチあったという。当時としてはそれだけで「鬼」と言われそうな巨躯であるし、現代の基準でも十二分に大柄である。それだけにまず身体能力が優れていたという素質は有しているという。

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必勝の構えで立つ宮本武蔵

 

巌流島決闘の真実「武蔵は遅刻しなかった」

 宮本武蔵と言えば巌流島の決闘。決闘時間にわざと遅れてきた武蔵は、待たされてイライラと平常心を失った佐々木小次郎を木刀で一撃で倒したとされている。しかしどうもこの話は真実とは違うとのことである。

 この話は武蔵の死の130年後に弟子達が書いた伝記である「二天記」に記されているものだという。しかし武蔵の養子である宮本伊織が父の死から20年後に立てた石碑である小倉碑文には全く異なる経緯が記してあるという。そこには「両雄同時に相会す」と記してあるという。つまり武蔵は遅刻していないのだという。宮本武蔵の研究家である福田正秀氏は「武蔵の五輪書の中に「むかつかせる」という極意が記してあり、それを使って脚色したのでは」としている。これは五輪書の中の必勝の極意の一つで、相手を苛立たせて平常心を失わせ、一瞬の隙をついて一気に勝負をつけるという方法だという。弟子達がこの話を勝手に巌流島の決闘を盛り上げるための脚色として使用したのではとのこと。まあ小倉碑文の方が明らかにすぐに作られているので、死後130年経ってからの記述よりは信用できそうである。もっとも私が武蔵の養子だったら、わざと決闘に遅れて相手を苛立たせるなんてせこい手を使ったって書くかな? という気もしないでもない。

 では決闘の詳細はであるが、これについては二天記よりも20年前に記されている「武州伝来記」に詳しく書かれているという。これによると巌流島にほぼ同時に到着した小次郎と武蔵。小次郎は真剣を武蔵は木刀を構え、互いに何度も切り結ぶ。その時、小次郎の刀が武蔵の首を襲う。勝負ありかと思われたが、この時に武蔵の首に当たったのは刀の刃の部分ではなくて腹の部分で、武蔵は紙一重で助かる。そして激闘の末に武蔵の一撃が小次郎の頭に命中し、頭を割られた小次郎は倒れる。要するに実際は薄氷の勝利だったのだと言う。

 

武蔵が勝利できた秘密「武器と姿勢」

 これ勝利の秘密としてまず考えられるのは武器の違い。小次郎は物干し竿と言われる通常よりも長い126センチの刀を振り回していた。これに対して武蔵が用いたとされる木刀は巌流島の決闘後に武蔵がその時のものを再現したというものが伝わっているが、その長さは小次郎の刀と同じ126センチだという。つまり小次郎が駆使するリーチの長さによる優位をこれで消したと言える。ここで効いてくるのは、小次郎の刀の重量2キロに対して、武蔵の木刀は800グラムに過ぎない。このことが武蔵の素早い動きにつながって、武蔵の勝因になったと分析している。しかし単にそれだけでなく、何度も切り結んだのであれば当然のように削られる体力量が違ってくると私は考える。長時間重い刀を振り回すことで、さすがに小次郎も太刀筋が乱れてきて、それが武蔵の首に刀の腹が当たるなんて原因になったのではと考える(ツバメ返しという技を考え時、武蔵の首に当たった刀は十分に返っている必要があったのだが、筋力低下でそうならなかったのでは)。

 番組はさらに武蔵が有利だった点として戦いの場を挙げている。決闘は足場の悪い砂地でなされたと推測され、武蔵はこういう足場の悪いところでの実戦に長けていたという。五輪書には「少しあごを出し両肩を下げ、ひざから足先にかけて少し力を入れる」という必勝の構えについての記述がある。軽くひざを曲げる姿勢は動き出しがスムーズになるので、ゲストの杉山愛氏も言っているように俊敏な反応する必要のあるテニスなどではよく取る体制だし、あごを少し上げて頭を体の中心に置くのは目線が高くなり重心がぶれにくくなるので足場が悪くてもバランスが崩れないのだとか。さらに大分県宇佐市で武蔵の剣術を受け継いでいる兵法二天一流12代目宗家の吉田清氏によると、武蔵の足使いは通常の剣道のつま先から出るすり足のような足使いと異なり、必ずかかとから地面に付く足使いをするとのこと。これは砂利道や砂地でつまづくことのない足使いである。なおこの歩き方は腰やひざへの負担を減らす歩き方なので、年を取るほどそうするように注意した方が良いとのこと。なお佐々木小次郎は浜辺に到着した時につまづいて両膝をついたとの記述が武州伝来記にあるようで、足下に明らかに優越があったようである。

