教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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10/7 BSプレミアム 英雄たちの選択「板垣退助"自由民権"の光と影」

戊辰戦争で活躍し、自由民権運動の旗手となった板垣退助

 自由民権運動の中心となり、後に自由党を設立して政党政治で活躍した板垣退助が今回の主人公。日本全国で盛り上がった自由民権運動は、結局は政府によってねじ曲げられた形で終息したのだがその過程を紹介する。

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板垣退助

 土佐藩の土佐軍を率いて戦った板垣退助は明治維新の立役者の一人である。下級武士を中心の部隊を率いて大活躍した板垣は、身分の差は能力に関係ないことを痛感する。明治3年に板垣は高知藩大参事に就任、人民平均という理念を掲げて身分制度の撤廃の大改革を実行する。功績が認められて新政府の参議に就任した板垣は、徴兵制による四民平等の軍隊を目指す。しかしこの時に政府は征韓論の対立で二つに分かれ、西郷派に与した板垣は明治6年に参議を辞することになる。

 翌年、板垣は議会設立の建白書を同士と共に政府に提出する。しかし政府はこの建白書を却下、高知に戻った板垣は政治結社・立志社を設立、高知から議会設立運動を巻き起こすことを狙う。しかし西南戦争の勃発で立志社は動揺する(西郷と共に挙兵すべきという意見もあったが、板垣はそれを抑えたという)、そして情勢が政府有利になったところで植木枝盛に議会開設の建白書を提出させる。これは今後の自由民権運動の方向性を定めることになる。

 

自由民権運動が盛り上がり、自由党を設立する

 西南戦争後、全国で議会開設を求める動きが活発化する。立志社の運動は身分や地域を越えて拡がりつつあった。明治13年、各地の政治結社が板垣を戴いて国会期成同盟を設立する。当時の彼らは国民の過半数が求めても政府が国会を設立しない場合、国会期成同盟が国会を作ってそれを天皇に認めさせるという大胆な構想を掲げていた。そこで各結社はそれぞれの地域で過半数の賛同者を集めるために演説や勉強会を盛んに開き、国民の政治への参加を促した。

 しかし中にはそもそも理念とかけ離れた方法で勧誘をする結社も登場する。擊剣会という剣術興業で人々を集めた愛国交親社などが登場する。しかも入社すれば兵役が免除されるとか禄が支給されるとか、税金免除になるなどと口から出任せも吹いたらしい。まるでラピスの宣伝である。また川上音二郎のオッペケペー節が流行したのもこの頃である。熱気の思わぬ暴走に板垣は政府と決定的な対立を招くことを懸念する。そしてそれは政府が集会条例を発布して政治集会を禁止したことで現実化する。これで結社の活動は大きく制約され、結局は過半数の賛同を得ることが出来ずに私立国会の構想は頓挫する。

 そこで板垣は打開策として日本初の政党である自由党を設立する。しかし結党途中の明治14年10月に政府は国会開設の勅諭を発表する。政府は民権派の機先を制したことになる。板垣は将来の国会開設に備えて地方に自由党の支部を設立し、全国を回って演説を重ねる。そんな中、岐阜で板垣が暴漢に襲われるという事件が起こる。この時に発したとされる台詞が「板垣死すとも自由は死せず」である。

 

板垣のスキャンダルから混乱する自由党

 そんな時に板垣が政府に費用を出してもらってヨーロッパ視察に出かけるという事件が起こる。この話を板垣に持ちかけたのは盟友の後藤象二郎だが、政党活動に興味を失っていた後藤は政府への復帰を目論んでいたという。そして板垣を洋行させる代わりに政府に復帰することを伊藤博文と井上馨に相談していたという。政府は自由党を切り崩す絶好のチャンスとこの話に乗る。

 そして板垣はこれにホイホイと乗っかってしまうのだが、これに怒った自由党の幹部から離脱者が出て、党本部は大きな打撃を受ける。さらに地方でも自由党に対する弾圧が始まっていた。河野広中が議長の福島県会では自由党が大きな勢力を占めており、それまでの2倍の重税を課そうとする件に対し、反対の議決を繰り返していた。これに対して福島県令の三島通庸は自由党の党員を一斉検挙する挙に出る。そして裁判では自由党が政府の転覆を謀っていると河野達を断罪した。これで福島の自由党は壊滅し、さらに各地での弾圧も激しさを増していった。

 そんな最中に板垣は7ヶ月の洋行に出る。ここまでいくと馬鹿にしか見えないのだが、板垣の目には自由党は順調に見えていたのだろうという。それに彼はそもそも政府に楯を突いたつもりもないし、楯を突くつもりもなかったので、政府に費用を出してもらうことに何の問題があるのかを理解してもいなかったようであるとのこと。板垣は常に自由民権運動を上から見ており、下からの視線を理解していなかったと磯田氏が言っていたが、確かにこの辺りはエリートの限界だったのかもしれない。

