種子島に上陸し、日本中に広がった鉄砲
戦国の合戦を一変させた鉄砲。今回はその鉄砲について紹介。いきなり渡邊佐和子が鉄砲を持って登場する。まるで八重の桜であるが、なかなか凜々しくて格好良い。
鉄砲が最初に上陸したのが種子島。種子島に漂着したポルトガル人がもたらしたもので、領主の種子島時尭がこれを入手。そして島一番の鍛冶屋の金兵衛にこの貴重な鉄砲を渡して、鉄砲の製造を命じる。金兵衛は鉄砲を分解して原理を調べ、その製造に取りかかる。しかしネジの製造方法が分からない。悩んだ金兵衛は次に来日したポルトガル人にネジの製造方法を尋ね(この時に娘を差し出したという伝説がある)、ようやく鉄砲の製造に成功する。小和田氏によると種子島は砂鉄が豊富だった上に、領主の時尭が若くて好奇心旺盛のために鉄砲を秘蔵せずに分解まで許したことが鉄砲製造成功の秘密だという。
さらに種子島から鉄砲が広がったのには理由もある。本能寺の末寺が種子島にあったことから、このルートで鉄砲が広がっていったのだという。鉄砲は従来の甲冑を無効化する効果があったためにあっという間に広がっている。当時の日本には数十万丁の鉄砲があったとポルトガル人が記している。これはヨーロッパ中の鉄砲の数を上回る数だという。またこの時期に鉄砲が普及したのは、硝石を輸入できるようになって火薬の製造が可能になったことが大きいという。
鉄砲産地となった国友村
鉄砲産地として有名になったのは国友村である。国友の鉄砲は質実剛健でひたすら性能を追求したものだという。国友に鍛冶屋を集めて鉄砲を最初に製造させたのは浅井氏だという。浅井氏が鉄砲を重視していたのは小谷城の縄張りにも現れているという。
近江が秀吉の支配下に置かれたことでその評判が信長にまで聞こえる。こうして国友村は全国屈指の技術者集団にまで成長する。その鉄砲がもっとも効果的に運用されたのが長篠の合戦である。
国友では鉄砲の性能向上も行われていた。さらには脇差しのように見える脇差し鉄砲やら多銃身の20連斉発銃(番組でも言っていたように、発射後の弾込めが大変そうだ)のような変わったものまで発明されたらしい。
鉄砲は城の姿も変えた。大阪城は鉄砲を使って防御できるように設計されている。また外から鉄砲を撃っても効果がないように幅広い堀を備えている。これに対して家康は鉄砲の大型化で対応する。大型の鉄砲の製造を国友に命じたのである。しかしこの時、国友の職人達は大名の要請で各地に散ってしまっていた。そこで家康は強引に職人を呼び寄せ、また鉄砲の秘密をみだりに伝えないように命じる。こうして重量22キロという100匁の大筒(射程距離2キロ)を製造させる。国友の職人は戦場に残って大筒の整備及び輸入した大砲のセッティングを行う。国友の職人の活躍で家康は天下を取ったのである。
江戸時代、国友は幕府の御用鉄砲鍛冶となるが、鉄砲は必要なくなり技術は衰退する。そんな中で国友の技術が再び脚光を浴びるのが、発明家でもある国友一貫斎の登場である。鉄砲作りの名人でもあった一貫斎は反射式の望遠鏡を制作して太陽や月を観測して記録を残したという。この望遠鏡には鉄砲の技術が使用されている。しかも近年には飛行機の設計図まで見つかったとのこと。鉄砲製造の技術が科学技術に進化したのである。
もの作り日本の原点がこんなところにあったかというところ。ちなみに鉄砲伝来から量産化に至る経緯はかつて「にっぽん!歴史鑑定」でも放送されており、何にせよ鉄砲がこれだけ日本中に普及したのは、種子島時尭が鉄砲を秘密にせず、「これは良いものだからみんなに知らせよう」という態度をとったことによるという。善意に満ちているというか、この時代にはむしろバカなのではと見えるのだが、私はただの機械オタクだったのだと考えている。自分が入手した珍しい機械を自慢したいだけで、これが今後合戦にどう影響を与えるとか、天下取りへの戦略とか、そういうことには興味がなかったのではないか。
天下泰平の時代になると鉄砲製造が廃れるのは当然ですが、その技術を活かして奇天烈斎・・・じゃなかった、一貫斎が登場して反射式望遠鏡を作ったというのはなかなか興味深い。反射式望遠鏡の製造に関しては西洋からの文書などの元ネタがあったんだろうか? さすがに彼が原理から一から開発したとは思いにくいので。飛行機の設計図まで書いていたとはこれまた構想のデカいことである。もっとも人間がペダルを踏んだのでは残念ながら飛行できるだけの力は出ないだろうが。で、この一貫斎が最後に発明したのがちょんまげを付けたロボットってわけなりですか?
忙しい方のための今回の要点
・日本に初めて鉄砲が伝来したのは種子島だが、領主の種子島時尭は島の鍛冶屋に鉄砲の製造を命じ、またその製法を各地に伝えた。
・鉄砲の登場はそれまで合戦の形から城の形態までに変化を与えた。大阪城は鉄砲を使った防御と鉄砲による攻撃を防ぐことを考えて設計されている。
・大坂の陣では家康は大坂城攻略のために今までの鉄砲よりもはるかに口径が大きく飛距離の長い大筒を国友の鍛冶に開発させた。
・江戸時代の太平の世になると鉄砲製造の技術は廃れていった。しかしその技術は別の形に伝えられ、国友一貫斎はなんと反射式望遠鏡を製造している。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・元ネタをどんどん改良してオリジナルを越えるものにするのが日本人の最も得意とするところと言われていますが、実際に国友での技術開発なので当時の日本の火縄銃は既にヨーロッパのオリジナルを越える性能になっていたとか。また鉄砲を使った戦術も実戦の中で磨かれていったので、当時の日本は世界有数の軍事大国だったとのこと。だから「戦国」で言っていたスペインとの世界戦争の可能性というのも、そう荒唐無稽な話ではなかったらしい。
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