教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

4/8 BSプレミアム ダークサイドミステリー「超能力の謎を解明せよ!~千里眼事件の光と闇~」

明治時代に沸き起こった千里眼ブーム

 日本で超能力研究がブームとなったことがある。それのきっかけは1909年(明治42年)に東京帝国大学に、熊本に御船千鶴子という透視能力を持つ女性がいるので調べてくれないかという依頼が舞い込んだことだった。依頼を受けたのは東京帝国大学助教授で心理学を研究していた福来友吉だった。彼は催眠を専門としており、御船千鶴子は催眠術によって透視が可能になったと言っており、それが福来の興味を惹いた。また時はまさにレントゲンの発見などで科学によって今まで見えなかったはずのものが見えるようになった時代ということも影響していたという。もしかしたら未だ解明されていない未知の能力が存在するかもと考えられたわけである。

 福来は熊本を訪れ実験が開始された。名刺50枚から福来が1枚を選び、それを錫製の茶壺に入れて蓋をしてから紙で密封、それを千鶴子に渡して透視してもらうという実験である。千鶴子は精神集中のために隣の部屋に移動。こちらからその様子は見えるが、千鶴子は集中するためにと背中を向けたのでその動きの詳細は見えなかった。そして6分後、千鶴子は名刺に書かれた名を的中させる。透視の力を目の当たりにして福来はその力に魅了される。そしてこの実験結果は新聞を飾ることになる。

 しかしその一方で福来は懸念も持っていった。やはり背中を向けての透視では千鶴子がこっそりと封を剥がして中を見ても分からない。そこで福来は精神統一のために別室で背を向けるのは認めるが、紙の密閉をより厳密にするためにつぶした鉛管に紙片を入れ、半田で封をすることにした。こうしてこの条件で実験が開始された。千鶴子は以前よりも時間をかけて透視したが、いずれも当たらなかった。条件が変わったので精神集中が上手く行かないのではと考えた福来は、半田での封印をやめて実験をした。すると千鶴子はすべて的中させた。これはいけると再び半田で密封すると透視はすべて失敗した。そして実験最終日、千鶴子が精神統一が出来ないと訴えたので実験は中止となった。福来以外の立会人は外出してしまう。しかし夕方になって千鶴子がやって来てすぐに実験をして欲しいとせがんできた。そこで実験を再開したところ、千鶴子は2回の透視を成功させる。これを福来は千鶴子の能力が成長したと考えたのだが、立ち会いは福来一人であり、トリックの余地はいくらでもある状況であった。番組でも言っているが、福来は明らかに確証バイアスに取り付かれていたのではと考えられる。

 

公開実験の結果、千里眼が認められたことに

 今度は東京で日本初の超能力の公開実験が行われることになる。東京帝国大学の物理学や医学などの学者9人に新聞記者が立ち会うことになった。特に物理学者の山川はX線の追試を日本で最初に行った大者であった。X線を鉛は通さないので、もし鉛を通して透視できたのなら、千鶴子は未知の放射線を出している可能性があると考えていた。

 山川が持ち込んだ鉛管を使って実験が開始された。千鶴子は普段以上の精神集中が必要と背後に屏風を立ててその向こうで透視を行った。そして6分後、千鶴子は「盗丸射」という文字を当てる。しかし実験成功と思った時に、山川が「自分が用意した中にはこの文字はなかったはずだが」と疑問を呈する。よく見ると透視した鉛管の形が他のものと微妙に違っていた。これについて福来には思い当たるところがあった。彼は前日に練習用の鉛管を千鶴子に渡していたのだった。千鶴子を問いただすと「お守りとして持参した」と言う。そして精神統一しても透視が出来ず、代わりにお守りの鉛管を透視したと答えた。

 これに対して山川は「婦人は感覚が鋭敏なので、透視するものの形が変わったなどで上手く行かないこともあり得る」と千鶴子をかばったという(なんでやねん!)。また他の専門家も全員が非難せずに再実験に期待を寄せたという(なんでやねん!)

