源氏物語の日本最古の写本が見つかった大ニュース
今年の大ニュースとして、日本最古の源氏物語の写本が見つかったという事件があった。実は源氏物語については紫式部が書いたものは現存しておらず、それを書き写した写本のみが残っている。その写本も平安時代のものは存在していないので、鎌倉時代になってからの定家のものが一番古いという。今でも源氏物語として伝わっているのは定家による決定版である。
そもそも今回の大発見は定家の子孫であって和歌の伝統を守る冷泉家に、知恵伊豆こと松平信綱の子孫である大河内元冬氏が定家本とされている源氏物語「わかむらさき」を半信半疑で持ち込んだのがきっかけだという。大河内氏自身も鑑定を依頼された方も「偽物だろう」と思いながら鑑定が始まったのだが、鑑定人の一人である藤本孝一氏はこれを「本物」という鑑定結果を出したのである。
まず本の大きさが既に見つかっている定家本と同じであることと、使用している紙が鎌倉時代のものであること、また使用している墨が青墨という高級貴族のみが使うものであったことなどがポイントとなった。
源氏物語の内容は写本ごとに違いがあり、どれが本当かよく分からないところがあるという。だから決定版と言える定家本が見つかったことは非常に意味がある。しかも今まで一般に言われていた内容と一部が違うことも分かったという。これは今後、作品の解釈をも変えていくかもしれないという。
貴族の没落をもろに体験した藤原定家
さて和歌の天才であり、新古今和歌集を作った定家が源氏物語の写本を残したことには様々な事情があるという。
定家が生きた時代はまさに源平合戦を経て武士が台頭していく時代であり、それは同時に貴族が権力を奪われて没落していく時代でもあったという。藤原家の末裔で和歌にたけた家に生まれた定家であったが、19歳の時に源平合戦が発生、その結果鎌倉幕府が誕生して貴族は武士に荘園の支配権を奪われて没落することになる。定家も貧困化して生活苦に喘ぐことになったという。
そんな中、後鳥羽上皇は勅撰和歌集を出すことで朝廷の権威を示そうとする。これに起用されたのが定家であった。出来上がった古今和歌集を定家は実朝に献上した。貴族文化に憧れのあった実朝は和歌において定家の弟子となっていた。実朝を通して貴族の権威を取り戻すことができるかもと期待する定家だが、その望みは実朝が暗殺されたことで消え去る。さらには後鳥羽上皇が承久の乱を起こすものの敗北して流罪となり、完全に貴族の復活の目は断たれてしまう。
貴族文化の結晶を後世に残そうとした定家の執念
そんな中で定家は、幼いころから心のよりどころであった源氏物語を後世に残す必要があると考える。源氏物語に描かれている華やかな王朝絵巻こと貴族文化の結晶として後世に残す必要があるとの使命感にかられたのだという。
ただそれは簡単ではなかったという。源氏物語の写本を集めること自体が難しかったうえに、様々な写本があってどれが本来のものかを判別するのが困難だったという。源氏物語の最後である宇治十帖などは当時から紫式部のものではないのではないかとの声もあったというが、定家はこれを紫式部のものと判断した。これについて現在の統計科学を用いて、用いる助詞のパターンなどから分析したところ、定家の判断は正しかったという結果が出ているとのこと。
定家はあえて一字一字を分けて書いた新しい書体を用いて写本を記したという。これは一字一字を明確にするという意味があったようである。定家は写本を完成させた後も、その複製をいくつも作っていったという。時には手がしびれたり目がかすんだりしたが、書き続けたとのこと。とてつもない執念である。
で、その定家のおかげで今日の私たちも源氏物語を読むことができるのだとか。また当時の貴族の生活を最も生々しく感じさせるのは源氏物語である。確かに低下の写本が残っていなかったら、平安時代に対する認識などは変わっていた可能性が高く、定家の「貴族文化を残したい」という執念は叶ったということである。
それにしても藤原定家と言えば後世にまで名が残っている立派な人というイメージがあったので、まさか生活に困窮するところまで行っていたとは知らなかった。日記に「雨漏りで寝る場所がない」とまで記しているらしいから、かなり悲惨な状況である。定家に対する認識を改めた。
今回は以前の「歴史大ニュース」の中に出てきた定家による最古の写本発見の内容に、定家自身の物語を加えて一本にまとめたという構成ですね。だから内容が結構あっちこっちに飛びまくった印象がある。
忙しい方のための今回の要点
・源氏物語は現在は写本しか残っておらず、最古の写本は鎌倉時代のもの。この度、日本最古の定家による写本が見つかった。
・定家は源平合戦による武士の台頭で貴族の没落を経験しており、生活に困窮する状態にまでなったという。そんな中で貴族文化を後世に残す必要があるとの執念から源氏物語の写本の作成の取り組んだ。
・しかし集めた写本自体が中身の違うものが多く、どれが本来の紫式部のものであるかの判断はかなり困難を極めてたという。
・それでも定家は決定版と言える写本を作り上げ、さらに自身でその複製をいくつも残した。そのおかげで今日の我々も源氏物語を読むことができる。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・歴史に名前を残すような人って、ポジティブかネガティブかのどちらかの強烈な執念を持ってるんですよね。私は定家の執念はポジティブなものと思ってたんですが、今回の話を見る限りではかなりネガティブな気が・・・。
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