教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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3/22 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「平家が滅亡した日~実録『壇ノ浦の戦い』」

平氏が滅亡した壇ノ浦の戦い

 今回は源平合戦で平家が滅亡した壇ノ浦の戦いについて詳しく見る。

 平清盛の頃に全盛を極めていた平氏であるが、源頼朝を統領とする源氏の挙兵で追い詰められる。そして平清盛死後にはついには京を追われることになる。平氏は勢力の強い四国や九州で再起を図ることにするが、一ノ谷で義経の奇襲に敗れ、さらに屋島でも義経の攻撃で海に逃れることになる。平氏は壇ノ浦に逃れてここで命運をかけた決戦に挑むことにする。

 一方の源義経であるが、彼にも悩みはあった。源氏軍は陸上での戦いでは圧倒的に強く、さらには義経もそれで勝利を重ねてきた。しかし源氏軍は海上戦の経験がなく、船もあまり持っておらず水軍力では平氏に劣るものであった。そこで義経はまず瀬戸内の水軍達に声をかけ、味方に付くと勝利の暁には俸禄を与えるとして勧誘する。屋島の合戦の動向を見ていた多くの水軍がこれで源氏に乗り換える。また熊野水軍なども悩みながらも源氏に付くことを決意する。

 平氏の統領は三男の平宗盛であったが、宗盛には指揮官としての器量はなく、実質的に戦闘指揮は四男の知盛が取っていた。一方の源氏軍は頼朝の弟の義経と範頼が討伐軍の指揮官であった。

 

 

睨み合う両軍の戦略

 源氏軍は壇ノ浦に押しかけると、範頼軍は壇ノ浦近くの陸地に布陣した。源氏の動きを知った平氏軍は、壇ノ浦の入口辺りで布陣した。両軍の距離は300メートル。義経は正面攻撃で追い込んだ後に背後から範頼の軍勢が矢をいかけて殲滅するという戦術を考えていたという。

 戦いは翌朝と言うことになるが、その夜に義経の陣営でもめ事が起こる。軍鑑の梶原景時が先陣を望んだのに対し、義経が自分が先陣を務めると主張したのである。景時は総大将が先陣など聞いたこともないと抵抗するが、義経は頑として譲らず両者は非常に険悪な状態となる。この時は何とか場は収められたが、この後も景時は義経の行動に対して疑問を持ち、ことあるごとに頼朝に報告したので、これが結果として両者の関係を悪化させることにつながったという。

 翌日の合戦は双方の矢による挑発合戦から始まり、全面衝突になる。海戦に慣れている平氏は潮の流れに乗って一気に源氏に攻め寄せて矢の雨を降らせる。これには義経も防戦一方となり、源氏軍は追い詰められて平氏優勢で推移する。さらに平氏は源氏が安徳天皇や三種の神器奪還に動くことを推測して、安徳天皇らを御座船から兵船に移して、御座船を囮にしてそこに近寄る源氏軍を包囲して殲滅する計画を立てていた。

 平氏優勢で戦いが進む中、義経の頭上にどこかから白旗が舞い降りてくる。義経はこれは勝利の吉兆と喜んで手を合わせる。一方の平氏軍には2000頭のイルカの群れが向かってくるという現象が起こっていた。陰陽師に占わせたところ、イルカが引き返して源氏の方に向かえば平氏の勝ち、このまま平氏の方に来れば源氏の勝ちと占う。知盛はイルカが引き返すことを祈るが、イルカはそのまま平氏の軍船の下を抜けていってしまう。

 

 

流れを変えた義経の掟破りの戦法

 なお優勢だった平氏が劣勢に陥ったのは潮の流れが変わったことによると言われてきていたのだが、実は潮の流れはそう大きな影響を与えていないという。決定的だったのはこの時義経が繰り出した掟破りの策であった。義経は非戦闘員である水手(船の漕ぎ手)を攻撃させる。これで平氏の軍船は推進力を失って大混乱に陥る。さらにここで阿波水軍を率いる民部重能が裏切る。しかも御座船が囮であることも源氏に伝えてしまう。一気に攻勢に出る源氏軍、するとさらに平家の軍からの離反が出る。こうして平氏軍は総崩れとなる。