 番組では科学者の性善説が反映しているのではとしているが、正直なところ、私には何らかの忖度としか思えない。新聞社辺りから「超能力の存在を証明して欲しい」と接待なりリベートなりが行われていたのではと考えるのであるが・・・。

 そして3日後に再実験がなされた。しかし今回は鉛管を使わず、千鶴子が馴染んだ茶壺が使われることになった。実験は成功し、新聞は透視が認められたと書き立てる。千鶴子は時の人となって透視の依頼が殺到、さらに各地に千里眼能力者が現れることとなった。

 

新たな能力者の登場で京大も研究に参加

 その2ヶ月後、時の人となった福来は今度は四国で新たな透視能力者の元にいた。丸亀の長尾郁子は手を触れずに箱の中を透視することが出来るというのである。これなら科学的に証明しやすいと考える。しかしこの実験に新たに参入してきたのが京都帝国大学だった。新興大学で大きな功績を上げたい京都帝国大学がアピールの場として総合プロジェクトを企画して、心理学科の三回生である三浦恒助を研究者として派遣することにしたのである。

 三浦の行った実験方法は東京帝大の福来とは異なるものだった。最初は漢字を分解したものや郁子には読めない文字を記した紙を用意し、これを透視させることにした。文字が書いてあるとだけ伝えられていた郁子は、透視を始めて3分後、「文字であるのかないのか分からないので中止してくれ」と訴える。この結果に郁子は形を見ていると考えた三浦は、次は文字ごとに色を変えた5文字を箱に入れる。すると郁子はこれをほぼ当てる。三浦はこれから透視能力の詳細を絞り込んで、条件を変えた実験を繰り返す。その中に写真写真乾板に鉛で文字のようなものを置いたものがあった。これは郁子から何らかの光線のようなものが出ているのなら、写真乾板が反応するのではと考えてのことだった。郁子は中身を当てて、乾板にも文字が浮かび上がっていた。何回やっても結果は繰り返し、三浦は新聞記者に自らの仮説を語る。そして新聞にはこれが科学上の新発見として京大光線と命名されて記事となる。

 この報道で日本中が湧いたのだが、京都帝大ではまだ検証の出来ていない三浦の先走りが問題となり、これは一学生が勝手に行ったことで京都帝大は与り知らぬと突き放される。また実験現場でも郁子側が「同じ実験を何度もして終わらない」と三浦に対して今後の実験への協力を断る。これで三浦の研究は頓挫する。

 

福来による念写の実験とその結末

 そして福来は新たな実験を開始した。今度は思った文字を乾板に焼き付ける念写に取り組むことになる。この実験も成功する。この結果を新聞は大々的に報道する。しかしこれに対して東京帝国大学の藤教篤から思わぬ内部告発がなされる

 藤によると、郁子の念写はいずれもボール紙か何かを小刀で切り抜いたものだと推測できるという。実際に郁子が念写した文字はいずれも型紙が切り出しやすいように隙間の入った型紙を作りやすい文字となっている。さらに念写の実験を行うために持っていった乾板は長尾家に行くと共にまず右の玄関脇の部屋に置かせられることになっていたという。つまりはその間に関係者が細工することが可能だったというのである。

 藤の指摘は不正の可能性を示したもので、決して不正の決定的な証拠を示したものではなかったが、これで風向きが変わる。福来に対しての批判が高まり、ついには協力者であった山川までが批判に回って福来は孤立する。その直後に千鶴子が自殺し、また長尾郁子もインフルエンザで死亡し、真相は闇の中となる。福来は千里眼に関する書物を大正になって記してから、宗教的な心理学の方向へ走り、結局はすべての真相は曖昧なままに終わってしまったという。

 

 うーん、何かいろいろと最初からダメダメですね。ハッキリ言って福来はこれで名を上げてやろうという功名心がかなりあり、最初から「千里眼は存在する」という方向で強烈な確証バイアスがかかっていたような気がします。恐らく途中からは「何となく怪しいな」ということは感じていたにもかかわらず、引くに引けなくなってしまって現実逃避に入っていたのではという気がします。

 三浦は明らかに「科学的に検証しよう」という姿勢で臨んでいたのですが、恐らく最後にはその姿勢が福来や郁子に煙たがられたのでしょう。また京大も胡散臭いと感じていたのか、京大の名前が出た途端に「あれは学生が勝手に先走ったこと」とあっさりと三浦を切り捨ていた辺りなど、いかにも日本的組織っぽい。最初から胡散臭いことは感じていた上で、売名行為的にいつでも切り捨てられる三浦を送り込んだというように感じられる。また三浦は既に透視実験などについて各地で関わっていたようだから、上層部は胡散臭いと感じつつも、三浦の情熱で実験参加となった可能性もある。

