教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

5/19 NHK 歴史探偵「長篠の戦い」

長篠の合戦を検証する

 先に「英雄たちの選択」が幻の武田信玄西上作戦を扱っていたが、この番組はその息子の勝頼が織田・徳川連合軍に完膚なきまでに敗北した長篠の合戦である。

 一般的に長篠の戦いと言えば無謀にも突撃を繰り返す武田騎馬隊を、織田・徳川連合軍の三千挺の鉄砲が三段撃ちによる間断ない射撃が壊滅させたと考えられている。しかし現実はこの三段撃ちは実戦では不可能であろうというのが最近の通説となっている。

 

三段撃ちは不可能だった

 では実際にこれをやってみたらどうなるかというのを番組では実験している。番組では火縄銃の射撃を行っている日本前装銃射撃連盟の方々に協力してもらって、まずは火縄銃の性能から調べてみる。まずは射撃の精度を見ると、50メートル先の的はみなさん見事に命中させているが、100メートル先となるほとんど当たらず。火縄銃の弾は球形なので風などの影響を受けやすく(ライフルなどでは弾を回転させることで直進性を増している)、100メートルなどになるとどこに飛ぶか分からないとのことで、必中距離は50メートルと判断する。

 織田軍鉄砲隊の射撃は50メートルから始まるとして、ではこの50メートルの間を武田の騎馬軍団がどれだけの時間で駆け抜けるかは、甲州和式馬術探求会の協力で日本の在来馬を使って実験。その結果、騎馬武者は50メートルを4秒で駆け抜けるという結果。火縄銃の弾込めは30秒かかるので、初弾を外すと接近してきた騎馬武者にやられてしまうことになる。

 そもそも三段撃ちが言われたのは、江戸時代の初めに書かれた甫庵信長記に「三千丁を千丁ずつ立ち代わり立ち代わり撃たせる」とあることからである。しかし長篠・設楽原鉄砲隊の面々12人で実際に三段撃ちを実験してみると、全員が斉射する際にどうしても一番遅い者に引きずられることになるので、射撃の間隔が20秒程度も開いてしまう。実際にかなり散漫にパンパンという雰囲気で、これでは騎馬隊が余裕で突進してきてしまう。

 このことから実際に行われた射撃法として推測するのは、空いたところに次々に入っていって撃つという「先着順自由連射」だという。ちょうど男子トイレの空き便器に次々と入っていくイメージである(番組では佐藤二朗がコンビニのレジに喩えたが)。これだと射撃はバラバラであるが、平均3秒の間隔で弾が飛んでくることになり、横一線になると間断なく射撃が行われることになる。またこの状態でも「立ち代わり立ち代わり撃たせる」という記述には合致する・・・のだが、三千丁を千丁ずつってのとは少し違うような。

 

武田軍も実は鉄砲を装備していた

 一方の武田の騎馬隊であるが、これは従来は「アホの勝頼のせいで、鉄砲隊の真っ正面に騎馬隊が無策に突っ込んでいった」と思われているが、実際はそうではないというものである。まず鉄砲隊は織田の専売特許でなく、武田も鉄砲隊を有していたことが当時の文献から判明している。部隊の編成の10%ぐらいが鉄砲隊であったとのことなので、武田軍が1万5千であることから、1000人規模の鉄砲隊は有していたというのである。さらにこれに弓隊を加えた前衛部隊を有していたという。だからまずは両軍の鉄砲戦から始まったはずであるという。

 ただし武田軍の鉄砲隊には弱点もあった。戦場で見つかった鉄砲玉を調べると、武田軍のものは永楽通宝をつぶして弾丸にしたと思われるものが見つかっている。鉄砲玉は鉛を用いるのが一番有効なのであるが、当時の日本では十分な鉛の産出がなく、信長は南蛮から輸入していたと言われているが、武田軍ではそれが困難であったために窮余の策として銅銭を鋳つぶして弾にしていたと考えられるのだという。

 では実際に両軍がどのように激突したのかをシミュレーションしている。鉄砲は織田軍3000丁に対して、武田軍1000丁、しかし弾丸は織田軍が1人あたり300ほどで合計90万発に対して、武田軍は1人100だが、長篠城の攻撃で半分消費していてて残りは50で、合計5万発程度と推測。さらに攻撃は武田軍は街道を通って攻撃したと推測される。これらをデータとして入力してシミュレーションを実施したところ、序盤は武田軍が圧倒されて戦死者が急増するが、一点集中攻撃の連続でついに正面の敵を壊滅させて槍隊と騎馬隊が突入するという結果になった。こうなると武田軍が背後で暴れ回って勝利することも可能という結論に・・・。

 

武田軍の進撃を阻んだ鉄壁の防禦

 現実はこうならなかったのにはもう一つ仕掛けがあるという。当時の織田軍の陣地は単に馬防柵を立てたというレベルでなく、野戦築城に近いものだったと言うのである。実際に柵は三重に立っていたという記述やさかもぎを立てていたという記述もある。

 番組では三重の馬防柵を突破するというのに足軽部隊が挑戦という実験をしているが、全く守備がない柵を引き倒しただけなのに、1分以上かかった上にたどり着いた足軽部隊は瀕死である。まあこの実験自体は全くといって良いほど無意味であるが、圧倒的優位な鉄砲隊の前で三重の柵を破るなどはほぼ不可能と言って良いことは想像がつく。番組ではこの後に、当時の合戦を再現するというアニメーションが入っているが、まあこれも無意味ではあるが面白くはある

 

 以上、長篠の合戦について。結局のところの結論は、織田・徳川連合軍は完全の必勝の構えで迎え撃っており、武田軍には勝ち目はなかったという話。勝頼が世間で言われているほど無能だと私は思っていないが、ここはやはり正面から織田陣に突っ込むのではなくて、向こうがそこから出てこざるを得なくなるような策を弄するべきだったとは思う(多分信玄だったら、織田の陣をみた途端にその戦術に直ちに切り替えたと思う)。

 番組の作りとしては無意味な部分もかなりあったが、見せ方を工夫しているのは感じられた。また「完全に不要な存在」と化している佐藤二朗をどういう風に活かそうかと苦労している風も覗えた。結果としては今までの中では比較的見られる内容となっていたが、「やっぱり佐藤二朗が不要」という私の根本的な考えは変わらない。

 

忙しい方のための今回の要点

・長篠の合戦では武田の騎馬隊が織田の鉄砲隊に一方的に蹂躙されたと考えられているが、若干状況が異なることが分かってきた。
・まず武田軍も1000丁程度の鉄砲は所持していたと考えられ、序盤は銃撃戦で開始されたと推測される。
・ただし武田軍は弾の原料である鉛の入手に苦労しており、用意出来た弾丸数にはかなりの差があるので、銃撃戦では武田軍の方が先に弾切れとなる。
・戦いは街道を中心になされたと推測され、シミュレーションでは武田軍が多大な犠牲を出した後に防御戦を突破する可能性が示唆された。
・しかし現実には織田軍の陣地は野戦築城に近い堅固なものであり、馬防柵も三段に立てられていたという。そのためにたとえ最初の柵を武田軍が突破しても、最終的には囲まれて討たれてしまったと推測される。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・織田軍が三段撃ちが出来なかったというのは同意ですが、「先着順自由連射」だったかというのには疑問もありますね。確かに全体としては常に弾が飛んでいるという状況になりますが、その分弾幕が薄いということにもなりますので、敵を殲滅するという雰囲気ではないので。実際は街道部分に対してもっと鉄砲隊を密集させただろうと思われます。また撃ち手と込め手を分けたという可能性もあるのではないかと思います。

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