教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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9/2 BSプレミアム 英雄たちの選択「打倒信長!戦国忍者の戦い~真説・天正伊賀の乱~」

忍者軍団、織田軍と戦う

 忍びの里と言われる伊賀であるが、ここが歴史の表舞台に登場したことがある。それが天正伊賀の乱。織田軍が伊賀に攻め込んだのであるが、それが伊賀の軍団に完膚なきまで粉砕されてしまうという事件である。

 早速伊賀の里を訪れた千田氏が土塁で大興奮しているが、伊賀は各地に土塁と堀で囲まれた館城が存在する。650カ所以上の城跡が伊賀には存在する。伊賀には狭い土地を巡って地侍達が争っていた。彼らは大名の支配を拒絶して自治独立を守っていた。彼らは農業をしながら武術を磨いていたという。

 信長は伊賀を疎んでいたが、攻略には慎重を期していた。しかし信長の次男の信雄が無断で勝手に攻め込んでしまう。伊勢から兵数1万を超える大軍勢で攻略に乗り出すが、山の中で地の利を活かした伊賀衆の反撃に遭い、重臣の柘植三郎左衛門を始めとして数千人の戦死者を出す完膚なきまでの敗北を喫し、信雄は這々の体で命からがらに伊勢に逃げ出す。さすがに信長の馬鹿息子。信長は信雄の勝手な行動に激怒したという。

 

万全を期しての第二次伊賀侵攻

 1581年、信長はついに伊賀討伐に乗り出す。軍勢は4万人。信雄を総大将に筒井順慶、蒲生氏郷、丹羽長秀といった蒼々たるメンバーが参加しての大遠征である(さすがに馬鹿息子一人に任せるのは心許なかったと見える)。

 多方面からの一斉攻撃であるので、伊賀衆は多方面の情報を集めつつ連携する必要がある。この際の連絡に用いたのが狼煙だという。ちなみに狼煙の中には狼の糞を用いたものがあるとのことで番組では実験して見たようだが、とてつもなく臭いらしい(臭気計が振り切れるレベル)。狼煙は視覚だけでなく嗅覚にも訴えたのではとのこと。ちなみにこの狼の糞、臭すぎてスタッフも臭いが身体に染みついて大変だったとか。また実験室で背後に垂らしていた暗幕も使い物にならなくなったとの話。

 こうやって防御態勢を整えた伊賀勢だが、悲しいかなそもそもが烏合の衆である。自らを守るために寝返る輩も出てくる。信長軍の攻撃を最初に受ける位置にいた福地伊予は信長に内通、険しい山道の道案内を買って出て、ついには織田軍が伊賀に侵入してしまう。

 そうなってしまうと総勢数千の伊賀衆に4万の織田軍を食い止める手段はない。織田軍は一軒残らず焼きはらい、男女の別なく殺戮したという。わずか数週間で伊賀衆は最後の拠点である柏原城に追い込まれる。籠城するのは1600人だが、女子供も多数逃げ込んだという。

 

伊賀衆の最後の選択

 絶体絶命の危機に伊賀衆の選択であるが、1.徹底抗戦。しかし後詰めがない上に兵糧も乏しく玉砕が見えている。2.降伏する。しかし信長のことだから皆殺しにされる可能性も高い。3.逃亡する。しかし4万の軍に包囲された中で逃亡が可能か。番組ゲストの意見は分かれるが、磯田氏の意見は逃亡で、紀伊山地に逃げ込んで徹底的にゲリラ戦をするというもの。確かにこれをやられたら信長とて嫌だろう。

 伊賀衆の選択は3。外に連絡に出た者が百姓達を動員して背後の山に松明を大量につけて増援が来たように見せかけ、織田軍が混乱している隙に女子供を逃がそうとした。しかしこの策は丹羽長秀が比自山城での伊賀衆の計略(比自山城の伊賀衆はまんまと逃走した)を見ていたために見破られ、伊賀衆は万策尽きることになる。数日後、ついに柏原城は開城、伊賀衆は降伏する。信長の処罰は苛烈を極め、男女の別なく殺したようだ。この戦いで伊賀衆の実に半数が犠牲になったという。