 

帰国後、自由党の惨状を目の当たりにした板垣の決断

 そして7ヶ月後、洋行から帰還した板垣が見たのは危機に瀕した自由党の姿だった。不況の影響で活動資金に窮乏した党員の中には詐欺や強盗を働く者まで出る始末だったという。ここで政党の活動を続けるかどうするかの選択を板垣は迫られることになる。

 これに対して「暴発を防ぐためにも党を続けるべき」「再起を期すために一旦解党するべき」などの意見がゲストから出ていたが、板垣は運営資金として必要な10万円(現在の価値で数億円)を募金で集め、それが出来なければ解党すると発表する。そして翌年集まった額は1万あまりしかなく、板垣は解党を決意する。

 しかし暴発は解党の3日後に起こる。生糸価格の暴落で困窮した秩父農民らが武力蜂起する。彼らは負債の据え置きや減税を訴える。これが秩父事件である。農民達は「自由党に入って板垣様の世ならしに参加すれば負債がなくなる」と歌っていたという。板垣の思惑を越えて、自由党に対する大きな期待が膨れあがっていたことが覗える。農民達は膨れあがり1万を超える農民が秩父郡を占拠することになる。しかし政府はこれに対して軍を投入して鎮圧する。

 この事件を期にして自由民権運動は下火となるのだが、やがて国会が設立されると板垣は自由党を復活させて政党政治に活躍する。

 

 板垣については「体制内改革者」の限界をも示しているなという気がする。板垣は明治政府を転覆するつもりは毛頭なく、民衆の期待が思惑を越えて膨れあがり、ましてや革命につながりかねない事態となれば板垣としては付いていけないだろう。その辺りが自由党から秩父事件へつながる流れに現れている。所詮は板垣も「上流階級の人」だったんだろう。変革者たり得ても革命家たり得ない人物である。議会の設立にしても、あくまで天皇の元での国民の代表の議会だったわけであるから、その辺りが板垣の限界でもある。

 それにやっぱりつい最近まで封建時代だったわけだから、日本人の政治意識もまだまだ低い。そもそも民主主義が成立するにはかなり国民のレベルが高い必要があり、この頃の日本人はまだそのレベルに至っていなかった。だから中途半端な民主主義になってしまい、後に軍部の独走で国が滅びかけるなんていう醜態をさらすことになってしまうわけである。なお社会主義及び共産主義はさらに国民のレベルが高い必要があるので、未だに現実世界で成功した事例はない。そもそも農奴制のロシアや帝政の中国が一足飛びでこれらを目指したのは完全な無理があったわけである。ちなみに今でも日本国民には民主主義はレベルが高すぎるのか、近年の動きを見ていると国民自らが民主主義を放棄して貴族主義に戻したがっているようにも見える。

 

忙しい方のための今回の要点

・板垣退助は戊辰戦争で土佐軍を率いて戦い、その功績から土佐藩の要職を経て明治新政府に参画する。
・しかし西郷派に与したことから政府を去ることになり、議会設立のための政治結社・立志会を設立する。
・やがて議会開設を求める運動は全国で盛り上がり、各政治結社が連合した国会期成同盟が設立され、私立国会の設立が構想されるようになる。
・しかし党員確保熱が過熱した結果、その手段がそもそも理念からそれるような結社も現れ、また運動の加熱を警戒した政府が政治集会を禁止する条例を発布する事態になる。
・そこで板垣は自由党を設立して自由民権運動を一本化する。自由党は全国に力を広げていくが、そんな中で板垣が政府の公費でヨーロッパ視察を行うという事件が発生し、これを裏切りとみた幹部の離反が出て自由党は混乱する。
・さらには不況による活動資金不足も起こり、ヨーロッパから帰国した板垣が目にしたのは衰退した自由党の惨状だった。
・板垣は自由党を解党することを決断する。しかしその3日後に困窮した農民達が蜂起する秩父事件が発生、その事件は自由党員に扇動されたものでもあった。結局は事件は軍の投入で鎮圧され、自由民権運動はこれを機会に衰退する。
・その後、議会が設立された後に板垣は自由党を復活させる。そして政党政治の世界で板垣は活躍することになる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ正直なところ中途半端感も付きまとうのが板垣退助です。支持者にしたら途中でハシゴを外されたような気がしたでしょう。もっとも板垣にしたら「そんなに期待されても、そこまで俺は出来ないし」というところも本音としてあったでしょう。あれもこれもと国民の側の期待が勝手に膨らんでしまった部分も大きい。その辺りはこの頃の藩閥政府が腐敗して混乱していたというのも大きい。特に長州閥の腐敗っぷりなどはまさに政治の私物化でかなりひどかったから。

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