教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

6/3 BSプレミアム ダークサイドミステリー「空のタイタニック・ヒンデンブルク爆発の謎」

20世紀の三大事故の一つ

 番組では20世紀の三大事故として、タイタニックの沈没、チャレンジャー号の爆発、そしてヒンデンブルク爆発を上げている。単に大勢の死者が出た事故という点ではもっと多数の犠牲者が出た航空事故が多くあるが、これらの事故は当時の最先端技術を投入したものが惨劇を起こしたという点での社会的インパクトのが大きかった事故である。

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爆発炎上をするヒンデンブルク号

 人類は太古より空への夢を抱いてきたが、最初にそれをかなえたのは1783年の熱気球であった。そこからさらに長く空に浮くということで空気より軽い水素を詰めた袋で飛行するというアイディアが生まれ、それが飛行船となった。そして1852年、蒸気機関を搭載した飛行船が初めて飛行に成功する。こうして19世紀後半に飛行船開発が本格化する。

 

ツェッペリンによって軍用に実用化された大型飛行船

 そこに登場したのがドイツの軍人であるフェルディナンド・フォン・ツェッペリン伯爵である。彼は南北戦争に従軍した時に偵察用の気球に乗った経験があり、この時に飛行船の軍事利用を思いついたという。ツェッペリンは飛行船によって敵都市を上空から攻撃することを考えていた。

 しかし当時の風船のような軟式飛行船では浮力を高めようとすると空気抵抗が高まることになる。また一発でも穴が開いたら直ちに墜落である。ツェッペリンはこれを解決するために、細長い骨組みの中に複数のガス袋を入れた硬式飛行船のアイディアを思いつく。しかし彼のアイディアは軍によって「飛ぶわけがない」と却下されてしまう。52歳で軍を退役したツェッペリンは、私財を投じて飛行船会社を設立、硬式飛行船の開発に取り組む。

 そのツェッペリンを後押しするように、この頃アルミニウム合金が発明される。重量は鉄の1/3。ツェッペリンはこの高価な素材を直ちに飛行船の骨組みに使用、さらに自動車用のエンジンが開発されるとこれを飛行船に搭載した。そして第一次大戦が勃発、ツェッペリンは開発した飛行船を使用してのイギリスへの爆撃を軍に上申する。そして1915年1月19日、ついにそれが実行される。イギリスに現れた2隻の飛行船が25発の爆弾を投下、死傷者20人、被害総額は現在の価値で4億円に及んだ。初の都市への無差別爆撃に世界中が衝撃を受ける。しかしこの攻撃は赤ん坊や年寄りも被害者となり、イギリスは猛烈に批判、飛行船は"Baby-killer"と罵られることになる。ツェッペリンの飛行船はその後ロンドンを20回攻撃するなど大活躍するが、同じ頃に飛行機が登場、機動力で圧倒的に勝る飛行機による攻撃によって飛行船は撃墜されることになる。こうして爆撃機としての飛行船の使命が終わる頃にツェッペリンは78歳でこの世を去る。

 

エッケナーが観光用客船として飛行船の開発を継続するが

 第一次世界大戦後もツェッペリン飛行船会社は残されており、事業はフーゴー・エッケナーが引き継いでいた。エッケナーは「世界を空でつなぎたい」という夢を抱いていた。飛行船は観光や旅客船事業に向いていると考えていた。しかしドイツの飛行船は連合国に引き渡されて破壊され、会社はアルミのコップや鍋を作っていた。そんなある日、アメリカから飛行船の発注を受ける。Baby-killerと言われた飛行船をアメリカに送れば反発を受けるのではと懸念しながらも、エッケナーは1924年にロサンゼルス号を完成、エッケナーが自ら操縦してアメリカに届ける。すると何と大歓声で迎えられることになる。当時船で4日以上かかる大西洋横断を3日間で渡る飛行船は再び夢の乗り物として返り咲いたのである。ドイツ国民も歓喜し、寄付を元にグラーフツェッペリン号を完成する。その大きさはロサンゼルス号の1.5倍あり、20人の乗客が乗れた。この飛行船は世界一周を成し遂げ、さらには極寒の北極を探検するなど飛行船の安全性と実用性を証明したのである。これを受けてエッケナーはさらに巨大な飛行船の計画を立てる。

 しかしそこで世界恐慌が襲来、飛行船建造計画は資金面で頓挫する。その時、ナチスのゲッペルスが資金提供を申し出てくる。ナチスは飛行船を使っての宣伝を考えていたのだ。エッケナーはやむなくこの申し出を受ける。そして全長245メートルの世界最大のヒンデンブルク号が完成する。乗客50人を乗せられ、大西洋を2日半で横断出来る性能があった。ゲッペルスはヒンデンブルク号とグラーフツェッペリン号を並べて飛行させ、ナチスへの投票を呼びかけるビラを撒くことを命じる。ナチスは飛行船人気を利用してのプロパガンダを狙っていた。飛行船はヒトラーの権威を盛り立てるためのベルリンオリンピックでも使用される。また大西洋航路が就航するが、これも外国に対してのナチスのアピールの意図があった。エッケナーはこれを苦々しく思っており、ナチスを批判した発言がナチ党員に聞かれたことで社会的に抹殺され、ヒンデンブルク号は完全にナチスの手に落ちることになる。

 