 それから数日後、検分のために伊賀に入った信長が狙撃されるという事件が発生したという(弾は当たらず)。犯人は逃亡し、伊賀衆は最後の執念を見せたという。その後も伊賀衆への警戒を緩めなかった信長はこの地に巨大な滝川氏城という館城を築いた。あえて伊賀式の館城にすることで、伊賀衆に対して力を誇示したらしい。

 信長は伊賀への統制を強めるが、本能寺の変で信長が亡くなるのは天正伊賀の乱のわずか8ヶ月後である。ちなみに磯田氏は何か背後で伊賀衆の暗躍があったのではという推測をしているが、その可能性は私もあると感じる。

 

その後の忍者達

 秀吉の世を経て家康の時代となると天下泰平の時代となる。伊賀衆に目をつけた家康は服部半蔵の元に伊賀衆を集めてお庭番として採用する。伊賀者は幕府だけでなく、各地の幕府にも雇用された。

 この後、磯田氏が関宿の忍者の末裔を訪れて古文書をチェックしているのだが、そこには自らを幕府に売り込んだ記録やら、退職届まで見つかった(年老いた母が心配なので退職しますから後は宜しくというようなあっさりした内容)。意外に忍者はフリーダムだったようである。なおこの家は将軍の宿泊所の向かいにあるので、磯田氏によると密かに何かの仕事をしていたのではとのこと。あり得る話である。

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関宿には今でも昔の街並みが残ってます

 

 以上、織田軍と戦った忍者軍団について。どうも忍者というと創作の世界が入ってきてイメージが派手ですが、実際の忍者ってのは地味なものです。諜報部員兼ゲリラ戦士ってとこでしょう。現代の忍者と言えばCIAやKGBの工作員でしょうか。

 磯田氏は逃走して紀伊山中でゲリラ戦なんて構想を膨らませていましたが、私も同じことを考えますね。さらに言えば雑賀衆との連携なんてことは出来ないでしょうか? 伊賀衆と雑賀衆が手を組めばさすがの信長もかなり手こずると思います。古来より紀伊山地の奥地って手を出しようがないんです。実際にこの地域を訪問したら分かりますが、山奥に逃げ込まれたらどんな軍勢でも追っかけるのは不可能です。私も十津川温泉に行った時に「こりゃ南朝が逃げ込むことも出来るよな」って思いましたから。

 

忙しい方のための今回の要点

・近畿を平定した織田信長は伊賀攻略を考えるが、伊賀衆を警戒して慎重に事を進めていた。
・しかし信長の馬鹿息子・信雄が勝手に1万の兵を送る。信雄の軍は山中で待ち伏せを受け、重臣を始めとして数千人の犠牲を出す大惨敗を喫する。
・2年後、信長は万全を期して信雄に筒井順慶、蒲生氏郷、丹羽長秀をつけて4万の軍で伊賀攻略に乗り出す。
・伊賀衆の方は大軍を前に寝返る者も出て、伊賀への軍勢の侵攻を許してしまう。伊賀に侵入した織田軍は家々をすべて焼き、男女の別なく殺戮、数週間で伊賀の大半が制圧され、柏原城に1600人の伊賀衆が追い込まれる。
・伊賀衆は逃亡を図るが、その策が丹羽長秀に見抜かれて失敗、万策尽きて数日後に開城するが、信長は伊賀衆を男女の別なく殺戮したという。
・江戸時代になると、伊賀衆は服部半蔵の元に再編され、お庭番として幕府に採用されることとなった。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・忍者も今では完全に観光目的になってますからね。ちなみに伊賀鉄道には松本零士がデザインしたくノ一列車が走っていることが有名です。

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伊賀鉄道のくノ一列車

・この地を近鉄で横断すると分かりますが、本当に山深い奥なんですよね。確かにこの地形を利用して徹底的にゲリラ戦されたら、他からの介入なんて無理。独立を保てたのも分かります。つまりは外界とは隔絶していたということ。

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