教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

4/7 NHK 歴史探偵「平安京ダークサイド」

イメージとは違った平安京

 リニューアル2回目の今回のテーマは平安京。タイトルから以前にもやった平安京の魑魅魍魎の話で安倍晴明とかが絡むのかと思えばそっちの話ではなかった。

 まず平安京と言えば碁盤の目に整然となった都市というイメージがあるが、実はそれはあくまで計画段階のことで、実はその通りにはなっていないというのである。

 中央に通る大通りが朱雀大通りだが、その通りは外国の使節などに対するアピールが目的なので、朱雀大通り沿いの建物は壁を築いて、こちら側には入口を作らないようにして中を見せないようになっていたという。また壁で区切られてはいるが、利用されていない区画なども結構あったらしい。

 特に西側に当たる右京は段々と人口が減少して未利用地が増えていったという。また南東隅は区画通りに道路が通ってないという。

 そもそもこうなってしまった理由は、右京の西には川が通っており、この川を水路として使用するために直線に付け替えたのだが、それが祟って流出土砂で川筋が埋まってしまって水害が発生するといったことが何度も起こったからだという。しかもその上に京都の地形は西の右京側が低くなっているために、水が出る度にここに流れ込むので、右京は必然的にしょっちゅう水害にされされることになり、その結果として住民は左京の方に移っていくことになったのだという。

 

 

治安の悪かった平安京

 また平安京は治安の良い都市でもなかった。群盗と呼ばれる盗賊集団が略奪などで荒らし回り、大臣クラスの屋敷までがその被害に遭うこともしょっちゅうだったという。一応は治安維持に当たる検非違使という者達がいるが、30人ほどと圧倒的に人数が少ないせいで手が回らず、結果として住民は自衛せざるを得ない状況だったという。

 この群盗と言われる連中は馬で走り回って弓を騎射する集団で、軍事力的には当時は最強だったという。番組では実際に日本の在来馬を使用した騎射の技術を取材しているが、とにかく馬の機動力と射撃の正確さで、これは当時では対抗手段がなかっただろうことが想像つく。

 しかしこのような無法行為は実は群盗だけでなく、貴族達も行っていたのだという。つまりは当時の平安京は「やった者勝ち」のとんでも状態だったらしい。

 

 

新しい勢力の台頭につながる

 またこの群盗と言われる連中は実は周辺の豪族などが多く、彼らは徴税を請け負っているが、その集めた税が度々貴族達の略奪にあって自分で弁済する必要に迫られることがあったのだという。だから群盗は彼らの「取られたものは取り返せ」という面もあったとか。

 そしてこのような存在が将来の日本を変える一大勢力につながったという。当時の京では例えば桓武天皇には30人以上の子供がいるなど、天皇の子孫が増えすぎて貴族のポストが用意できず、食いっぱぐれた天皇の子孫が地方に落ちてそこの豪族と婚姻するなどによって、段々と武士階級が形成されていったという。実際に平氏も源氏も共に天皇の血筋を唱えている。結局はこういう武士階級が後に天下を取っていくことになる。

 

 

 陰陽道や魑魅魍魎の類いの話ではなく、もっとベタな社会状況に関する話でした。まあ平安京は花の都などと言う雅なイメージとはほど遠く、もっと埃っぽくて汚いところだったというのは言われているところ。もっともそれをそのまま描いたら、大河ドラマの視聴率が低迷する羽目になったのですが。

 にしても、今回でリニューアル第2回になるのだが、相変わらず中身が薄いな・・・。今回なんかもヒストリアだったら2/3にも当たらない程度の内容。それと取材に行くのは良いが、その内容が番組の本筋からズレがあるのは前回から変わらず。さらにマヌケなコメント時折入れるぐらいしか存在の意味がない所長の佐藤二朗の不必要感も増すばかり。結局は所長絡みの小芝居で無駄に時間をつぶして内容の薄さを誤魔化している印象。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・平安京と言えば整然とした街並みというイメージだが、実際はあれはあくまで計画図であって、実際の平安京はやや違い、利用されていない区画もかなりあった。
・特に西側の右京は、河川改修が祟ってしょっちゅう水害が発生することになり、段々と人口が減少して住民は左京に偏ることになってしまった。
・また群盗と呼ばれる武装強盗団が貴族の屋敷などまで襲撃することがあり、治安は決して良くなかった。
・治安維持には検非違使が当たったが、人数が圧倒的に不足なため、群盗を摘発するなどは到底不可能であった。また貴族による不法行為も多く、それらは手つかずだった。
・また群盗は周辺の豪族達が多かった。彼らは徴税を請け負っていたが、その集めた税が貴族に略奪されて弁済する必要に迫られることがあったため、「取られたものを取り返せ」とばかりに武装して襲撃するということがあったらしい。
・当時の京では天皇の子供が増えすぎたせいで貴族のポストが足らずの食い詰めた皇族が地方の豪族と婚姻することが増え、それらが後の武士の登場につながったという。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・懸念していたことがドンドンと現実化してますね。本当に中身の薄い魅力に乏しい番組になってしまいました。ネタを減らしてその分を佐藤二朗の意味のないコメントと小芝居で埋めたという印象。全く持って何のためのリニューアルか不明。やっぱりオリンピックのために他の番組に手間をかけたくないというのが一番の目的か。

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