教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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7/6 BSプレミアム プロジェクトX 挑戦者たち(リストア版)「妻へ贈ったダイニングキッチン~勝負は一坪・住宅革命の秘密」

戦後の公団住宅の開発物語

 今回は戦後の公団住宅。そこに初めて導入したダイニングキッチンに込めた想いについて紹介している。例によって当時のアーカイブを掲載する。

 

プロジェクトX 挑戦者たち「妻へ贈ったダイニングキッチン~勝負は一坪・住宅革命の秘密」(2003.2.25放送)

 戦後、焼け野原の中から日本は復興をとげようとしていた。しかし当時の日本では住宅が圧倒的に不足していた。そこで住宅不足解消を目指し、昭和30年に日本住宅公団が設立される。そしてそれに参加したのは建設省の尚明である。彼は戦後の焼け跡を見ながら、これからは住宅が最も大事であると妻とともに語っていた若者であった。

 しかし国民に良質の住宅を供給したいという彼の夢は、いきなり壁にぶち当たる。大蔵省が設定した一戸あたりの面積は13坪、これは当時狭いと言われていた都営住宅よりも1坪増えただけにすぎなかった。彼らは公団総裁と直談判するが、限られた予算の中では不可能だと突っぱねられる。そして彼らの苦闘は始まる。

 当時の日本の住宅の台所は大体が北側に面した暗く寒い位置に置かれていた。そしてその台所で、ジントギと呼ばれる小石をセメントで固めた流し台で調理をしている妻を見た尚は、その1坪を主婦のために使えないかと考える。彼は米軍住宅などにあったダイニングルームのような家族団らんの空間を作りたいと考える。しかし限られたスペースの中ではそれは困難である。そうして考えられたのはダイニングルームとキッチンをつなげたダイニングキッチンであった。

 さらに彼は大胆にもダイニングキッチンを家の南側に持ってこようとする。しかしこれは当時の住宅建設の常識を覆すものであった。そしてこのための設計を女性初の一級建築士である浜口ミホに依頼する。以前から日本住宅の台所が劣悪な環境に置かれ、主婦がそこで一日中仕事に励んでいる現状に疑問を感じていた彼女は、積極的にこのプロジェクトに参加する。

 

 しかし問題は多かった。まずスペースが狭すぎること、客もやってくる南の部屋にジントギの流しを置くことは非常に見栄えが悪いことなどが大問題であった。そこで彼女は流しの設計を根本から変更し、当時日本に上陸して間もないステンレスを流しに採用することを考える。しかし当時のステンレスは加工に非常にコストがかかるために実用化に問題があった。そしてこのステンレス流し台大量生産の難題に、当時経営難に陥っていた従業員40人の板金工場サンウェーブが社運をかけて挑むことになる。そして二人の若い職人木村鉄雄と渡邊正次が、「失敗すればクビだ」と社長から言い渡され、日本で初めてのステンレスのプレスに挑戦する。寝る間もない二人は、工場の向かいに部屋を借り、24時間体制で技術開発に邁進する。

 そのころ浜口は、新型キッチンは主婦にとって使いにくいと反対した女子栄養大の武保助教授のもとに、試作品のキッチンを持ち込んで勝負を挑んでいた。勝負は十人の主婦に同じ料理を作ってもらい、従来のキッチンとどちらが使いやすいかで決着をつけた。浜口の設計したキッチンでは主婦はほとんど動き回る必要がなく、主婦はこちらが使いやすいと発言、浜口のキッチンに感心した武は今後はこのキッチンの普及に協力することを約束する。

 24時間体制で開発に苦しんでいた木村と渡邊の2人であるが、彼らの執念の結果昭和31年9月20日の夜9時過ぎ、とうとう流しのプレスに成功する(ここまで詳しい時間が残っているということは、多分サンウェーブの社史に残っているのだろう)。技術開発に成功した二人は、その夜、社長に銀座につれて行かれ、生まれて初めてのステーキを腹一杯食べたとのことである。

 こうして多くの人物の執念の結果、公団住宅は完成し、団地ブームとも呼ばれる時代が到来する。尚は妻を公団住宅の見学に連れていく。

 

 現在は○LDKなどという間取り表示が普通になっているが、その背景にこのようなエピソードがあったというのは初めて知ったことである。妻への想いからDKを思いついたり、それを実現するために多くの人物の熱い戦いがあったりなど、そこらのドラマよりもよほど面白い展開で、なかなか楽しませてくれた。またなかなか良いエピソードだったのは、尚はこの後に住宅公団の総裁になったが、「国民に十分な家を与えられていないのに、自分が広い家に住むことが出来ない」と戦後に買った小さな家に住み続けたということ。この人物、見るからに真面目そうな印象を受ける人物であるが、それを物語るエピソードである。昨今は国民を犠牲にしてでも、自分だけはお屋敷に住んでいるという役人が多いというのに。


 以上、当時のアーカイブです。今改めて見直しても特に加えることもないです。この時から「昨今は国民を犠牲にしてでも、自分だけはお屋敷に住んでいるという役人が多い」とこぼしてますが、現在に至れば国民の生き血をすするような政治家や役人ばかりで世の中の状況は悪化してます。それこそが現在の日本がこの2003年現在よりもさらに悪化している最大の原因。

 

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