教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

9/8 NHK 歴史探偵「桶狭間の戦い」

桶狭間の合戦の通説をひっくり返す

 ガッテンと同様に長い夏休みに突入していましたこの番組ですが、ようやく再始動です。最初は有名な桶狭間の戦い。今までの通説をひっくり返すという。

 今までの通説と言えば、1.信長は義元に比べると圧倒的に弱小だった。2.戦いのきっかけは今川義元が仕掛けた。3.一か八かの戦いで信長が勝利した。というものである。これらをひっくり返すという。

 

 

信長は弱小大名ではなかった

 まず最初は信長が本拠にしていた清洲城の発掘現場へ。ここの発掘調査の結果は、清洲城の城下町は1キロにも及ぶ巨大なものであったことが分かってきたという。さらには鍛冶の跡も見つかったという。当時の鍛冶は主に寺社などが抱えていたので、大名が自由に出来ない場合が多かったというが、信長は自前の鍛冶工房を抱え、ここで最先端兵器を制作していたという。つまりは清洲はハイテク都市だったのである。

 そして信長が開発したハイテク兵器の一つが長槍。これは一般的な槍よりも圧倒的に長く、竹のしなりを利用して相手を打ち付ける兵器であるという。実際に模擬戦闘を実施したが、その圧倒的なリーチを利用して通常の槍隊を全く寄せ付けないという結果になっている。

 しかも最近になって、実は信長の軍に六角氏からの援軍が参加していたということが分かってきたという。当時の信長は美濃と対抗するために六角氏、朝倉氏と同盟しており、背後が万全の状態で今川軍に臨んだことになるという。

 さらには陶器の輸出なども行っており、信長はこの当時からかなりの財力を有していたという。また今川氏は三河・駿河・遠江の三国を領するのに対し、信長は尾張一国などとも言われるが、実際は今川領の石高は70万石に対し、尾張は豊かな土地なので、織田領の石高は56万石とさほど大きな差はなかったことが分かってきたという。

 

 

戦いは信長が義元をおびき出したことで始まった

 さらに戦いのきっかけであるが、その鍵となったのは大高城だという。信長の時代に今川が大高城を支配下に治めるが、この城は織田領を南北に分断するだけでなく、海につながっていて海運を支配できる城であり、今川にとっては尾張を制覇するのに不可欠な城であったという。

 だからこそ信長はこの大高城を餌にして義元をおびき出したのだという。大高城を囲む位置に鷲津砦や丸根砦など4カ所の砦を配置して封鎖、こうすると義元が救援に出てくると踏んだというのである。そして実際に信長の読み通り、義元が自ら軍勢を率いて救援にやって来ている。そしてその行程の途中にあったのが桶狭間である。

 つまりは義元が仕掛けたのではなく、信長が誘い出したのだという。

 

 

一か八かではなく、周到な戦術で勝利した

 最後はまずなぜ信長が桶狭間を戦場に選んだかだが、この地は元々は足がすねぐらいまで沈んでしまう深田であり、大軍を展開するには困難な地であったという。これに対して信長は少数精鋭で挑み、動きを取りにくい今川軍に対して、むしろ機動力で勝っており、軍事的に見るとこれは決して無謀ではないという。

 義元来襲の報に信長は善照寺砦に入り、ここで2時間を費やしている。この間に信長は義元の所在地についての情報を集めていたと考えられるという。この時点で鷲津砦と丸根砦は落ちており、迂闊に動けば大高城の軍勢とに挟み撃ちされる危険もあったので、大高城の軍勢が動かない確証も必要であった。

 この時に信長が行っていた鷹狩りが効いているという。信長が行っていた鷹狩りは索敵の実戦演習そのものであり、こういう情報戦には長けていたという。また鷹狩りを行うことで村人達との交流もあり、その路線からの情報の入手もあったという。

 そして義元本陣の場所を突き止めると、信長は自ら軍勢を率いて義元の本陣を急襲して義元を討ち取っている。万全の情報戦によって勝利したのである。なお義元の所在の判明であるが、義元は格式を重視して漆塗りの輿に乗っていたので、嫌でも所在が目立ったとか。結果としてはそれが致命傷になったわけである。

 

 

 以上、桶狭間の合戦についての新情報・・・とのことだが、最近になってヒストリアでもこれを特集していたし、昨年の「麒麟がくる」はもろにこの解釈に基づいてのドラマ立てをしていたので、新説と言うよりも焼き直しの感が強い。

 それはともかくとして、番組の構成としてはまとまっていて実に見やすくなっている。相変わらず佐藤二朗がいささかウザいが、それはともかくとして、以前のように「何を言いたいんだ」とか「これは完全に無駄」という内容はなくなったことは大いに進歩。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・信長は義元よりも劣勢だったとされるが、実際には尾張の国力はかなり高く、信長は城下で新兵器の開発を行うなどもしており、決して義元に劣る弱小大名ではなかった。
・また従来は今川側が戦いを仕掛けたとされていたが、実は信長が今川の尾張進行の拠点である大高城を囲むことで、義元をおびき出すという作戦をとっていた。
・さらに桶狭間は足がすねまで沈む深田で大軍を展開しにくく、これに対して信長は機動力の高い少数精鋭で挑んだ。まだ情報収集で義元本陣の正確な所在を把握した上で、確信を持って戦いに勝利している。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・つまりは尾張はかなり国力が高かったし、信長はかなりの策士だったという話。義元の無能な大名ではないんだが、尾張のうつけの評判に見事に騙されたのだろう。そうして考えると信長がうつけと言われていたのも、高度な情報操作だったという可能性はある。もしそうなら、やはり信長は相当な策士で曲者ということだが。

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