教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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6/23 BSプレミアム 英雄たちの選択 「徳川慶喜・パリ万博大作戦~600万ドルを確保せよ~」

パリ万博の裏にあった極秘ミッション

 今回は幕府が使節を送り込んだパリ万博について。実はその裏に潜んでいた重要ミッションを中心に語る。ちなみにパリ万博については先日「歴史探偵」が渋沢栄一の観点から扱っており、ドラマセッションは完全に流用している。いわゆるNHKによくある放送素材の有効活用。

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 慶喜はパリ万博には自分の名代として弟の昭武を送り込み、彼を中心にした外交団を結成している。実は彼らは単に万博に参加すると言うことだけでなく、重要ミッションを抱えていた。それはフランスからの600万ドルの借款を成立させること。この頃の幕府は長州征伐に失敗、薩長と武力衝突するには軍事力の強化が必要であることを痛感していた。そこでフランスから600万ドルの借款を行い、これで軍鑑などの兵器を購入することを計画していた。この計画を主導したのは小栗上野介。またフランスに生糸の独占購入権を与えることになっていた。蚕の伝染病で生糸生産の8割が壊滅していたフランスにとっては、日本の生糸の確保は絹織物産業の維持のために重要であった。一方の小栗は軍事力を強化して薩長を討つ計画を進めていた。小栗は駐日フランス大使のロッシュとの間で話を進めていた。昭武らに与えられた役割は、まず徳川幕府が日本を支配する政権であることを諸外国に認めさせること。さらに600万ドルの借款を確定させることであった。

 

しかし薩摩の陰謀で暗礁に乗り上げる

 しかしパリに渡った昭武ら一行は予想もしなかった事態に直面する。日本に用意されていたスペースの1/3が既に薩摩に占拠され、しかも薩摩は薩摩琉球国と名乗って独立国の態で展示を行っていたのである。

 これに幕府側は猛烈に抗議、話し合いがもたれることになる。そこで薩摩は独立国としての出品はとりやめることになる。しかし薩摩藩は自らをgouvernement du Taischiou de Satsoumaと名乗ることを主張する。gouvernementは当時は「藩」と訳されていたことから幕府はそれで了承するのだが、実はこれこそが薩摩の巧妙な罠だった。gouvernementとはつまりは英語のgovernmentのことであり「政府」の意味があることから、日本には二つの政府があると捉えられてしまい、現地の新聞に幕府は薩摩と同等の存在として取り上げられてしまうことになる。

 薩摩は既にイギリスと接触しており、しかもイギリスには幕府使節団に通訳として同行していたアレキサンダー・シーベルト(あの有名なシーボルトの息子)から600万ドルの借款の情報などが伝わっており、イギリスがそれを阻止するべく動いていたのである。つまりは幕府使節団にはスパイまで潜んでいたわけである。

 これは幕府使節団にとっては致命的な問題だった。幕府が日本を代表する唯一の政権と認められなければ600万ドルの出資は覚束ない。その上にさらに大問題が発生する。日本がフランスと結ぼうとしていた生糸の独占契約が新聞にすっぱ抜かれ、イギリスで非難が沸き起こったのである。当時のイギリスとフランスは自由な貿易のための条約を締結しており、それに違反するというわけである。時のフランスの外相は対外融和姿勢を打ち出すムスティエであり、彼は駐日大使のロッシュに対して生糸の独占がイギリスの批判を呼んでいるとしてストップをかける。

 

最後の起死回生の策

 こうして完全に頓挫することになりそうになった600万ドル借款計画だったが、本国での交渉が難航しているのを見たロッシュは起死回生の策を用意しており、それが慶喜に提案される。それは蝦夷地の鉱山開発権をフランスに与えるというものであった。ここで慶喜に決断が迫られる。開発権を与えるか否かである。このままでは交渉は頓挫の可能性が高いが、かといって鉱山の開発権を与えることはそれがきっかけとなって日本がフランスに支配される可能性もないとは言えない。結局は番組ゲストの意見も分かれるが、鉱山開発権を与えるのでなく、生糸の独占権を与えるとイギリスに交渉したらという意見がなかなか強かで感心した。確かに外交交渉たるものそのぐらいの図々しさが必要だ。

 結局のところ慶喜は鉱山開発権を与えることで決断し、栗本鋤雲を使節として送り出す。その頃、昭武はパリを離れてヨーロッパの各地を親善のために歴訪、その度に王族として迎えられ、彼はプリンス・トクガワとして評判となり、彼の活躍で幕府は諸外国に日本を代表する政権として認識されることになっていたという。

 しかし鋤雲の交渉は難航する。そもそも蝦夷地の鉱山の開発権を与えると言っても、蝦夷地にどれだけの鉱物資源があるかが不明だったのである。フランスとしてはまず調査をしてみてからという話で、いきなり開発権を言われても空手形同然であった。

 しかしそうこうしている内に日本では慶喜の大政奉還、さらには鳥羽伏見の戦いでの幕府の敗北と事態は急展開を遂げる。最早すべては手遅れとなってしまったのである。

 

 以上、パリ万博の裏で進んでいた外交戦略について。薩摩に出し抜かれた件は歴史探偵でも紹介されていたのだが、600万ドルの借款の件は初出である。それにして若干15才の昭武、さすがに慶喜の弟だけあって意外に良い仕事をしている。磯田氏はいっそのこと昭武に「我が国は600万ドルの借款の件で苦しんでいるので、貴国が出して頂けませんか」とヨーロッパの他国の王族におねだりさせたらと言っていたが、意外とその手はあったかも。紅顔の美少年が「私を助けてください」と瞳を潤ませてお願いしたら、意外とグラッときていくらか提供してくれる国もあったかも(笑)。

 もっともパリ万博の時点で時期既に遅しの感がありますから、そこで昭武が支援を取り付けても結果として間に合わなかったでしょう。慶喜はそこまで追い詰められていたわけだし、薩長の方も幕府が体勢を整えないうちにと必死で倒幕してましたから。

 

忙しい方のための今回の要点

・幕府はパリ万博に慶喜の弟の昭武を名代として使節を送り込むが、その背景には軍事力整備のためのフランスからの600万ドルの借款を取り決めるという任務があった。
・しかし薩摩の画策で幕府は日本を代表する政権と認識させることに失敗、さらに借款の代償としてフランスに生糸の独占購入権を与えようとしていたことがイギリスの反発を呼び、借款の件も座礁してしまう。
・駐日フランス大使のロッシュは生糸の独占購入権に変わって蝦夷地の鉱山の開発権で交渉することを慶喜に持ちかける。
・慶喜はそれを飲んで栗本鋤雲を使節として送り出すが、蝦夷地の鉱山の情報が無いことなどから交渉は難航、その間に大政奉還、鳥羽伏見の戦いでの幕府の敗北などが立て続いて手遅れになってしまう。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・外交交渉は難しいというお話です。それにしても薩摩は強かというか。まああそこは最初から幕府と必死の交渉で生き残ったところですから、その辺りの強かさはあるでしょう。それと斉彬が進めていた人材登用が効いている。

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