 正直なところ科学者の端くれを自認している私の目から見れば、最初から実験の条件がダメダメなのは明確である。ちなみにそこを厳密にしようとすると、必ず「精神統一の邪魔になる」と断るのは自称能力者の常であり、中には「自分のことを信じていない者が実験に参加すると、悪い電波がその人から出るので実験を妨げる」と批判者の参加を断る者までいるとのことで、そうなると何をかいわんである。

 まあ今の世でエセ科学というのは世にはびこっているので、社会はそう進歩していないということである。確かに今回のコロナ関係でも専門家と称する連中のエセ科学ぶりがひどかったりする。中に医師だとして専門家ぶって「PCR検査は意味がない」と政府に忖度した発言していた連中が、雲行きが変わった途端に急に「自分は専門家ではないので」と逃げを図るなどの露骨な例もあり、呆れているところでもある。そう言えばコロナにはイソジンが効くと売り込んだ怪しい研究者もいたな。

 

忙しい方のための今回の要点

・明治42年、東京帝国大学の心理学の専門家である福来友吉の元に熊本の御船千鶴子の千里眼能力の解明の依頼が舞い込んだことから、日本で超能力ブームが盛り上がることになる。
・熊本に乗り込んだ福来は、千鶴子の千里眼能力を確認する実験を行う。実験条件をより厳密にすればうまく行かないことが発生するなど、客観的に見るとやや疑問がある実験結果にもかかわらず、福来は最終的に透視能力が存在すると判断、これは新聞に掲載されて話題となる。
・10日後、東京で物理学や医学の専門家も立ち会った上で公開実験が行われる。ここでは千鶴子が渡された鉛管を透視できず、別の鉛管の中を透視するという問題が発生したのだが、なぜか専門家達はそれを好意的に解釈して否定はしなかった。そして3日後にさらに条件を緩めた実験で、透視は成功したと判断される。
・次に丸亀に触らずに透視が出来るという長尾郁子が登場、京都帝国大学はその調査に学生の三浦恒助を派遣する。
・三浦は各種条件を変えた実験を重ねる。その中で写真乾板を使った実験を行い、それが感光したことから郁子は未知の光線を発していると推測、それが京大光線と命名されて新聞紙面を賑わす。
・しかし京大では三浦が先走ったとの批判が高まり、また郁子からも三浦の細かい実験が敬遠されたところで三浦の研究は頓挫する。
・一方、福来は郁子を使って念写の実験を実施、それに成功する。
・しかし実験に参加した藤教篤から、実験条件に不正の余地があり結果が怪しいという内部告発がなされたことで風向きが変わる。
・結局は千鶴子が間もなく自殺し、郁子もインフルエンザで死亡したことで真相は闇の中のままとなる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

現状の超能力については、存在しないと言うことを科学的に証明するのは悪魔の証明になってしまうので不可能であるが、存在するという科学的証明は何一つ存在しないという状況です。
・もっともこれをもって「存在が科学で否定されていない」と主張するのが詐欺師の常套手段なので要注意。存在の確実な否定が出来ないだけで、存在しないことはほぼ間違いないというのが実態ですから、実際にこれまで登場した自称超能力者はことごとく手品師か詐欺師でした。
・実際に上手な手品師のする技は、タネがあるにも関わらすそれが分からないんですよね。それを持って超能力として人を騙すのはよくあるパターン。昭和になって超能力ブームを起こしたユリゲラーは専門家に言わせると「そう上手というわけでもない手品師」だそうです。実際に彼が行ったことはすべて手品で再現できるとのこと。もっとも彼がそれを本当に超能力で行っていないと証明するのは悪魔の証明になってしまうので不可能です。しかし「限りなく単なる手品である可能性が高い」ということは言えます。
・それに当時の「こんなモノいらない」という番組では、もし超能力が存在したとしても、単にスプーンを曲げる力なんて何の役に立つんだとバッサリ切り捨ててましたね。まさにごもっともです。
・この時代はまだテレビもこういう健全な批判精神を持っていたのですが・・・。

次回のダークサイドミステリー

tv.ksagi.work

前回のダークサイドミステリー

tv.ksagi.work