ナチスの威信を示すための飛行での大事故

 1937年5月3日、ヒンデンブルク号の今シーズン初の大西洋横断飛行が行われることになる。しかしこの飛行には爆破予告の脅迫状が届いており、荷物検査が徹底的に行われることとなった。アメリカで反ナチスの運動が起こっており、ヒンデンブルクは格好の標的だった。こうしてヒンデンブルクは旅に出る。アメリカまで2日半の旅、アメリカでも支持者を増やしているナチスにとってのアピール飛行であり、そこには完璧が求められた。船長はベテランのマックス・ブルク、操縦室にはエッケナーの後に社長となった親ナチスのエルンスト・レーマンの姿があった。彼はナチスの権威のために時間通りの到着のために監視をしていたのだという。

 しかし悪天候のために飛行は遅れることになる。レーマンは焦っていたという。ヒンデンブルクはアメリカがヘリウムガスをドイツに禁輸していたことから水素ガスが使用されていた。だから火気にはかなり警戒していた。ヒンデンブルクは様々な危険を抱えていた。

 予定より13時間遅れで空港に到着したヒンデンブルクだが、着陸直後の午後7時25分、いきなり火の手が上がるとわずか34秒で全焼、ヒンデンブルクは骨組みだけとなり、乗客・乗員35人と地上作業員1人が犠牲となる。ブルス船長は大やけどを負い重傷、社長のレーマンは死亡する。

 

事故の原因は?

 爆発の原因については様々な説が出る。ヒンデンブルクの到着前に空港周辺は雷雨が発生しており、雷が原因ではと推測されたが、これについてはエッケナーが「ヒンデンブルクの雷対策は最先端の装備がされていた」と否定する。エッケナーはアメリカに渡って事故調査委員会に参加、FBIも調査を開始する。最初は立ち入り禁止を行き来していたジョセフ・スパーに容疑がかかるが、彼は貨物室に預けた犬に餌をやりに行っていただけであり、乗務員室もすぐ近くのために危険な行動はすぐに乗務員に把握されることから、彼は無実であることが判明した。

 様々な証言が集められた中で、地上作業員から発火の2秒ぐらい前に左舷側の外皮がはためいたとの証言が出る。これは水素ガスが漏れていたことを意味し、場所はまさに最初に炎が発生した場所だった。なぜそこから水素が漏れたかだが、着陸直前に風向きの変化があり、船首を風上に向ける必要があるが、その時に時間短縮のために通常の空港を一周する方法でなく、その場で急旋回をしたのだという。この時に「飛行船の後方が重たかった」という証言が船長からあり、既に水素ガスが後方から漏れつつあったことが分かった。エッケナーは急旋回の時に構造に負荷がかかり、構造を支える多数のワイヤーの一つが切断、これが水素袋を裂いてしまったと推測した。なお引火の原因は飛行中に金属の骨組みと布製の外皮に溜まった大量の静電気が、アンカーロープを下ろした時に金属の骨組みの静電気だけが放電され、布製の外皮との電圧差で外皮から金属に放電したと推測された。エッケナーは非常に不運な偶然が重なったと推測した。

 

 以上、ヒンデンブルクの事故について。何やら綺麗に説明が付いているのだが、未だに謎とされていると言うことは、この説明で納得出来ない点があるんだろう。まあ反ナチスの工作員による爆破工作説というのは根強いものがあり、甚だしきはエッケナーに自身による破壊工作という説もあるようである。

 とにかくこれで飛行船の安全性には決定的な疑問符が突きつけられた上に、その後の飛行機の急激な発展により、機動力に劣る飛行船はほぼ駆逐されることとなってしまった。しかし最近になって、飛行に燃料を要せずにガスが漏れない限りは半永久的に浮遊し続けるという特性から、無線基地局や観測ステーションとしての小型飛行船の開発が行われているとか。

 

忙しい方のための今回の要点

・大型飛行船の実用化はドイツ軍人のフェルディナンド・フォン・ツェッペリン伯爵によってなされた。彼は鋼材を骨組みとした巨大硬式飛行船の開発を目指し、当時開発されたアルミニウム合金やガソリンエンジンを使用することで、軍事用の飛行船を開発した。
・ツェッペリンの飛行船は第一次大戦に投入され、イギリスを空爆する。初の都市無差別爆撃は批判を呼び、Baby-killerと罵られることになる。また飛行船も同時期に登場した飛行機によって撃墜されることになる。
・ツェッペリンの死後、彼の飛行船会社を引き継いだエッケナーは、飛行船による観光事業を考える。そしてアメリカからの受注によってロサンゼルス号を完成、熱烈な歓迎を受ける。
・ドイツでも飛行船に対する気運が高まり、寄付などによって世界最大のグラーフツェッペリン号が完成する。そして更なる大型飛行船の建造が計画される。
・しかし大恐慌の発生で資金面で計画は行き詰まる。エッケナーはやむなくナチスの支援を受けることによって、ヒンデンブルク号を完成する。
・ナチスは飛行船をプロパガンダに使用する。それに抵抗するエッケナーは社会的に抹殺されててしまう。
・ヒンデンブルクはナチスの権威を示すためにアメリカへの航行に出る。しかしアメリカに到着して着陸の寸前に火災炎上し、乗客・乗員35人と地上作業員1人が犠牲となる。
・後にエッケナーも加わっての事故原因調査の結果、着陸寸前での風向きの変化による急激な旋回の際に機体に負荷がかかってワイヤーが切断、そのワイヤーが水素袋を破って水素が漏洩、そこに内部の金属骨格と外皮との電位差による放電の火花が引火したと結論づけられた。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・飛行船も当時の最先端の科学ですので、どうしても軍事の影がちらつくことになってしまいます。飛行機の進化もまさにそうでした。人間は愚かなことに、常に最先端の技術を人殺しに投入してしまうのです。21世紀にはその人間の愚かさが克服されることを祈りますが、今の世界を見ていると残念ながら正反対の方向に向かっているようです。

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