 なお頭の重さは5~6キロもあり、首を前傾すると首の負担がその数倍にも及ぶことから、あごを少し上げる姿勢というのは首の負担を軽減するという意味でも効果があるという。つまりはスマホをのぞき込む姿勢はかなり首に悪いと言うことでもある。武蔵の考えはかなり合理的に出来ているという。

 

日本一の武芸者を目指した若き武蔵

 武蔵の生い立ちであるが、戦国の時代に宮本村の貧しい武家に生まれた武蔵は、幼い頃に親戚の新免無二の元に養子に出されている。無二は十手術の達人で足利将軍から天下一の称号をもらっている超一流の武芸者であり、武蔵は幼い頃からスパルタで武術を特訓されたという。父に反発心を募らせて父を越えることを目指した武蔵は、13歳で初めての決闘をして相手を撲殺したという。熊本の島田美術館(宮本武蔵関係の美術館として有名)にある13歳の時の武蔵の肖像画は、まさに「鬼」そのものの形相である。

この本の表紙がまさに13歳の武蔵の肖像画

 強さこそが武士に求められた時代。武蔵は最初の決闘の後に父の元を離れて全国に武者修行に出る。この時に父の名である新免を捨てて出身地の宮本村から名を取って宮本武蔵と名乗るようになったという(父に対する反発心か、それとにも二世タレントによくある「父の七光りとは違うんだ」という意識か)。そして徐々に名を上げ、23歳の時に京都で足利将軍の剣術指南役を務めていた吉岡一門に戦いを挑む。ここで武蔵は吉岡一門の門下生100人以上と一乗寺下り松の決闘で戦うことになるのだが、この無謀な戦いにも勝利する(この時には武蔵は奇襲でいきなり吉岡一門のまだ若い当主を倒して、相手を混乱させたという説もあるようだが)。武蔵の決闘での戦績は60戦で無敗である。これで戦績的には父を越えた(新免無二は吉岡一門を倒すことで天下一と認められたらしい)武蔵であるが、武蔵には父と違って何の称号もなかった。しかも34歳の時に大坂夏の陣が起こり、この後は武士は役人としての性質が強くなり、武芸が求められない時代が訪れる。

 

世の中の変化の中で新たな道を求めて開眼する

 生きていく目標をなくして苦悩する武蔵は、この頃に有力大名に客分として仕え、城下町の町割や庭園の設計など剣とは無関係の仕事に従事しているという。さらに禅や茶の湯能にも取り組み、自らの進むべき新たな道を模索している。そんな時に水墨画に出会い、それによって自らの内面に向かい合うことになる。武蔵の画はいくつか残っているのであるが、実際にその精神性が高く評価されている。このような境地を武蔵は後に「心は体につれず、体は心につれず」と五輪書に記しているという。これは、心は体にとらわれず体は心にとらわれないと言う意味で、心と体の双方が強いことが重要という意味だという。そして振り返ると自分の若い頃は体の強さだけを追い求めていたということだという。

 そして54歳の時に開眼し兵法の真髄を会得したとして立ち上げたのが二天一流だとのこと。いわゆる二刀流であるが、これは刀を右手でも左手でも一本で使えるということが目的だという。そして2本の刀を使って敵を倒すのではなく、2本の刀を使って稽古をするのがポイントだという。

 最近の研究では利き手でない方を鍛えることで利き手のスキルがアップするということが分かってきているという。利き手だけに偏ったトレーニングをすると体のバランスが崩れてくるが、利き手でない方を鍛えることでバランスを取れるようになるのだという。さらに普段使っていない手を使うことで脳の前頭前野が活発に活動するようになり、これが怒りなどの感情を抑制して自制心や平常心を保つことにも効果があるという・・・のだが、慣れない作業でイライラして逆に怒りが湧き上がると言うことはないか? ちなみに私はマウス腱鞘炎を発症したのをきっかけに、マウス操作については二天一流を開眼しました(笑)。

 

老いの中で最後に迎えた戦場

 しかしさすがの武蔵にも老いはやってくる。50歳を過ぎても毎日鍛錬を続けていた武蔵であるが、その頃の武蔵を記した資料には「玄関を上がろうとしたとき、壁に手を付いて「えい」と声を出して上がった」など明らかに体力の衰えを示す記述が見られるという。また二天一流に伝わっている木刀には杖代わりに使った跡が見られるという。

