教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

11/11 NHK 歴史秘話ヒストリア「近衛前久 型破り関白 戦国と闘う」

大河ドラマにも登場した関白・近衛前久の奮闘

 今回も大河ドラマ関連。NHKも必死である。と言っても明智光秀はとっくにやっていて再放送までやっている。織田信長もしょっちゅう出て来ているし、斎藤道三も扱ったし、とうとう松永久秀まで登場というわけでネタがないので今回引っ張り出してきたのは関白の近衛前久。大河でいろは大夫に軽くあしらわれていた兄ちゃんである。

 さて近衛前久であるが、格式高い近衛家の人間で関白を務めていた。関白と言えば天皇を補佐する朝廷では最高位である。とは言うものの、この時代は朝廷自体が武家の台頭で没落、発掘調査の結果では屋敷跡から庶民が使うような質素な器が発見され、生活にも困っていた状態であったことが覗えるという。

 朝廷建て直しの期待を一身に背負って19才で関白に就任した近衛前久は、とにかく戦乱が続いていては朝廷の権威は保てないと平和な世を目指す。その時に目をつけたのが上杉謙信である。謙信は抜群の武力を持っている上に朝廷の権威に対して敬意を払う人物であった。前久は謙信の関東征伐に同行することを申し出る。謙信の武力に自らの関白としての権威を合わせることで東国を平定、東国の軍勢を率いて西上することで天下を平定することを考えたのである。

 前久の読み通りに謙信の元には次々と諸勢力が集まって総勢11万もの大軍勢となり、小田原に迫る。しかしここでとんでもない報が飛び込んでくる。謙信の留守を狙って武田信玄が動き始めたのである。謙信は急遽越後に戻ってしまう。しかし前久は残留することを決める。謙信なしでも自らの力で関東平定を行おうとしたのである。しかしそこで前久は厳しい現実を目の当たりにさせられる。謙信の武力がなくなった後に起こったのは、家臣達の離反だった。関白の権威だけでは彼らを押しとどめることなど出来なかったのである。

 失意で京に戻った前久は争いに巻き込まれて京を追われることになる。その頃に前久が作らせた庭園が丹波市の興禅寺に残っている。関白の地位さえも失った前久はこの庭園をどんな想いで眺めていたのか。

 

信長に協力して天下平定を目指すが・・・

 前久が40歳になった時、織田信長に呼ばれることになる。畿内の大半を支配していた信長は毛利打倒のために九州の大友氏と結んで挟み撃ちにすることを考えていた。しかしこの時に問題になったのが、大友氏の背後にいた島津氏である。島津氏を何とかしないことには大友氏は動けない。そこで信長は島津氏との交渉を前久に依頼する。信長なら太平の世を築けるかも知れないと考えた前久は信長に協力する。

 しかし島津氏との交渉は難航する。そこで島津の武将たちが和歌を盛んに詠んでいるのを見て、これなら公家の得意分野であると古今伝授を島津氏に行うことで島津の歓心を得て交渉に成功する。さらに京に戻った前久は信長に鷹を送り、鷹狩りの奥義を信長に授けることで信長の歓心をも得る。貴族の文化で武士たちの心を得たのである。

 しかし信長の前には一向一揆が立ちはだかっていた。何とか和睦を結びたい信長だが、深い恨みを持つ本願寺は交渉に応じなかった。そこで前久は自らが交渉に臨むことを提案する。この際に前久は信長に交渉結果を絶対に守ることを約束させて和睦交渉に臨む。前久の言葉を信じて本願寺は和睦に応じ、10年に渡る抗争についに終止符を打つ。

 こうして信長の手で天下が泰平になるかと思われたのだが、ここで本能寺の変が発生して信長はこの世を去る。前久の目論見は水泡と帰す・・・のだが、本能寺の変は前久が黒幕だったという説もあり、当時も疑いをかけられたようである。番組ではこの説を紹介したものの、この説を採ってはいない。

 

天下人秀吉からの申し出

 信長を失って政治の表舞台から去った前久だが、そこに秀吉からの申し出が来る。関白に就任して権威を得たい秀吉は、前久の養子になることで関白位を得たいと考えていたのである。前久の息子の信伊は猛反対するが、前久は秀吉の申し出を飲む。秀吉なら天下を抑えられると考えたのだという。こうして秀吉は関白となって天下を統一する。

