教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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10/21 NHK 歴史秘話ヒストリア「不滅なり!室町幕府 足利ブラザーズの挑戦」

 大河ドラマ連携企画と言うことで、今回は切り口を変えて、室町幕府を最後になって再興しようと奮闘した二人の兄弟将軍について。剣豪将軍とも言われた13代将軍の足利ムカイリ・・・でなくて足利義輝と最後の将軍である義昭である。

 

幕府を建て直そうと奔走した剣豪将軍

 応仁の乱以降、目に見えて室町幕府の権威は低下していた。将軍が都を追われる状況が続く中、13代の義輝も三好長慶に攻められてわずかな供を連れて近江の朽木谷まで流れ落ちることになる。

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剣豪将軍こと足利義輝

 義輝は都奪還のために動き始める。全国の大名に送った書状が残っているが、朝倉氏と本願寺の争いの仲介をしたりなどを行っているという。本願寺と結ぶことで三好を討つための味方にしようという考えがあったという。そして三好の包囲網を作って、1588年に挙兵、三好の大軍を相手に幕府軍は善戦して講和を結ぶことになる。義輝は5年ぶりに京に返り咲く。義輝は三好長慶を重臣として起用して取り込みを図る。そもそも室町幕府は有力武将が将軍を担ぐ形なので、そこに三好長慶を取り込もうとしたのではないかという。将軍の下を斉藤義龍や織田信長が訪問するが、その中に上杉謙信もいたという。義輝としては最も頼れる人物として謙信を考えていたのではという。義輝が作ったと考えられている洛中洛外図屏風には上洛する謙信の姿が描かれているという。

 しかし義輝が京に戻ってから7年、三好長慶が亡くなったことで暗雲が漂い始める。三好氏を継いだのは10代と若い三好義継。彼から見れば有力大名達と接近する将軍は脅威と映った。そしてついに実力行使に及ぶ。義輝を襲撃して暗殺してしまうのである。この時に義輝は自ら刀をとって戦ったとされる。

 

信長と協力して将軍となった義昭だが・・・

 義輝の意志を継ぐことになったのが興福寺で僧侶となっていた弟の義昭である。逃亡した義昭は大名に書状を送る。もっとも期待したのは上杉謙信だが、この時の謙信は北条氏や武田氏と交戦中であり、上洛の余裕は全くなかった。そんな中、三好氏が義昭の甥である義榮を新たな将軍に擁立する。将軍位を奪われた義昭の元に、織田信長から上洛に協力したいという知らせが届く。京に勢力を伸ばそうとしていた信長にとって義昭は格好の口実だった。こうして三好を京から追い出して義昭は将軍位に付く。

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最後の将軍足利義昭

 信長は義昭のために新しい御所を築いた。これは信長が美濃に戻った途端に三好からの攻撃を受けたことによるという。そのために新しい御所は鉄壁の守りにしてある。また義昭の方も信長が包囲網にあった時に、朝倉氏に対して和睦を命じている。この頃の両者は協力関係にあったという。義昭が信長を父と仰いでいる書も残っているという。

 しかし両者の関係が悪化する。義昭は信長を家臣の一人と考えていたのに対し、信長は義昭を担いで全国に号令することを考えていた。このために両者の思惑が食い違い始める。そして武田軍が動き始めたのをきっかけに義昭はついに挙兵する。しかし武田信玄が急死、信長包囲網は崩壊し、義昭は信長に攻められて降伏する。こうして室町幕府は終わる。

 だがその後も鞆の浦に移って毛利の元にいた義昭は、再び信長包囲網の形成を画策する。そして本願寺などを味方に引き入れる。そしてそこに上杉謙信が参戦する。そして毛利水軍は木津川口で織田水軍を殲滅、北陸では謙信が手取川で織田軍を壊滅させる。義昭の構想がいよいよ現実化したか・・・という時に謙信が急死する。そして信長の反撃で諸勢力は撃退されてしまう。こうして義昭の構想は頓挫する。

 

 と言うわけで悲しい最後の将軍の話でした。いろいろな思惑が空回りした挙げ句に暗殺されてしまった義輝に、必死で画策したものの失敗した義昭。しかしここまで落ち目になった室町幕府を建て直すのは、誰が頑張ったところで土台無理だったというのが実際のところだろう。そもそも最初から権力基盤が鉄壁とは言えなかった室町幕府が、さらに勢力を弱めてしまったのだから、今更幕府の命に従えと言ったところで誰も聞かないだろう。ましてや信長なんて最初から利用する気だけ満々だったし。

 両者は大河ドラマに登場しておりますが、ムカイリ将軍こと義輝は比較的マシな描き方をされているのに対し、義昭は何となく頼りなくてもう既に信長に半分方見切りをつけられている様子があります。で、やけのやんばちで挙兵する頃には、光秀まで信長側に寝返っていてひたすらジリ貧ってことになるんだろうな。義昭については裏でコソコソと画策する策士という評もあるんだが、大河の義昭にはそんな器量はなさそうだ(笑)。

 

忙しい方のための今回の要点

・足利義輝は三好長慶に京を追われた後、各地の大名に書状を送って支持を集め、ついには挙兵して三好を相手に善戦、講和して京に戻ることに成功する。その後は三好長慶を重臣に取り立てて取り込みを図る。
・しかし三好長慶が亡くなったことで、若き後継者の義継は義輝に脅威を感じて襲撃して暗殺してしまう。
・義輝の弟である義昭は各大名に上洛の協力を要請するが、頼みの上杉謙信は北条や武田との争いで上洛の余裕がなく、三好が立てた甥の義榮に将軍位を奪われた義昭は焦る。そんな時に織田信長から上洛に協力するとの申し出があり、京から三好勢を追い払って義昭は将軍となる。
・当初は良好な関係を築いていた義昭と信長だが、段々と両者の思惑が食い違っていき、ついに信長が武田の攻撃を受けた際に義昭も挙兵する。しかし武田信玄の急死で信長包囲網は瓦解、義昭も京を追われて室町幕府は滅亡する。
・その後も毛利の支援を受けて鞆の浦から反信長包囲網の形成に尽力するが、頼みの上杉謙信の急死でこれも頓挫。包囲網も信長に各個撃破されて義昭の思惑は完全に頓挫する。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・義昭もドラマなどで様々な描き方をされますが、中には馬鹿殿そのものってひどい描き方もあります。しかし本当に馬鹿殿で信長の思いのままになっていたら、多分そのまま名前だけの将軍ではいられたと思いますが。義輝にしても義昭にしても、半端に「立派な将軍になりたい」って思ったのが命取りになってるんですよね。

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