今回の内容は昨年の年末スペシャル番組の完全流用です
今回は関ヶ原の合戦、現地調査に空からの赤色立体地図まで含めたかなり気合いの入った取材で「おっ、この番組なかなかな力入っているな」と言いたくなるんですが・・・実は以前に放送した別の番組のまんま流用です。実は昨年末の12/19に『決戦!関ヶ原「空からスクープ 幻の巨大山城」』という2時間のスペシャル番組が放送されており、今回の内容はそこからのまんまの流用です。だから唐突に探偵が青井アナに代わった上に、お城クンこと千田氏まで出演しているという次第。なおこのスペシャル番組は歴史解説部分と再現ドラマ部分とで構成されており、特に再現ドラマ部分が異様に熱い内容になっており、「もしかしてこれ、大河ドラマよりもよく出来てね?」という感想まで出た代物でした。
というわけで、放送素材の有効活用というのはいかにもNHK的ではあるが、やっぱりこの番組、露骨に手を抜いてやがるなとずっこけたところから始まってしまうのだが・・・。とりあえず先の特番は年末年始でドタバタしていたせいで私は内容の紹介をしていないのでここで触れることにする。
関ヶ原で発見された大城郭が語る西軍の戦略構想
今回、NHKが大発見としているのは関ヶ原の後方にある玉城の遺跡を発見したことである。以前からここに玉城と呼ばれる南北朝時代の山城があったことは分かっていたのだが、千田氏らの現地調査の結果、戦国期のものと思われる超巨大山城がここに存在したことが確認されたのである。千田氏がハイテンションで現地調査をしているが、南北朝時代の山城だったらシンプルな構成のものであるはずだが、ここの城は大規模な切岸(最大20メートルの高さがある)にいくつもの竪堀、さらには敵の侵攻を食い止める巨大な土塁まで築いたかなり凝った作りになっており、明らかに戦国時代のものだと考えられ、立地的にも関ヶ原の合戦に備えて西軍が整備したものと考えるしかないという結論になったわけである。
また航空写真からの赤色立体地図での地形分析の結果、この玉城山頂の本丸の規模は200メートル以上という野戦陣地としては類を見ない巨大なものであり、この規模だと数万の兵を駐屯させることが可能であるという。そしてそれだけの規模の山城を整備したとなると、ここに入るべき人物は豊臣秀頼しかいないだろうと推測されるのである。
つまり西軍の戦力構想としては、豊臣秀頼にこの城に直属の軍と共に入ってもらい家康と決戦するというものであったと推測されるのである。この山上に豊臣の旗印である瓢箪が掲げられたら、東軍の主力は豊臣恩顧の大名が多かっただけに、恐らく戦う前に勝負が決したろうというところである。さらに西軍はこの玉城以外に松尾山城、菩提山城で包囲の体制を取っており、万全の布陣だった。
小早川秀秋は早々と寝返りを決めていた
しかしその構想は脆くも崩れ去る。今回松尾山城の調査の結果、小早川秀秋の寝返りについて実はかなり前から計画されていたということが城の縄張りから推測されるという。松尾山城は山頂部に高い切岸を築いた鉄壁の防御の城なのだが、調査の結果、その手前の尾根筋に多くの削平地があり、ここに陣地を築いて兵を置いていたことが分かったという。つまりはこれらの兵はすぐに西軍を攻撃できるように配置されていたと考えられるのだという。
小早川秀秋の裏切りの背景には北政所の存在があった。もし北政所の甥である秀秋が西軍に与して働くなら、後に北政所にも責めが及ぶという脅しもあったのではとのこと。また石田三成は秀頼の出陣を願ったが、淀君がそれに反対して実現しなかった。豊臣家は関ヶ原の合戦に対して静観を決め込んだのである(結果的にはこの選択は甘すぎるものになったのだが)。
松尾山城が東軍に寝返った秀秋のものになったことで西軍の戦略構想は崩れる。さらに劣勢と見て菩提山城まで東軍に寝返ったという。やむなく玉城に入っていた軍勢は松尾山城の手前に降りて来てそこで陣を構えて小早川軍の動きに対応することになったのであるが、結果は歴史の通りに小早川軍の寝返りで西軍は総崩れとなって勝敗が定まることになる。
以上、今回の肝は玉城の発見。西軍の大戦力構想が浮上しており、やはり石田三成は知将であって、もし彼の構想が実現していたら恐らく戦闘の結果は全く逆のものになったであろうということが判明したということである。今まで言われていたほどには家康の余裕の勝利ではなく、実は結構薄氷の勝利であったとも言える。
なお今回の番組の内容的には、先のスペシャル番組の完全な焼き直しに佐藤二朗のさして鋭くもないコメントを加えていただけでした。元の番組が良く出来ていただけに内容が薄くてスカスカということはなかったが、それでもかなり薄めている感は残る羽目に。
忙しい方のための今回の要点
・関ヶ原の後方に西軍が準備していた巨大城郭である玉城が発見されたことで、西軍の大戦略が浮上した。
・この規模の城郭に入る武将といえば豊臣秀頼しか考えられず、西軍は秀頼をこの城に迎える構想だったと推測される。
・もしそれが実現していたら、東軍の豊臣恩顧の大名は猛烈に動揺するので、戦う前に勝敗が決した可能性もある。
・西軍はこの玉城と松尾山城、菩提山城で東軍を包囲して殲滅できる布陣となっていた。しかし松尾山城に東軍に寝返った小早川秀秋が入ったことでその構想が崩壊する。
・小早川秀秋は最後まで寝返りを迷っていたと考えられていたが、松尾山城の調査によると、防御のための切岸の手前に多くの布陣が見られ、最初から西軍に攻めかかる用意をしていたことが読み取れるという。
・結局は豊臣家は合戦を静観する姿勢をとったことで秀頼の出陣はなくなり、また玉城の軍勢を小早川の寝返りに備えて前方に出したが、それでも小早川の側面からの攻撃で西軍は壊滅することとなった。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・放送素材の有効活用というのはNHKの得意技ではありますが、正直なところ今回は完全な手抜きだな。やっぱり今回の番組リニューアルは手抜きするためリニューアルしたようにしか思えん。
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