教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

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10/21 BSプレミアム 英雄たちの選択「鑑真来日 秘められた真相」

鑑真を来日させた聖武天皇の事情

 苦難を乗り越えて来日した鑑真だが、そもそも鑑真が来日しないといけない理由は何だったのか。鑑真側としては異境の地に仏教を広げる使命感などが言われているが、日本側の事情が今ひとつ曖昧だった。そこに今回は「聖武天皇の事情があった」という説が登場する。なお鑑真はこの手の番組で何度か扱われており、最近でも「にっぽん!歴史鑑定」でかなり詳しく扱われているので、そこと被る部分はかなりある。

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 鑑真は若き頃から優秀で長安に留学し、律学の大家となる。その鑑真の元を訪ねてきたのが日本から来た栄叡と普照である。彼らは「日本には正式な仏教を伝える者がいない」と言ったという。この時に鑑真は弟子達に「誰か日本に渡る者はいないか」と言ったのだが、誰もいなかったことから鑑真は自らが行くと決断したという。鑑真側の事情としては玄宗皇帝の時代になってから中国では道教が強くなってきていたこともあるという。

 しかし実は栄叡と普照は鑑真以前にも多くの高僧に声をかけて、中には日本に渡った者もいるという。それなのに鑑真でないといけなかったのには理由があったのだという。

 

天皇の権威付けのために菩薩戒が必要だった

 従来の説では、当時の日本は重税の中で税逃れのために勝手に僧となる私度僧と言われるなんちゃって僧侶が増えて税収が落ちるということが起こっていたので、僧になるための正式な手続きである授戒を導入するために戒律の専門家であった鑑真が必要であったというものである。しかしこの番組では奈良女子大学文学部准教授の河上麻由子氏の説を紹介する。それは聖武天皇の権威を強化するためだという。聖武天皇の母は藤原家の血筋であり、妻の光明皇后も藤原氏出身であり、光明皇后との間の子どもを後継者にと考えていた。しかし重要な問題として天皇家の血が薄すぎるということがあった。それまでの天皇は両親ともに皇族というように血が濃く(だからこそ病弱な者が多いのだが)、聖武天皇の子に後を継がせようと考えると、聖武天皇の権威をそれまでの両親が皇族である天皇と同格にまで引き上げる必要があった。そこで唐の則天武后が仏教の菩薩戒を用いて権威付けしたのに習おうと考えたのではというのである。菩薩戒を受けた者は菩薩となって人々に尽くす存在になるのだという。そこで栄叡と普照は聖武天皇の意を受けて、菩薩戒を授けられる高僧を探して鑑真にたどり着いたのだという。

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鑑真来日の背景には聖武天皇の思惑が

 なかなかに興味深い仮説である。しかしよくよく考えると、本来は日本の神様の末裔であり、それが権威の源であった天皇が、外国の神様であるところの仏の権威を後ろ盾にしようとしたというのはある種の矛盾を抱えているようにも感じられる。まあだからこその本地垂迹なのかとも言える気もするが。聖武天皇は仏教を積極的に国策に活用した天皇というのが最近の認識だという。

 

困難の末に日本に渡り、菩薩戒を授けた鑑真

 この後は日本への渡航の経緯となるが、この辺りは先のにっぽん!歴史鑑定とかなり被る。最初の渡航は密告で頓挫、2回目は嵐で遭難して失敗、3度目と4度目も弟子の密告で失敗、それでも5回目の渡航をするが、これは嵐でこの世の果てとまで言われていた海南島まで漂流。ここで1年ほど滞在したという。この時に鑑真は日本に送る予定だった経文と仏像を地元の寺に寄付して地元民に学問を教えたという。その後、揚州に向かって陸路を引き返すが栄叡が病で亡くなり、普照も鑑真にこれ以上迷惑をかけられないと去り、鑑真自身も視力を失うことになる。

 こうして完全に日本行きは頓挫したと考えられた3年後、鑑真の元を遣唐使が訪れて帰りの船で日本に来て欲しいと依頼する。ここで鑑真の選択はだが、言うまでもなく「行く」の一択となる。

 いざ本番になって唐との問題になるのを恐れた使節に乗船を断られるということもあったが、副使が鑑真達を自らの船に乗せることにして、鑑真はようやく日本に上陸する。

 来日した鑑真は日本初の正式な戒律士に就任し、授戒の制度を確定した。なおこの時に聖武太上天皇と光明皇太后、娘の孝謙天皇に菩薩戒を授けている。こうして僧になるのは国が定めた制度に従う必要が出来、勝手ななんちゃって僧侶を排除することになった。

 71歳になった鑑真は授戒の制度から引退し、唐招提寺を建ててそこで弟子達に戒律についての講義を行ったという。なお鑑真は僧侶だけでなく、一般の人にも仏の教えを伝えたという。鑑真がこの世を去るのは76才の時。


 と言うわけで新知見としては「菩薩戒」のことが登場したが、それ以外は特別にこれまで通りである。歴史学としては重要なことなのかもしれないが、我々一般人にとっては「そんなの大して違わない」と思わなくもない(笑)。まあ漠然と「仏教に頼って安らかな国を作りたい」と思っていたという聖武天皇像よりは、もっと仏教を積極的に権力の正統付けに使ってやろうというしたたかな聖武天皇像が浮上するというニュアンスの違いだろうか。

 

忙しい方のための今回の要点

・聖武天皇の意向で中国から高僧を招くために派遣された栄叡と普照であるが、彼らが鑑真に来日を依頼したのは、鑑真が菩薩戒を授けることが出来る高僧であったからだという。
・菩薩戒とは菩薩として認められた人物に与えられるもので、則天武后が自らの帝位の正当化に使用したという。母親が皇族でなく藤原氏の出身で天皇家との血のつながりの薄い聖武天皇が、藤原氏の娘である光明皇后との間の子を後継ぎにしようと考えた時に、権威の正統付けのために菩薩戒を利用しようと考えたのだという。
・鑑真は5度の失敗の後にようやく来日に成功、正式に授戒士となり、日本に授戒のシステムを確立すると共に、聖武天皇夫妻と娘の孝謙天皇に菩薩戒を授けている。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・それにしても「日本の神の末裔である天皇が、元々はインドの神様だった仏教を権威の源にする」ってのは、ある意味で非常に画期的な話のような気がするのですが、そういう点はどうなんでしょうね。聖武天皇も光明皇后との間の子に後を継がせるためになりふり構わなかったんだろうな。背後には聖武天皇だけでなく、藤原氏の意向も強くあるような気がするが。

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