教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

5/19 BSプレミアム 英雄たちの選択 「武田信玄 幻の西上作戦 ~対信長最終決戦~」

家康・信長と決戦するべく西上する信玄

 今まで信長の側から「最大の危機」と語られることが多かった信玄の西上作戦であるが、これを信玄の側から見てどういう意味を持っていたかということを考える。

 川中島での謙信との死闘で名を上げた武田信玄であるが、現実には最大のライバルは家康と信長であったという。今川義元が桶狭間で信長に討たれると信玄は家康は密約を結んで今川領に侵攻する。家康は遠江を信玄は駿河を版図に収めたのだが、信玄が密約を破って大井川を越えて遠江に進行したことから両者の対立が深まったという。

 信玄は信長と同盟関係にあり、家康も信長と同盟関係にあった。信玄は家康と対立、さらに越後には仇敵・上杉謙信がおり、東では北条とも対立関係にあり、信玄は四方を敵に囲まれた状態であった。信玄は起死回生の策として上杉謙信との同盟を図る。しかし家康も謙信との同盟を進めており、さらには信玄と信長との同盟をも破綻させようと画策していた。これに対して信玄は信長に対して家康との同盟を解消するように迫ったという。

 さらに北条との同盟を結んだ信玄にとって敵は家康のみとなる。こうして信玄の西上の準備は整う。信玄が傘下の武将に宛てた書状には三年に渡る鬱憤を晴らさねばとあるという。実はこの時、信玄は家康のみでなく、その裏にいる信長をも討つことを考えていたという。信長はこの時、反信長包囲網に囲まれて窮地にあった。1572年10月、信玄は家康、さらに信長を打倒すべく2万5千の遠征の兵を挙げる。

 

東海道を進軍、万全の体制で浜松城に臨む

 武田軍の進軍ルートについて、従来は甲府から北上して険しい峠道を通って遠江を目指したとされていたが、近年の研究では甲府から南下して東海道を進んだとされているという。実際に信玄が高天神城を下して浜松城に向かうとした書状が見つかっているという。

 信玄は領内に軍事用道路を整備しており、甲斐領内では非常に高速に移動出来たという。なお従来の進軍ルートとされているのは別働隊の移動ルートであり、信玄は様々な攪乱工作を行っているという。家康側からすれば、武田軍が突然に現れて高天神城を落としたという感覚だろうという。

 信玄はそのまま浜松城に向かわず北上して二俣城を攻撃している。要害堅固な二俣城だが、城内に井戸がなく川から井戸櫓で水を取っていたところをつかれ、大量の船で井戸櫓が破壊されたことによって落城する。ここを落とすと信玄は浜松城攻略に向けて城や道路の整備を行っている。この時になって信長は信玄の意図に築いて謙信に怒りの書状を送っているという(背後を突いてくれという意味もあるのだろう)。

 

浜松城を素通りして追撃する徳川軍を三方原で叩きつぶすが

 こうして万全の体制を整えた武田軍は浜松城を包囲する・・・と思われたのだが、実際には決戦は三方原で行われる。武田軍は浜松城を素通り、これを徳川軍が追撃する。しかし武田軍は徳川軍を待ち受けていた。信玄の策略の前に徳川軍は完膚なきまでに叩きつぶされる。浜松城に逃げ込んだ家康を尻目に信玄はそのまま西に向かう。しかし浜松を過ぎた刑部で行軍を急停止する。この時、朝倉義景が兵を引き上げたことが伝わってきたのだという。信長を包囲するつもりだった信玄の作戦が崩れたことになる。しかし信玄は将軍義昭に働きかけて味方につけるという工作を行っていた。

 ここで信玄の策略だが、まず徳川領に留まって家康を討つか、このまま西上するかである。これに対しては番組ゲストの意見は割れたが、実際の信玄は西上を選ぶ。これに刺激されて各地の反信長勢力や将軍義昭が決起する。しかしその途上で信玄が急死、信長との決戦は幻に終わる。反信長勢力は瓦解し、義昭は京を追放されて室町幕府は滅亡する。

 

 最後には「もし信玄がここで病に倒れなければ」というのを検討しているが、信玄が勝利しただろうという意見と、そう簡単にはいかなかったという意見に割れていた。私の考えは、やはり信玄は信長に勝利しただろうというもの。ただし信長を滅亡するところまで追い込めたかは疑問である。恐らく信長は逃げ回ると思うので、それを追跡して殲滅するところまでは出来ないだろう。そして信玄が室町幕府で要職に就くことになっても、信玄と信長の年齢を考えるといずれ信玄は亡くなる。すると信長がしぶとく出てくる可能性が大と思われる。もっともこの時の信長はかなり弱体化していると思われるので、結果としては絶対権力を確立出来ず、戦国時代がさらに長引くという結果になったと思われる。

 

忙しい方のための今回の要点

・上杉、北条、徳川などに包囲される形の信玄であったが、今川領の支配を巡って家康と対立するようになったことから、西上を考えて上杉、北条と講和する。
・一方の信長はこの頃、反信長包囲網で窮地に陥っていた。信玄は2万5千の兵を挙げると東海道を経由して高天神城を落とす。
・そのまま浜松城に向かわず、北の二俣城を落とし、そこで城や道路を整備して万全の体制で浜松攻略に向かう。
・しかし武田軍は浜松城を包囲せず、追撃に出て来た徳川軍を三方原で完膚なきまでに打ち破る。
・その後、信玄は浜松を過ぎた刑部で軍を止める。この時に朝倉軍が撤退したという情報が入ってきており、信玄はこのまま西上するか、家康を討つかを迷ったと思われる。
・しかし信玄は西上を続けることにする。これに反信長勢力や義昭が呼応して立ち上がる。しかし信玄が突然に病死したことで西上は頓挫。反信長勢力も各個撃破されてしまう。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・信長危機一髪の話ですが、やはり信長は運があったと言うことでしょうか。そしてここで生き延びることが出来た家康も運があったということです。やはり天下を取るとなると実力だけでなく、運というのも非常に大きな要素のようです。
・番組中でゲストが何回か言ってましたが、信長軍は後に長篠で武田軍を完膚なきまでに激しているので、強いというイメージが持たれてますが、実際は尾張の兵って弱いんですよね。だからまともに戦ったら勝ち目がないので、信長は鉄砲を装備したり奇襲をしたりとか必死の工夫をしている。現に手取川で上杉軍とまともにぶつかった時には、完膚なきまでの惨敗をしている。だから武田軍と信長軍がぶつかると、単に信長軍の方が多いから勝つなんて単純なものではない。

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