 敗北を察した知盛は覚悟を決めるように皆に伝える。平清盛の妻で安徳天皇の祖母の二位尼時子は安徳天皇を連れ、刀と玉を抱いて海に飛びこむ。安徳天皇の生母の建礼門院徳子も海に飛びこむが、これは源氏勢によって引き上げられる。平氏の武士や女官達は重りをつけて次々と海に飛びこんでいく。そんな中、平氏一の強者とされた教経は義経を道連れにするべく追い回すが、義経はこれから八艘飛びで逃走、義経を逃がした教経は源氏の武将を二人道連れにして海に飛びこむ。

 その一方で統領の宗盛は飛びこむ決心が出来ずに船の上で逡巡していた。ついには見かねた家臣が海に突き落としたそうだが、重りもつけていなかったので沈まず水面でドタバタしているところを捕らえられる。これを見て情けないと嘆いた知盛は鎧を二重に重ねて身につけると海に飛びこんで果てる。こうして平氏は滅亡したのである。

 

 

 もう明らかに落ち目になっていた平氏はどうしようもなかったと言うところでしょう。何とか優位に戦っているうちは味方に付いていた連中も、一旦劣勢に陥ると雪崩を打ったように寝返ってしまうと言うのは、明らかに平氏の権威が既に失墜していたことを示している。

 それにしても情けなかったのは宗盛である。ここで死に損ねたおかげで暗愚の代名詞のように言われるようになってしまった。まあ実際は暗愚と言うよりも、単に戦が向いていなかったと言うだけで、歴史の別の展開があれば意外に良い統治者になっていたかもしれないという評もあるとか。

 さらに際立つの義経の「勝てば良い」というドライな考え方。義経の戦い方は当時としては画期的であったというのは、当時の常識だけでなく約束事もことごとく破っていたからである。この戦いでの水手を狙ったというのはルール違反の最たるものだが、義経は目的のためには全く躊躇わなかった模様である。このようなドライさが同じ陣営の武士たちから警戒され、頼朝からも警戒される一因になった可能性はある。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・一ノ谷、屋島で敗北して海に追われた平氏は壇ノ浦で決戦に及ぶことになる。
・陸の戦いでは無敵の義経も、源氏勢は海戦の経験がないことに苦慮する。彼は瀬戸内や熊野の水軍に協力して勝利すれば俸禄がもらえることを約束して味方につける。
・味方を増やした義経は、水軍で兵士勢を押し込み、背後から範頼の軍勢が陸上から矢で攻撃する戦略を立てる。
・これに対して平氏方は強力な水軍で海流に乗って源氏勢を一気に押し込むこと、また御座船を囮にしてそれに近寄る源氏勢を包囲して殲滅することを計画する。
・序盤は平氏が優勢に軍を進め、源氏は防戦一方となる。しかし義経が水手を射ることを命じたことで平氏の船は漕ぎ手を失って推進力をなくしたことで大混乱に陥る。
・平氏が劣勢となってくると、ここで阿波水軍を率いる民部成能が寝返り、さらに平氏の囮戦術を源氏に知らせてしまう。これで平氏の劣勢は決定的となり、さらに寝返りが相次ぐことになる。
・敗北を察した平氏は次々と海に飛びこんで自害するが、統領の宗盛は決断できずに逡巡し、結局は海に落とされたものの沈む前に源氏に捕らえられてしまう。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・おごれる平氏は久しからずというお話です。まあどんなに強勢に見える勢力も、滅びるときには呆気なく滅ぶと言うことです。今、この国で奢りまくっている連中も、この際滅んでもらいたいところです。

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