教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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4/15 BSプレミアム ダークサイドミステリー「人はなぜ鬼になるのか?~日本人の闇・1500年物語~」

鬼の原点

 古くから桃太郎の敵役、つい最近では「鬼滅の刃」など、日本人にとってはある意味で身近な存在である鬼。しかしそのイメージは時代と共に変化してきたものであって、一筋縄で語れるものではないらしい。

 元々鬼とされる存在は中国から来たと考えられるが、中国で描かれる鬼とは日本の鬼のイメージと似ても似つかないという。中国の物語に登場する鬼の多くは、この世に未練を残して死んだ女性が鬼となったもので、絶世の美女が若い男の精気を奪うというパターンが多いという。どちらか言えば日本の幽霊のイメージに近いものだという。

 

 

神と分離していなかった鬼

 そもそも古代においては鬼という概念はハッキリしていなかった。日本書紀に登場するものでは、白村江の戦いでの敗北をうけて朝鮮半島から侵攻に備えるべく九州に渡った斉明天皇が、そこで病に倒れて亡くなった時、笠を被った巨大な鬼がその葬列を眺めていたという記述があると言う。ここに登場する鬼はそもそも第三者的な観察者の立場であり、特に邪悪とかいうニュアンスは入っていないとのこと(どこかで火山の噴火でもあったのではと私は推測するが)。

 文献中でも「鬼」と書いて「もの」と読ませたり、「神」と読ませたりで、古代においては超常的な存在である鬼は神やモノと呼ばれるものと全く区別されておらず完全に一括りだったという。それが段々と人間に益をもたらすものが神、人間に害悪をなすものが鬼という分類になっていったという。

 奈良時代についに人を襲う鬼が登場する。島根県雲南市の阿用郷と呼ばれていた地域に一つ目の鬼が現れて畑仕事をしていた男を食ったという伝説が残っているとか。実は阿用郷という地名は、この時に男が叫んだという「あよ」という言葉から由来しているとか。一つ目というのはこの地域にはたたら製鉄が存在し、それに従事する者は火を見続けることで失明する者が多かったという。そういう鉄の民を現しているのが一つ目ではないかと推測されている。

 我々がイメージする鬼の姿は仏教の影響によると言う。四天王像などが踏んでいる邪鬼が鬼の原点だと考えられるという。そして鎌倉時代になると疫病が鬼として描かれているという(いわゆる溫鬼という奴ですな)。

 

 

平安時代に存在した鬼

 平安時代では夜間になると京の町を闊歩する百鬼夜行がいわゆる鬼のイメージであったという。ここに存在するのは「何やら得体が知れないが不気味なもの」という存在だったという。平安時代には鬼の目撃談が多数存在するが、当時の百鬼夜行の目撃地を調べると、平安京の中でも大内裏周辺に集中しており、実はここで目撃された百鬼夜行とは、平安貴族達が日頃見慣れていない庶民達の姿だったのではと推測している。つまり見慣れないものを目にしたので、それは怪しい魑魅魍魎の類いと感じたのではとのこと。

 また鬼は都の外にも存在した。一番有名なのは源頼光によって討伐された酒呑童子。実は酒呑童子のような鬼は、中央の権力からは独立したその地の独自勢力を意味しているのではと言う。やはりこれも中央から見ると、得体の知れない不気味な存在だという。

 

 

人の心に潜む鬼

 さらには人が鬼となる例もあった。平安時代の中期の蜻蛉日記には夫の浮気に嫉妬した女性が自身の怒りを鬼と記しているという。実際にその鬼に取り憑かれて自ら鬼に変じた女性の伝承も残っている。宇治の橋姫は夫の浮気に嫉妬した妻が、夫を取り殺すために丑の刻参りで鬼に変じたという伝説に基づいているという。それまで単なる願いを叶えるための儀式だった丑の刻参りが、人を呪い殺すための呪術になったのもこの頃からだという。

 また主君の娘の病の薬として赤ん坊の生き肝を持ってくることを命じられた女性が、妊婦を殺して生き肝を手に入れたら、妊婦が昔別れた自分の娘であったことが分かり、それ以来人食い鬼婆に変じてしまったという悲しい伝説も残っているという。時代の矛盾に追い詰められた立場の弱い女性が鬼になるという悲しいパターンも存在しているという。そう言えば般若とは嫉妬に取り憑かれた女性の姿だったはず。

 しかし戦国を経て江戸時代となると、中央からの統制が全国に及ぶようになり、酒呑童子のような独立勢力は存在しなくなる。すると鬼の姿も変わってきたという。木版による絵本などが登場するようになると、今日のような角があって虎の腰巻きを身につけた鬼という姿が広く登場するようになるという。これが今日の私たちの鬼のイメージに直結しているという。鬼がキャラクター化したのだという。また地方の信仰の中では、水路を作るなど地元に貢献してくれた鬼の伝説も残っているという。

 

 

 以上、鬼について。鬼と言えば私のイメージはやっぱり「鬼灯の冷徹」によるものがかなり大きいかな。あそこでは公務員として仕事に励んでいる鬼が描かれてました。

     
私の場合は鬼のイメージと言えばこれですかね

 権力によって虐げられる悲しい存在としての鬼があったとの分析もありましたが、中央からすると自分達の支配の及ばない者は、鬼として討伐の対象にしていたというのは事実でしょう。酒呑童子も大江山を根城としており、いわゆる山賊だったと考えると非常にシックリと説明が出来る。中央からは「鬼」とされるが、彼らには彼らの言い分や立場があり、一概にどちらが正しいという単純なものではないだろう。

 また鬼というものがそういう中央からの独立一勢力であったとすれば、その地の人々のために尽くしてくれた優しい鬼が存在するのも当然納得が出来るわけである。虐げられたその地の人々から見たら、一方的に討伐に乗り込んできて、その後には収奪をしていく中央権力こそが真に鬼だったかもしれない。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・鬼の存在は古来中国から伝わったが、幽霊に近いイメージの中国の鬼と日本の鬼は全く異なるという。
・また日本書紀に登場する鬼は特に邪悪な存在というわけでなく、古来は鬼も神も超常的なものとして一括りになっていたものが、段々と益をなすのが神で害をなすのが鬼と分離していったという。
・今の鬼のイメージは仏教の邪鬼の姿が原点となっていると推測されるという。鎌倉時代になると疫病が鬼として表現されている例が多い。
・一方、平安時代には百鬼夜行が多数目撃されているが、これは実は庶民の姿など貴族達にとっては日頃見慣れぬ異質な者を「鬼」と括った可能性が高いという。同様に酒呑童子などの存在は、中央の権力の外にいる異質な存在を表現していると考えられる。
・また社会の矛盾の中で虐げられた女性などが恨みから鬼に変じるという例なども見られるという。
・戦国を経て江戸時代になると、中央の統制が全国に及ぶようになり酒呑童子のような鬼は消滅する。その代わりに絵本などで鬼のイメージが流布するようになり、ここで鬼のキャラクター化がおこって、これが今日につながったと推測できる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・鬼の描き方も多々あり、人間とは相容れない敵対的なモンスターという場合もありますが、日本の場合はもっと人間味のある鬼が多いというのは、やはり「元々は中央から排斥された独立勢力」というニュアンスが強いと思いますね。
・歴史などは常に中央の視点から描かれていますが、実際はその中央によって滅ぼされた鬼たちからの歴史というのも存在しています。今でもその痕跡は東北などにありますね。蛮人として滅ぼされた蝦夷などから見た歴史なんかが一部残ってます。彼らの視点から見れば、大和政権こそ野蛮な侵略者そのものですからね。

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