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島原の乱の首謀者・天草四郎

 そんな時に島原の乱が発生する。54歳の武蔵も久々の戦だと張り切って最前線に飛びこむが、この時に敵の落とした石が当たって怪我をしてしまう。高齢になってから怪我は寝たきりにもつながりかねないが、さすがに日頃から鍛錬していた武蔵はそうはならなかったという。これは武蔵が上半身も鍛えていたからだろうと考えられるとのこと。上半身を鍛えることはもし転倒などをした際に体をうまくかばうことが出来、怪我を最小限に抑えるのに有効だという。これがパッシブセーフティーの考え方とのこと。これは確かにその通りで、私も山城訪問で何度も足場の悪さによる転倒を経験しているが、その度に腕などでかばうことで重傷を免れている。ただ最近は老化と運動不足で、特に上腕などの筋力が目に見えて低下しているので、今転倒したらかなりやばそうだ。

 

晩年に至った境地を五輪書に残す

 晩年の武蔵は養子の伊織の教育に力を入れ、彼を有力大名の小笠原氏に仕官させる。伊織は20歳でで家老に抜擢されたという。息子の将来を万全にした60歳の武蔵をついに病魔が襲う。武蔵の病気に対する記述はほとんどないが、唯一弟子による伝記に「噎嗝」という記述が見られるという。これは水や食べ物がのどを通らない病気で、胃ガンや食道ガンと考えられるとのこと。

 自らの死期を悟った武蔵は人里離れた洞窟に籠もって五輪書の執筆を始める。今までの人生で会得したことの集大成を残そうとしたのだろう。なおこのように人生最後に自分の人生に向かい合うエンディングノートが注目されているが、この行為は心の健康を保つことに効果があるとの報告がイギリスでなされているとのこと。例えば振り返ることで自分が一人でないことが分かって「孤独感が癒やされて心が寛容になる」とか、「ツラかったことも自分の糧になったと受け入れられるようになる」とのことであり、「人生に対して肯定的な気持ちになる」とのこと・・・なんだが、私が自分の人生を振り返ると「やっぱり孤独だったんだということを再確認し」「ツラいことの連続で結局は人生の可能性をつぶされてしまったと思い知らされ」「人生に対して非常にネガティブな気持ちになってしまう」んだが。

 五輪書には武蔵の様々な思いが記されているが、五輪書が完成に近づいたときに武蔵の脳裏をよぎったのは父のことではないかとしている。父のおかげで自分が真の強さにたどりついたということを改めて実感したのではと言う。実際に五輪書の最後には新免武蔵との署名がある。一度は捨てた名を最後にもう一度書いたらしい。五輪書を書き上げた一週間後、武蔵はようやく屋敷に戻ってそこで亡くなったという。

 

 忙しい方のための今回の要点

・巌流島の決闘で武蔵はわざと遅刻することで佐々木小次郎の平常心を乱して一撃で勝利したとされているが、これは実は弟子達による後世の脚色だという。
・実際には二人は同時に巌流島に到着しており、何度も切り結んだ。武蔵の首に小次郎の剣が当たった局面もあり、実は薄氷の勝利だったという。
・武蔵は小次郎の刀と同じ長さの木刀を武器に使用しており、武器の軽さによる動きの俊敏さが勝敗を分けたと推測される。
・また武蔵は通常の剣道のすり足でなく、かかとから足をつく足運びをしており、これは武蔵のややあごを上げて立つという姿勢と共に、悪い足場に対応するのに適しており、それが小次郎との差を生んだと推測している。
・剣豪宮本武蔵は、武芸者であった養父・新免無二にスパルタ教育をされている。
・父に反発した武蔵は13歳で初めて決闘で勝利すると、全国に武者修行に出て60戦全勝の戦績を収める。
・しかし34歳の時に大坂夏の陣で戦国時代は終わり、武士は武芸を求められない時代になる。武蔵も新たな道を目指していろいろ体験した後、水墨画にたどり着く。
・武蔵は50歳を過ぎてから島原の乱に参戦するが、投石を受けて足を負傷する。しかし上半身も鍛えていた武蔵は怪我を最小限にとどめることが出来た。
・武蔵の死因は食道ガンか胃がんと考えられるという。死期を悟った武蔵は洞窟に籠もって五輪書を書き上げる。このような人生の最後に振り返る行為は精神の健康を保つために有効であると近年の研究報告がなされている。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・宮本武蔵の五輪書は今ではどちらかと言えばビジネスマンの心構えとして読まれることが多いようです。同じく孫子の兵法なんかもビジネスの戦略指南として捉えられている。というわけで、やっぱり今のビジネス界って戦場なんですね。
・で、そういう戦場がトコトン不向きな私のような者は、どうやってこの時代を渡って行けば良いんですかね。敗者のための指南書のようなものってないのかな?