400年前に都市計画で作られた町
今回はオランダの首都アムステルダムの環状運河地区。中心部から孤を描くように何重もの運河が張り巡らされており、総延長は100キロ以上。運河沿いに高層建築が並ぶ街並みは、400年前に都市計画で建設された。今回の世界遺産はシンゲル運河の内側の3本の運河の周辺地域になる。
オランダは大部分が湿地に人工的に作られた国である。アムステルダムの同心円状の都市は17世紀に古い港町を中心に、周囲に3本の運河を走らせて新しい市街地を作り、さらにその外側に運河を作ってさらに市街地を拡張した。運河を掘った土を盛ってその上に家を建てたのだという。運河に架かる橋は1000以上あるという。運河はアムステル川に注ぎ、河口には高潮を防ぐためにダムが築かれており、それがアムステルダムという町の名の由来だという。
湿地に人工的に作られた町の驚きの防御機構
アムステルダムは元々は湿地だった。干拓したが元々は海抜0メートル地帯で高いビルなどは建てられない地盤だったが、地中に大量の木の杭を下の岩盤まで打ち込んで、その上に土台を作ったのである。
運河は排水路でもあり、一番外側のシンゲル運河はかつては風車で外に水を吐き出していた。このような風景は以前に放送したキンデルダイクに今も残っている。アムステルダムは運河と風車の働きでほとんど洪水にあったことがないという。
北に15キロ行った農地の中にその治水技術を応用した要塞がある。世界遺産のアムステルダムの防衛線は首都防衛の施設だが、運河に隣接した要塞が水門を開いて洪水を起こすことによって防禦するシステムになっている。町を取り囲むように45カ所ある施設で、町の周りを40センチほどの水浸しにして敵の侵入を防ぐようになっていたという。しかし航空兵器が登場すると役目を終える。結局はほとんど使用されなかったという。
交易で栄えたアムステルダム
この水上都市は貿易の拠点だった。港に入った大型船から運ばれたスパイスや銀、お茶などが莫大な富を産んだ。日本の伊万里焼きも扱われたという。この貿易を手がけたのが世界初の株式会社と言われる東インド会社である。売買は広場でなされ、商品は幅6メートルほどの船で運河で運ばれた。運河の幅は25メートルあるが、これは幅6メートルの船が両岸に接岸しても、中央で船がすれ違えるようにしている。
運河に面した窓から建物内に荷物を運び込むようになっており、建物には滑車を取り付けるためのフックがある。これを利用して荷物を運び上げるのである。このシステムは今でも使用されているという。
アムステルダムの建物は間口の幅で税金がかけられたので、間口は8.5メートルで奥行きは50メートルとウナギの寝床になっている。敷地の半分を庭にするように法律で決められていたために、共用の中庭が設置され、緑溢れる街並みは後の都市計画のモデルともされた。この美しい街並みが世界遺産に認定された。
忙しい方のための今回の要点
・オランダのアムステルダムは、湿地に杭を打って400年前に人工的な都市計画で作られた。
・港町を中心として、その周辺に同心円状に運河を巡らせて市街地を広げている。運河の水は風車で外に捨てられた。
・アムステルダムの周囲には水門を備えた要塞が45カ所あり、いざという時には町の周囲に40センチほどの洪水を起こして町を防禦するメカニズムが備えられていた。
・アムステルダムは交易都市で、東インド会社が香料や銀などの交易で富を蓄積した。また運河周辺の建物の上階は倉庫であり、滑車で荷物を搬入できるようになっている。
・間口の広さで税金がかかったため、街並みは間口8.5メートルで奥行き50メートルと言ったウナギの寝床の建物が並ぶ。また敷地の半分を庭にするように法律で定められているので、共有の中庭が設置されて緑が多い都市でもある。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・非常に整然とした美しい都市です。実に人工的な都市であるのですが、その一方でそういう都市に付きものの無機質感を感じさせないのは400年の歴史の効果でしょうか? まあ建物のサイズは揃っていても、個々の建物は結構意匠を凝らしていたりするという効果もあるでしょうが。
・それにしてもよくこの都市がそのまま残ったものです。日本の大阪も運河の町でしたが、それらは今日ではほとんどが埋め立てられてますからね。
次回の世界遺産
前回の世界遺産