教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

1/31 サイエンスZERO「はやぶさ2 知られざる原点」

はやぶさに至る物語

 小惑星にまで探査機を飛ばし、サンプルを採取して戻ってくるというはやぶさ2の大活躍が話題となったが、そのはやぶさ2に至る物語を紹介。

f:id:ksagi:20210201231807j:plain

小惑星に着陸するはやぶさ2

 はやぶさプロジェクトの原点となるプロジェクトが立ち上がったのが1985年。この当時は宇宙開発は旧ソ連とアメリカが競い合っている時代で日本は大きく立ち遅れていた。その時に小惑星サンプルリターン小研究会が立ち上がる。日本は隕石の研究で抜きんでていたので、小惑星のサンプルリターンに目をつけたのだという。この時の資料には目標の満たすべき条件として、「科学に新しい視野をもたらすものであること」「広範囲の科学者、技術者が情熱を持てるものであること」などが挙げられている。

 小惑星サンプルリターンを成し遂げるには4つの技術的な壁があった。1つ目は天体の近くを通り過ぎながら観測するフライバイ。2つ目は天体の周りを回って詳細な観測をする周回。3つ目が着陸。そして4つ目がサンプルリターンになるという。この技術の中では3と4の間に大きな壁がある(3までは片道飛行だが、4は往復飛行になる)。そしてこの時の日本はまだ1を計画している段階だった。

 

ハレー彗星観測国際チームに参加して着実に実績を積む

 このフライバイに挑んだのが1986年のハレー彗星観測だという。この時に旧ソ連、アメリカ、ヨーロッパ、日本が協力しての世界的ハレー彗星観測計画が立ち上がる。ハレー艦隊と名付けられたこの観測チームで、旧ソ連は最先端の観測機器を搭載したヴェガ1号と2号を8000キロまで近づけて水星の核を観測した。ヨーロッパのジオットは600キロまで接近し、最後は彗星に体当たりして核の映像を撮影した。この時に日本はさきがけとすいせいを初めて地球の重力圏を脱して打ち上げ、彗星から15万キロの距離から観測を実行した。これでフライバイを成し遂げた。

f:id:ksagi:20210201231839j:plain

ハレー艦隊と言っても、こういうのではありません(笑)

 1990年にはひてんが月の重力で加速するスイングバイに挑んだ。これは探査機を遠くに送るための必須の技術だったが、わずかな誤差でとんでもないことになる精密な作業だった。ひてんは3年間で10回実行してスイングバイの技術を確立した上で、月の周回に乗り、最後は月面にハードランディングした。

 

満を持してはやぶさが旅立つ

 そしていよいよサンプルリターンに挑んだのが2003年のはやぶさである。着陸してサンプルを採取するための装置が様々搭載され、長時間の飛行に最適のイオンエンジンが採用された。はやぶさは通信不能になったり、エンジンが停止したりなどのトラブルに見舞われたが、何とか奇跡的に生還を果たした。

 はやぶさ2の際は「想定外を想定する」をキーワードに、あらゆるトラブルのパターンを想定しての訓練を48回も繰り返したという(うち21回は墜落したらしい)。それが実際の着陸時に生きる。突然にプログラムのバグでカメラが誤作動するトラブルが発生し、倍のスピードで降下する必要に迫られたのだが、これは訓練済みだったので問題なく成功したのだという。そしてはやぶさ2はサンプルをギッシリ詰めたカプセルを持って帰ってきたのである。

 と言うわけではやぶさの成功に至るまでの物語。なお番組では西之島の最新調査に関しての予告も入ってましたので、近日中にその詳細の報告もあるでしょう。

 

 昔から日本の宇宙探査の技術は、アメリカなどに比べると劣るもののなかなかに独創性が高いと言われていた。今回のはやぶさはまさにその独創性が生きたもので、またこういうミリミリした計画はいかにも日本人的である。小惑星探査は太陽系誕生の謎を解明できる可能性があるという学術的意味もあるが、将来的に金属資源などとして活用できるのではという実用面の御利益もあるので(ガンダムでも資源採取用に小惑星を地球の周回軌道に引っ張ってきてましたね)、今後も精力的に行うことになるだろうと思われる。中国に独占させないという意味でも、日本がこの分野に独自技術を持つ意味は大きい。

 

忙しい方のための今回の要点

・はやぶさの成功に至る日本の宇宙開発の歴史を紹介。
・はやぶさの原点は1985年に立ち上がった小惑星サンプルリターン小研究会だという。
・この計画の実行にはフライバイ、周回、着陸、サンプルリターンと4段階の技術を経る必要があったが、まず1986年のハレー彗星観測計画でフライバイを実行、1990年のひてんでスイングバイの技術を磨くと共に周回と着陸を実行、そして2003年に満を持してはやぶさに挑んだ。
・はやぶさは数々のトラブルが発生したが、奇跡的に帰還を果たす。そしてはやぶさ2では「想定外を想定する」をキーワードにあらゆる事態を想定した訓練が繰り返され、それが本番のトラブルの際に生きた。
・そしてはやぶさ2は見事にサンプルの入ったカプセルを持って帰還した。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・はやぶさ2で宇宙への夢を膨らませた者も少なくないと思います。番組でもそうして宇宙に憧れた若者が次回のハレー水星探査の時のプロジェクトリーダーになるだろうと言っていたが、多分そうなるでしょうね。ちなみに次回の接近は2061年の夏とのことなので、今から40年後です。十中八九、私はその頃にはもうこの世にはいないでしょう。

次回のサイエンスZERO

tv.ksagi.work

前回のサイエンスZERO

tv.ksagi.work