 しかし秀吉はすぐに朝鮮出兵を行うなどやはり戦乱は絶えなかった。これに対して前久は強い挫折感を味わったろうという。さらには秀吉の死後には関ヶ原の合戦が起こる。そして家康が天下を押さえてようやく戦乱も終わりかと思われたのだが、ここで島津が家康に対して抵抗する姿勢を見せる。未だに九州で大きな兵力を持つ島津が家康に対抗したらまたも戦乱が起こる。ここで前久は息子を通じて島津に手紙を送る。かつて築いた関係を活かしたのである。そうして島津に対する説得を行い、1年間の交渉の末に島津は家康と講和する。ようやく戦いの時代は終わったのである。

 江戸時代になってから前久の息子が関白に就任、その後は貴族の間で関白位は引き継がれ、朝廷文化も継承されていく。その一部は今でも継承されている。これらは前久の奮闘の結果でもあるという。

 

 と言うわけで大河ドラマ関連企画です。そして来週は細川ガラシャとのこと。NHKの大河テコ入れが半端ないですが、何かヤバい事情でもあるんでしょうか(長い中断後に放送再開したら思いの外視聴率が上がらないとか)。

 それはともかくとして近衛前久ですが、確かに奮闘したのは間違いないのですが、かなり空回りの面もあったようですね。やはり何だかんだ言っても貴族のボンボンですから、実際の世の中のことがよく分かっていなかったこともあったんでしょう。しかし関東での失敗で関白の権威なんて世の中では屁の突っ張りにもならないということを痛感して成長はしただろうとは思います。

 なお信長との関係ですが、本番組では前久はあくまで信長に期待していたので本能寺の変の黒幕などあり得ないという説ですが、実際のところはよく分かりません。そもそも信長が朝廷にどれほど敬意を払っていたかが不明なので。信長は利用価値があるうちは朝廷を利用しましたが、いよいよとなると自らが天皇と置き換わることぐらいは考えていた節もありますので、それに前久が気づけばヤバいとして排除に向かった可能性は否定できません。明智光秀は朝廷を重んじる姿勢を示していた武将なので、明智が天下を取れば朝廷も安泰と考えた可能性は否定できないと考えます。

 

忙しい方のための今回の要点

・近衛前久が関白に就任した時は、長く続く戦乱で朝廷の権威は地に落ちて生活に困窮する状態だった。前久は朝廷の権威を回復するためにも戦乱に終止符を打つことを目指す。
・最初は朝廷の権威に敬意を払う上杉謙信に接近、謙信の関東制圧に同行することで関東を抑え、関東の軍勢を率いて天下を押さえることを考える。
・前久が合流した上杉軍は11万にまで膨れあがるが、信玄が動いたことで謙信が帰国、前久は関東に残るものの謙信の力を失ったことで家臣達が離反、前久は関白の権威だけでは何も出来ないことを痛感させられる。
・その後前久は京を追われることになるが、40才の時に織田信長に呼び出され、島津との交渉を依頼される。信長に期待していた前久は、島津に古今伝授を行うことで島津の歓心を得て交渉を成功させる。
・さらには信長に敵対していた本願寺との和睦もまとめる。しかしその信長が本能寺の変で討たれることになってしまう。
・その後、天下を押さえた秀吉が関白位を得るために前久の養子になることを願い出てくる。前久の息子の信伊は猛反対するが、前久はそれを飲む。こうして秀吉は武士で初めて関白となる。
・しかし前久の願いも空しく戦乱はさらに続く。そして家康の天下となるが、その時に島津が家康に抵抗する姿勢を見せる。前久は前の島津とのコネを最大限に利用して島津を家康に従わせることに成功する。そうしてようやく戦乱の世は終わる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・戦乱の世は終わったものの、結局のところ朝廷の権威はどこまで戻ったんでしょうかね。まあ徳川幕府はある程度朝廷の支援は行ってましたが、細々と生き残るのがやっとというところだったような気がするのですが。

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